日・米 不滅に潜むアンバランスな国家愛

日本,雑記

Vol.5-4.21-1150    日・米 不滅に潜むアンバランスな国家愛

2024-04-21

1912年(明治45年)、日本からワシントンD.C.に桜が贈られた。日本の桜の開花宣言が賑やかな頃、ポトマック河畔に桜が咲き誇る映像が流れた時は美しいアメリカの中の日本を実感した。112年が経過している。

この美しい桜の季節に岸田首相はアメリカバイデン大統領から国賓として招かれ、4月8日から7日間の日程でアメリカを訪れた。

10日に開かれた歓迎式典では、過去にない緊密で「不滅なパートナーシップを築く」という、アイゼンハワー大統領と岸信介首相の交わした64年前の日米同盟合意は、本日『ゴールは達成された』とバイデン大統領は祝福した。

そのアメリカとは第二次世界大戦で6年に及ぶ熾烈な戦いをした相手だ。挙句の果て、世界で初めて地球上で最強・最悪の兵器、原爆を実験的?に2つも落とされた。終戦を早めたとは戦勝国の言葉だ。日本の戦没者は310万人を超え、心身ともに日本は奈落の底に落とされたのだ。

それから79年、まさか鬼畜・英米と罵った相手と『不滅の同盟関係』を結ぶとは誰が想像できたであろうか。

終戦後行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)の後遺症は今も日本の生き方に深い影を落としている。その悪名高き「東京裁判」に始まり、誇り高き日本の文化、歴史、思想をズタズタに切り刻み、日本人を徹底的に洗脳し悪者 ❞ に仕立て上げたGHQ(連合国総司令部)の最高指揮官・マッカーサーはアメリカ製日本国憲法を置き土産に、7年間の占領政策を終え さらば ❞ と日本を去った。

本来ならその憲法を、戦後すぐにでも日本製憲法に改憲すべきだった。しかし、改憲するどころか日本人自らが 平和憲法 ❞ と崇め奉り今日に至っても一字一句の改正もされずに今日に至っている。作成に関わったアメリカですら驚いている。

同じ陣営として戦ったドイツなどは59回、イタリアは15回も憲法を改正している。日本はなんという従順な国であろうか。これがアメリカを震え上がらせた神風特攻隊を生んだ国とは思えない。

アメリカ自身も終戦後の占領政策がこれほど順調にいくとは思いもしなかったに違いない。この従順さの裏には、6年間にわたる熾烈なる激しい戦争に思いを馳せなければならない。300万人を超す戦死者に身も心も疲弊しきった中、戦いのない安堵の日々をいかに希求していたかということだろう。

戦後79年の平和はかけがえのないものだ。日本人の穏やかな性格も相まって、今や日本は世界一安全で平和な国になった。そして今日、すべてにおいて世界第一位の大国である米国と強固なパートナーシップを確認するに至ったことを考えれば、終戦から現在の姿への道程を肯定しないわけにはいかない。

しかし、世界は脈々と生きている。それで万々歳とはいかないのが地球に生きる宿命である。悲しいかな世界には様々な国がある。国の成り立ち、多様な考え方や思想に宗教の違い、民度及び政治制度の違いから争いが絶えないのが現実である。

そこで、今回の国賓として招かれた岸田首相。過去にも使われた パートナーシップ ❞ という表現だが、今回は1段も2段もギアが上がった日本の本気度をアメリカが感じ取り、真のパートナーと認めたパートナーシップである。

今月4月16日に産経新聞に掲載された防衛大学教授・神谷万丈氏の論説である。
「日米の安全保障協力はこれほどまでに実質的なものになり、日本は米国から頼れる同盟国と認められるようになったのだ。そして両国関係はこれほどまでに対等性を増したのだ・・・」

そして、首相の米連邦議会上下両院合同会議での演説をとりあげ

「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を守る上で世界は米国のリーダーシップを必要としているが、米国は一人ではない、米国には今やグローバルパートナーとなった日本がいる」と、米国人を泣かせるような演説をぶち、米国議員のスタンディングオーベションを受けたのである。これは単なる儀礼ではなく、かつてない高みに達したと感じたのだ。

その気配は2年前にあった。日本が独立国家として真剣に考えてきたことを示す内容の一端が、昨年の7月11日に江崎道朗・麗澤大学客員教授の『戦後レジーム』脱却と国家戦略(産経新聞)という論説からも感じ取れる。

「・・・敗戦後の日本の国家像を決定づけた『戦後レジーム』は、2つの前提に基づいている。

第1は、軍事やインテリジェンス・諜報など安全保障に関わることはできるだけ回避するのが日本の生きる道だという考え方だ。『軍事目的のための科学研究を行わない』と声明を出した日本学術会議はどの代表例だ。

