日本語が亡びるとき(2)

世界,日本,,雑記

Vol.1-5-3-110 日本語が亡びるとき(2)

2020.05.03

国語は自然なものではない。
著者:ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」から導いている。

国語はいくつかの歴史的条件が重なって生まれるものとする。
いったん国語が生まれるとその歴史的成立過程は忘れ去られ、人々にとってあたかも自分たちの国民性=民族性の表れだと信じこまれるようになる。
国語はナショナリズムの母体となり国民国家を創りその国民文学が母体となり国民国家を創っていく。いわく「想像の共同体」を創っていくのである。

そのアンダーソンが2005年早稲田大学に招かれ講演をした。

「当時(19世紀末)においても現在においても別の言語で読んだり話したりすることを学ぶために注がれるエネルギーの量は驚くべきものがあります。情報を伝え、効用を伝え、考えを伝え、感情を伝える。1つの言語から別の言語へ、それはとても感動的なことです。 と学生に話しかけた。

著者はアンダーソンの多言語主義に疑問を投げかけた。

アンダーソンの多言語主義は、行き着く理想郷である。しかるに、現実はそのようなものではない。
多言語主義は英語の覇権を認識し、その次に何ができるかも考えるときに初めて現実的な意味をもつのである。

アンダーソンは、英語を母語とする人間である。
自分が母語で書いていることに気が付かないものである。英語で書く人間にだけはそういうことが見えない。と指摘する。

日本人は神代の昔から日本語という自分たちの言葉を話していた。そこへある時たまたま朝鮮半島の人を通じて漢字という文字が入ってきた。それを見た日本人がその文字に工夫を重ねて自分たちの文字を創り、それに漢字を交えつつ、日本語という自分たちの文字をつくり、それに漢字を交えつつ、日本語という自分たちの言葉を書き表すようになった。と多くの日本人は何となく思っているのではないだろうか。

ただ、著者はこれだけ漠然とした見方では、1つの誤った認識を前提としているという。

どういうことか。
人類が文字を発見してから6000年、その間人類はほとんどの場合、自分が話す言葉でそのまま読み書きしてきたわけではない。人類はほとんどの場合、外の言葉―そのあたり一帯を覆う古くからある偉大な文明の言葉で読み書きしてきたのであった。
普遍語だと言う。

日本の場合、漢文である。
朝鮮半島からの巻物である。
少数の二重言語者により、日本も漢文圏の一員となる。漢字は表意文字である。
翻訳という行為を通じて自分たちの音を書き表すための文字そのものを創らねばならなかった。

最初は漢文そのままの語順で読んでいたが、日本語の語順で読めるよう小さく返り点をつける。さらに必要な「て、に、を、は、が、の、と」などの助詞や、「である、たる、なる」などの語尾を漢文の脇に小さく書き添えるようになってい行く。
しかし、それでも日本語の音を表す文字をもっていない。
漢字の意味を捨て、漢字を日本語の音を表す表意文字と使った。いわゆる「真仮名(まがな)」の発生である。(万葉仮名)

その万葉仮名がしだいに省略されるうちにカタカナとひらがなに分かれてゆき、今も使われる2種類の表意文字の文字体系を生むことになる。
カタカナは普遍語の翻訳文に直接使われ続けた。実際カタカナは平安時代には、漢文の脇に小さく返り点と共に挿入されているだけであった。それが鎌倉・室町時代を経るうちに徐々に従属関係から抜け出し漢字と同じ大きさになってゆく。じきに漢字の列にそのつらなり文の真ん中に書かれるようになる。最後には返り読みをほとんど必要としない「漢字カタカナまじり文」という文体を生む。まさに漢文訓読という翻訳文から「漢字カタカナまじり文」という今の日本語のおおもととなる書き言葉が生まれたのである。

そう言えば「方丈記」の原文が写真で見るが、まさに「漢字カタカナ交じり文」で書かれている。

現地語でしかなかった日本の書き言葉がかくも成熟した言葉になっていったか。
①もっとも大きな原因は日本が中国大陸から海を隔てた列島であったということにつきる。
②日本文学の優れて早く成熟していったこと
③江戸時代の資本主義と印刷技術の発達
④上は藩校、下は寺子屋まで、学校だらけで、広く教育が及び、世界でも稀な識字率を誇った。
⑤植民地を逃れた。

そして明治維新の男たち。「叡智を求める人」たちの存在である。
福沢諭吉たちのめちゃくちゃな勉強ぶりだ。緒方塾で塾生全員が書生特有の乱暴と悪戯と無法と貧乏と不潔の中で親の敵でも討つかのようにしゃかりきになって蘭学をやってるその姿が何とも凄まじい。
ある時、福沢諭吉が病気になって気が付けば枕がない。そういえば過去1年まともに布団の上で寝たことがなかったのである。

