日本語
Vol.1-5-1-108 日本語
2020.05.01
今、「日本語が亡びるとき」(水村美苗著)を読んでいる。
ところでこの日本語なるものは世界にも稀にみる複雑な言語である。
表音文字(アルファベット・ひらがな・カタカナ)に表意文字(漢字)にひらがな、カタカナを交えた言葉は世界に類例がない。
お隣の韓国はとっくに漢字を廃止、韓国の学術文献の90%は漢字で書かれており、多くの学生が、漢字レベルが低いことにより文献を読むことができないという。
一部の文化人は漢字復活を唱えているのだが、現状はすべてハングル文字。伝統的に名前は漢字なのだそうだが、それも読めなくなりつつあるというのだ。
その日本も過去漢字を捨てようと言う動きがあった。
漢字は中国から日本に入って来たものだが、日本は神代の昔から、海外からいろんなものを取り入れ加工するのが得意だった。というより無防備に何事も入れてしまう。疑うことを知らない。海に囲まれた日本は他国からの侵略に警戒することのない平和な暮らしの中、何か珍しいものが海を渡ってくる。それを宝物のように思っていたような気がする。いただいたものを大事にするとともにより良いものへと改良する。
きっと漢字もそうだろう。「へぇーこれが字というもんなんだべぇ~」と驚いたかもしれない。いただいたものを大事にする。それどころかそれを改良し日本人の使い勝手の良いものにつくりかえていく。その漢字から新たな漢字を数多く生み出してきたと言うのだから本領発揮ということだ。
例えば「働・込・枠・匂・畑・辻」などは日本が発明した漢字だ。
ネットには下記単語はすべて日本の発明だと言う。
歴史・民族・国家・宗教・信用・自然・侵略・手続・取締・取消・引渡・目的・宗旨・代表・代価・現金・譲渡・国債・基準・場合・伝統・継承・基地・元素・要素・学校・学生・警察・派出所・憲兵・検査官・写真・法人・保険・常識・強制・経済・幹部・鉛筆・出版・支配・哲学・理想・作用・新聞・図書館・記者・社会・主義・野蛮・発起・革命・思想・運動・計画・金融・交通・現実・会話・反対・原則・人道・演説・文明・広場・人民・工業・意識・論文・解放・進歩・義務・意志表示・債権人・損害賠償、
驚くことなかれ、「中華人民共和国」の「人民共和国」は日本人が発明した「人民」「共和」が使われているのだ。
いつの間にか逆輸入され、知らず知らずのうちに中国文化に溶け込み使われている
漢字という言うのだから当然中国で発明されたわけだが。
中国大陸の王朝で使われ始めた甲骨文字だといわれている。
最初は占いを書きとどめる記号からスタートしているが、戦争が絶えなかった中国、その連絡手段として発達したと言う。
日本の場合、書き言葉が遅れた理由に海に囲まれた海洋国家であったことだ、外部からの侵略される心配もなく農耕の作業として話し言葉で十分ことが済んだ。要するに文字を必要としなかったと言うことだ。
発明は往々にして戦争が絡んでいる。パソコンが発明され発達したのも軍事利用で伝達手段の必要から開発された。
我々が、ほとんどの車でお世話になっているGPSも軍事情報を得るために開発されている。原爆しかりだ。
戦争とは忌避されるべきものだが、その戦争から生み出されると言う皮肉である。
覇権を狙う世界の欲望というものは果てしのないものだが、人類史上戦争のなかった時代はない。悲しいかな人類が発展していく中で必要悪のように生み出されている現実がある。
ところで、世界から見れば最も難解な日本語。
漢字を輸入し、カタカナをつくり、ひらがなをつくった。まだ、国語として誇れる形を成さない江戸後期、黒船来航により明治維新に突入する。
外国の夥しい情報に接した日本は世界から立ち遅れていることを実感する。これでは外国に太刀打ちできない。東南アジアのほとんどが西洋列強の植民地化となっている中、危機感を持ったのは当然である。
外国から入る文献は当たり前のごとく外国語だ。外国語を読み解く必要にも駆られた。日本を西洋列強に対抗できる強い国にしなけらばならない。日本はあせった。そこに日本に朗報がもたらされる。欧米列強が内輪の戦争に突入したのだ。幸運だった。アメリカは南北戦争、ヨーロッパはクリミア戦争に手をとられた。
そのわずかな時間に死に物狂いに頑張り、軍隊を備えた近代国家を辛うじて整えた。
この時期に、初代文部大臣・森有礼は国語を英語にしたらどうかと提案している。これが国語最初の危機である。追い打ちをかけるように、上田万年の漢字廃止論が出される。
さらに大東亜戦争に敗れGHQ連合国の統治下になり、日本語抹殺を意図としたローマ字表記への動きがでる。さらに志賀直哉による国語をフランス語にしてはどうかという提案など、日本語は何度も存続の危機にあった。
よくぞ乗り切ってきたと言うべきだろう。
しかし、この一連の動きをみると如何に日本語というものに誇りも自信もなかったのかということだ。
確固たる日本語が出来上がっていなかったと言うこともあるかもしれない。
ちょっと残念である。
今、「日本語が亡びるとき」を読んでいるが、運命や如何に、、、だ。