日本の8月 ~戦争と平和~

日本,雑記

Vol.4-8.22-1134    日本の8月 ~戦争と平和~

2023-08-22

暑い暑い8月が残り1週間で終わろうとしている。

日本の8月は戦争に始まり平和の合唱に終わる。

8月になると、とたんに日本は “ 戦争と平和 ” の大合唱がメディアを中心に始まる。来る日も来る日も、新聞、テレビで流されるのは “ 平和 ” が連呼され、“ 戦争反対 ” が連呼される。戦後78年、平和のるつぼの中にありながらその声は強くなるばかりである。

8月6日に9日、日本にとって忘れることの出来ない広島と長崎への原爆投下。それに壮絶を極めた沖縄本土決戦をメインに、人々は平和の大切さを語り、戦争の悲惨を語り、日本の過ちを責める。

悲惨な戦争であったことは論をまたないが、命をかけて日本を守ろうとした勇敢な兵士が戦った戦争でもあった。あるいは戦争の世紀ともいわれる時代の大きな流れの中で、日清、日露、大東亜戦争と日本の視点で捉える戦争分析がされることがないというのも日本の特徴である。

大東亜解放の旗印を元に戦ったという一面や、規律正しかった日本の兵士の姿も、友よ『死ぬときは別々になってしまったが、靖国神社でおう』と散って行った英霊が眠る靖国神社に、天皇陛下も、総理大臣も堂々と参拝できないのが日本の8月15日である。

果たしてこれが、独立した日本の平和な姿であろうか。戦後78年最も平和な日本が平和を語り、戦争の悲惨を語る。

戦争死者が300万人以上、原爆を除き空襲等で亡くなった人が30万人いる。勇敢に戦った兵士を語ることは禁忌、何か空しさを感じる8月である。

そんな折産経新聞(8/13)こんなコラムがあった。
「終戦の日」は反省の日か ~日本人と8月15日~
京都大学名誉教授・佐伯啓思 寄稿

「8月15日は日本人にとって特別な日である。それは、この日が『終戦の日』であるというだけではなく、ちょうどお盆にあたるからだ。お盆、つまり仏教でいう盂蘭盆会は、祖霊信仰という日本の古い信仰と仏教の融合によるいかにも日本的は習俗である。お盆には死者の霊がそれぞれの家に戻ってくる。生者のほんのわずかな魂の交流を終えて、8月16日までには死者は『あの世』に戻ってゆく。このわずかな期間、死者は生者とともに過ごし、生者は死者を偲ぶ。

『終戦の日』がお盆と重なることによって、われわれは、あの戦争で命を落とした育百万にのぼる死者たちを偲び、改めて哀悼の意を表する。そして、死者の無念の魂に仮託して、あの戦争の意味を自らに問い直すのである。

少なくとも昭和の時代とは、何よりもまず、生き残った者やその子孫が、死者の魂に触れる日であった。8月15日の正午には、時間が停止したかのようにすべてが動きをやめ、静かに黙祷をささげることが国民の当然の義務であった。戦死者たちが静かに流す見えない涙と、声には聞こえない無言の思いを生者たちは聞きとろうとしていた。8月15日は、戦死者たちがそれぞれの家や故郷へ帰ってくる特別の時間なのである。私が子供の頃には、この日は、死んだ日本人の魂の慟哭とその慰撫と切り離せないという雰囲気がまだあった。その意味において、大東亜戦争の敗北とは、膨大な数の日本人の魂が行き場を失いかねない、日本人の精神の壮大な敗北なのであり、8月15日の祖霊供養だけが、かろうじてその魂の彷徨を受けとめていたのである。」

このコラムの表題ではないが、マスメディアの先導で8月15日に限らず、日本の8月は反省の月になった。靖国に眠る英霊を讃えれば “ 戦争賛美 ” と言われる歪な日本である。

最近は閣僚の靖国参拝に「どんな身分で参拝を?」などとばかな質問をする記者はなくなったようだが、憲法と同じ日本本来の「大東亜戦争」という名称すら「太平洋戦争」のままである。GHQの占領が終わった昭和27年4月28日以降は、太平洋戦争から本来の「大東亜戦争」に名前を戻さなくてはならない。憲法改正時には正しい名に戻していただきたい。でなければ日本人は正しい昭和史を知らないまま昭和史を記憶することになる。