「枕がない、どんなに捜してもないという云ふので不図(ふと)思付いた。是れまで倉屋敷に一年ほど居たが、遂ぞ枕をしたことがない、と云ふのは時は何時でも構はぬ、殆ど昼夜の区別はない、日が暮れたからと云て寝やうとも思はず頻(しき)りに書を読んで居る。読書に草臥(くたび)れ眠くなって来れば、机の上に突臥(ついぶ)して眠るか、或は床の間の床側(とこぶち)を枕にして眠るか、遂ぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどと云ふことは只の一度もしたことがない。其の時に始めて自分で気が付て、成程枕はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったからと始めて気が付きました。是でも大抵趣が分かりませう。是は私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生は大抵皆そんなもんで、凡そ勉強と云ふことに就いては実に此の上に為(し)やうはないと云ふ程に勉強して居ました。」

ある時、師の緒方洪庵が大名から高価な舶来書を借りてきた。千ページもある。2日後に返さなくてはならない。塾には50人ほどいる。本をバラすことはできない。そこで2人一組、一人が読み一人が写す。疲れたら次の二人がというように昼夜の別なく凡そ二夜三日をかけて165枚を写した。塾生は書物を「撫でくり廻はし」別れを告げたという。

考えただけでも涙がでる。こんな人たちによって明治維新、日本の夜明けはなされたのである。

さて、この本の題名である。
「日本語が亡びる時」である。
著者は、夏目漱石の「三四郎」の出だしの部分をクローズアップした。
三四郎が上京する汽車で偶然にも後に知り合いとなる広田先生に会う場面である。
「日露戦争に勝ったものの実際は哀れなものだ」という風采の上がらない男(広田先生)に三四郎は「然し是からは日本も段々と発展するでせう」と弁護した。
すると、かの男はすましたもので、
「亡びるね」と云った。

夏目漱石には「日本人が日本語で書いて、いったいどのような形で世界の読まれるべき言葉の連鎖の中に入りうるのか」という苦悩の中にあったと思われる。

西洋の衝撃は得るものもあったが、急速に失われていったものもあった。
明治までは使われていた普遍語としての漢文の伝統である。漢字という文字は残したが漢文の伝統はなくしてしまった。

今の世代の日本人は専門家でもない限り、漢文をまったく読めなくなってしまった。
「漱石全集」を今の日本人が原文で読めなくなった日本、これからの読者は自分と同じ世界を共有することはないのを知りつつ書く作家の寂しさである。

現代日本の開花について、西洋は「内発的」であったのに対し、日本の開花は「外発的」であったという。
日本の開花はあの時から急激に曲折し始めたのであります。また曲折しなければならない程の衝動を受けたのであります。」と憐れんだ漱石の言葉である。

それにしても(と著者は)日本文学は雄々漢文読体、ひらがな文、カタカナは西洋語の音を表す文字として生まれ変わるという、あたかも車のギアをシフトするがごとく、多様な文字と文字の伝統をまぜこぜにし、しかも歴史の跡をくっきりと残した文字を文学―そのような文学は私が知っている西洋の文学には見当たらない。

一方、世界中の多くの人が「文学の終わり」を憂えているのも事実だ。
その歴史的根拠は
1、科学の急速な進歩
2、文化商品の多様化
3、大衆消費社会の実現

しかし、
1、科学の進歩は「人はいかに生まれてきたか」を解明しても「人はいかに生きるべきか」に答えてくれない
2、映像で満足しても書き言葉を通じてのみしか得られない快楽もある
3、叡智を求める人がいる限り、読みたいと思う行動はなくならない。
「本当の問題は、英語の世紀に入ったことにある。」とする。

インターネットとという技術の登場によって英語は普遍語としての地位を不動のものにし、その地位を永続的に保てる運命を手にしたのである。

英語と英語以外の言葉を隔てる言葉の二重構造は数世紀、多分ずっと続くのである。

アメリカコンピュータ雑誌の創立者のケヴィン・ケリーの話である。
「シュメール語が記された粘土板から今まで人類は最低32百万冊の本、7億5千万の記事やエッセイ、25百万の歌、5億枚の画像。50万本のえいだ、3百万のビデオ番組や短編映画、そして1千億のホームページを「出版」した。これらの全部の資料は現在さまざまな図書館や記録保管所に収められている。完全デジタル化されれば、すべてが(今の技術では)50ベタバイトのハードディクに圧縮することができる。

今日、50ペタバイトを収納するには小さな町の図書館ぐらいの建物が必要である。明日の技術では、iPodにすべて入り込んでしまうだろう。その時すべての図書館を1つに収めた図書館があなたのハンドバッグや財布の中に入り込んでしまうのである。」

しかし、これからの時代は読まれるべき言葉の序列づけの質そのものが問われるようになるのである。ケヴィン・ケリーが描く理想郷は実は理想郷どころか情報過剰の地獄である。

未来の悪循環は叡智を求める人が国語で書かなくなる時ではなく、国語を読まなくなる時だという。優秀な作家が読まれることを目的に書くとすれば普遍語となる。英語以外の言葉は読まれるべき言葉としての価値を徐々に失っていく。
叡智を求める人は知的・倫理的な重荷、さらに美的は重荷を負うことさえ求めなくなる。国語の消滅への道である。

日本語が亡びる運命を避けるために何をすべきか
凡庸きわまりないとしつつも
※ 学校教育を上げる。
学校教育はある言葉を教えることによって、その言葉を国語に育て上げることもできる。代わりにある言葉を教えないことによってその言葉を亡ぼすこともできる。

英語の世紀に入ったということは、日本に限らず、国益を考えればすべての非英語圏の国家が優れて英語ができる人材を充分な数育てなくてはならないことを意味する。
原理的には
1、国語を英語とする
2、国民全員がバイリンガルを目指す
3、国民の一部がバイリンガルを目指す

著者は「国民総バイリンガル社会」実現は歓迎すべきとしつつも、日本において不必要だとする。
その理由は
①外国人が日本の国境を越えわんさと入ってくる未来は考えられない。
②今の日本人の英語力で、日常の外国人とのやりとりは事足りる

「国民総バイリンガル社会」は理念を追い求めること自体が世の中を悪くする理念と、そのこと自体が世の中を悪くする理念があるとする。
日本では「国民総バイリンガル社会」を追い求めれば、日本の言語状況はより悪くなる。ヨーロッパで証明済みとする。

日本が必要としているのは世界に向かって一人の日本人として意味のある発言ができる人材である。そこまでいくのは並大抵のことではない。
すべての国民に同じ英語教育を与えている限り、そのようなバイリンガルは十分な数は絶対に育たない。
国策として、少数の選ばれた人を育てるほかはないのである。
でなければいつか日本語は「亡びる」。

日本はゆとり教育を脱し、英語は3時間→4時間、数学3時間→4時間、理科2時間→4時間、国語は3時間のままである。フランス、ドイツ、アメリカは国語の時間は5時間ある。諸外国は日本の3時間を聞いて絶句する。

文科省も、日本人の多くも、日本語など自然に学べるだとうと考えている。
何よりもまず日本語ができるようになるべきである前提をよりはっきり打ち立てることである。

日本人を日本人たらしめるのは日本の国家でもなく、血でもなく、日本語なのである。
それも長い書き言葉の伝統をもった日本語なのである。

今でも日本には水があるのがあたりまえのように日本人は日本語を実に粗末に扱ってきた。
日本人が「日本語を大切にしよう」と言わないのは「日本語を大切にしよう」という気がないのである。・・・と手厳しい。

明治「西洋の衝撃」を受けると西洋人ことが人間の規範に見え、それと連動し西洋語が人間の規範に見えた。「いにしえの 奈良の都に 咲く花の ・・・・」の日本文字を誇りに思いながらも、西洋語を母語とすべきではないかという思いに囚われ続けてきた。

日本人が持つ日本語に対する自信のなさは、その経済力が西洋と肩を並べた今でも変わらない。それどころかいよいよ強くなっている印象がある。

日本の国語教育の理想を読まれるべき言葉を読む国民を育てるところに設定しなかった。文化を継承するところに設定しなかった故に、戦後50年平和と繁栄を享受しつつ、知らず知らずのうちにお自らの手で読まれるべき言葉も読まない世代を育てていったのである。
教科書から漱石や鴎外を追い出し、誰にでも書けるような文章を教科書に載せるという馬鹿げたことをするようになったのであった。

「日本語は絶対大丈夫」という信念をすてなくてはならない。
たかが100年前に書かれた夏目漱石の「三四郎」を原文で読めなくなりつつあっても「現に日本人」であり、「日本人を見失」っていないと言えるのか。
いかに凡庸であろうと私たちはいまできることは私たちのあとに来る日本人が「日本を見失」わずにする国語教育を考えていくことぐらいしかないのである。
と結んでいる。

ジイは納得する。
今の私たちが確かに、「源氏物語」や「万葉集」できれば「漢文」が原文のまま読める日本人であったらいかに誇らしいかと思う。

訳のわからないお経もきっと意味を理解できたであろう。

著者が「国民総バイリンガル社会」を否定した裏にあるものは、日本人が英語を話せるようになったが、万葉集も明治維新も知らず、漱石も鴎外も語れない日本人の生産を恐れたのではないか。

最後に萩原朔太郎の詩を

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。

という例の萩原朔太郎の詩も、最初の2行を

仏蘭西へ行きたしと思へども
仏蘭西はあまりに遠し

に変えてしまうと、朔太郎の詩のなよなよと頼りげな詩情が消えてしまう。
となるとあたりまえの心情をあたりまえに訴えているだけになってしまう。だが、上のような差は、日本語を知らない人にはわかりえない。
蛇足だが、この詩を口語体にして、

フランスへ行きたいと思うが
フランスはあまりに遠い
せめて新しい背広をきて
きままな旅にでてみよう

に変えてしまったら、JRの広告以下である。

日本語よ永遠にあれ。

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