あえてもう一言、先日、悲惨な戦争を忘れないためにとかで、NHKは「はだしのゲン(マンガ)」をクローズアップ現代で取り上げた。そのマンガの中に日本の兵士が惨殺する場面がいくつかでてくる。ジイはその場面は中国で起きた「通州事件」そのままではないかと指摘したが、この「通州事件」を知る人は少ない。あまりにも残酷な事件であったが、どういうわけか歴史から意図的に消されている。

渡部昇一「日本の歴史」⑥昭和編~「昭和の大戦への道」(WAC)にあるので少々長いが紹介したい。

「歴史から消された通州事件」

シナ事変が日本の一方的な、“侵略”ではないことを示す、最も象徴的な出来事が「通州事件である。この恐るべき虐殺事件は、盧溝橋の事件の約3週間前に起った。

この通州事件については、戦後ほとんど語られなくなった。なぜなら、この事件のことを言い出すと、「中国は善玉、日本は悪玉」という構図が崩壊してしまうからである。ためしに、手元にある歴史書や年表で通州事件のことを調べてみるといい。ほとんどの本には載ってないし、あったとしても、その事件の本質をごまかして書いている。

現在、もっとも詳しい近代史年表とされている岩波書店の『近代日本総合年表』は、八百ページを超える大冊であるが、昭和12年の項に通州事件のことは一行も書かれていない。おそらく、意図的に省いたのであろう。7月28日まで書いてあるのに、翌29日に起きた事件について一言も触れていない。また同年12月14日に、冀東政府が殺された人の弔慰金百二十万円を払ったことも一行の記述もない。

岩波書店が『紫禁城の黄昏』(岩波文庫)においても事実を歪める悪質な改変を行っているのは前述したとおりである。そのようなことを行う出版社が、通州事件のことを年表から省いても、何ら不思議ではない。

昭和12年7月29日、北京の東方にあった通州で、シナ人の保安隊による大規模な日本人虐殺事件が起こった。殺されたのは、通州の日本軍守備隊、日本人居留民の二百数十名であり、中国兵は婦女子に至るまで、およそ人間とは思えぬような方法で日本人を惨殺した。

東京裁判において弁護団は、通州事件について外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下された。この事件に触れると、シナ事変は日本ばかりが悪いと言えなくなってしまうと言う判断があったのは、言うまでもない。

ただ、通州事件の目撃者三人の宣誓口供書だけは受理された。あまりにも残虐な内容であるけれども、その一つ、元陸軍少佐の証言をあえて引用したいと思う。

「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。某飲食店では、一家悉く首と両手を切断され、十四、五歳以上の婦人は全部強姦されていた。旭軒という飲食店に入ると、七、八名の女が全部裸体にされ、強姦射殺され、陰部に箒を押しこんである者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に絶ち割ってある者など見るに堪えなかった。東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合わせて、それに八番線を通し、一家六名数珠つなぎにして引き廻した形跡歴然たる死体が浮かんで居り、池の水は真っ赤になっていた。夜半まで生存者の収容に当たり『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛の如く針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこここの塵箱の中やら塀の蔭からでてきた」(朝日新聞社法廷記者団『東京裁判』東京裁判刊行会・中巻)

これが人間のやることだろうか。・・・

この凄まじい描写、この世のものとは思えない。この描写そのものを「はだしのゲン」は日本兵に置き換えて書いている。

NHKよ、「はだしのゲン」を取り上げるのならこの「通州事件の真実」を同時に調査しドキュメンタリー番組として放送をお願いしたい。

いつのまにか、日本の8月は日本を “ 平和攻め ” にする月に変わってしまった。

靖国に眠る英霊に、真に頭を垂れ、手を合わせる “ お盆 ” はこの日本にくるであろうか。

ブログランキング・にほんブログ村へ

日本,雑記日本,雑記

Posted by 秀木石