第2は、とはいえ軍事やインテリジェンス・諜報なくして独立は保てないので、米国に依存することにし、外交も対米追従が基調となった。

この戦後レジームを変えようとしたのが安倍氏だった。・・・その象徴が『自由で開かれたインド太平洋』構想だ。・・・しかもこの路線は岸田文雄政権によって引き継がれただけでなく、拡大されている。昨年12月、岸田政権は国家戦略を全面改定し、『自分の国は自分で守る』軍事力の構築のため5年間で43兆円を投じることを閣議決定した。・・・」

と論じている。昨年のこの43兆円の防衛費の拡大は大きな反響を呼んだ。国会でも議論されたが、野党は度肝を抜かれるほど驚いた。まさしく本気で独立国家としての防衛を考えたうえでの大転換であった。

戦後77年目の目覚めである。

遅きに失した感があるものの世界環境はロシア、中国の権威主義国との対峙、多様化するエネルギー問題の他、世界各地で起こっている紛争は一つ間違えば世界戦争を導く危険がある。さらに、その戦い方は宇宙戦争に及ぶかもしれない。それを考えれば米国単独で世界を制するにはすでに不可能に近い現実がある。

今起きている戦争も、将来はほとんどAI置き換えられ、戦争形態を一変させるほどの未来戦争が予想される。その足掛かりは宇宙にあり、開発はロシア、中国に後塵を拝するわけにはいかない。戦後79年の日米関係を勘案、今こそ真の パートナー ❞ と断定する好機と確信したのだろう。

もちろん、当面は危機的な状況にある世界の動きへの備えである。

ただ、この訪米で日米は確かな関係を確認したかにみえるが盤石ではない。そのアンバランスを考えるに最もわかりやすいのは、米国の米軍に対する敬意と日本の自衛隊に対する違いである。

アメリカは国賓として迎える国家元首に対して必ず『アーリントン国立墓地』への参拝がある。最も大切にしているアメリカのハートである。

アーリントン国立墓地とは

1864年に、南北戦争の戦没者のための墓地として、南軍のロバート・E・リー将軍の住居周辺の土地に築かれた。その後、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争等の戦没者が祀られ、現在でも戦没者やテロ犠牲者などのアメリカ合衆国のために尽くした人物の墓地が存在する。

日本でいえば靖国神社である。しかし、その死者への向き合い方において日本と米国の姿は天と地ほどに違う。

その手掛かりになるのが、令和5年9月13日に掲載された日本大学教授・先崎彰容氏の論説記事(産経新聞)である。その抜粋である。

国家と死者の繋がりを考える
奥の方から、緋色のスカートの女性が、海兵隊員にエスコートされて階段を下りてくる。大統領と軽く言葉を交わし、金色のマイクを握りしめる。沈黙の後、厳かに流れ出す国歌を、世界的歌手レディ・ガガが歌いあげる。その声は自信に満ち、自分を超えた公的なものが存在することを教え、肯定している。

映像は、胸に手を当てて聞き入る大統領をとらえ、空を突き刺す真っ白い記念塔を映し出す。星条旗とともに黒色の旗が風をはらんでなびき、国歌後半の声がそれに重なる。ずらりと並んだ米軍兵士たちは、声の主に微動だにせず聞き入っている。

~死者がいて歴史が紡がれる~

言うまでもなく、2年前のバイデン大統領の就任式である。ここにはきわめて明確な輪郭をもったアメリカという国家が存在する。

はためく黒色旗には『あなたを忘れない』という言葉とともに、POW/MIAという文字が染め抜かれている。捕虜・行方不明者を捜し続けているという意味の旗であることがわかる。つまり就任式には現役軍人のほかに、故国の地を踏めずにいる兵士や、この世に存在しない兵士たちも参加している。・・・

しかも式典には民主・共和両党議員が参加しているが、米軍兵士は与野党いずれをも超えた国家に忠誠をつくしているのであって、将来命を落としたとしても栄誉を与えられることを、はっきりと約束されているのである。・・・・・

翻って日本はどうかと問いかけている。

日本にもアーリントン国立墓地と同じ性格を有する施設として靖国神社がある。
靖国神社はアーリントン国立墓地と同じころの1869年(明治2年)に勅命により東京招魂社として創建され、明治維新以後の国家のために殉難した人の霊(英霊)246万6千余柱、主に「対外戦争の戦没者」と「明治維新前後の国事殉難者」が祀られている。

しかし、この『国事殉難者』に対する扱いは天と地ほどの違いをみる。

自衛隊を『人殺し』という生々しい言葉で批判する共産党が国会に議席を確保していること自体、アメリカでは考えられないことであろうが、国家存亡の危機に直面した時、命を懸けて日本防衛部隊が自衛隊である。その自衛隊に対する扱いがあまりにも粗雑な日本。果たして隊員たちの心情に国家のために命を懸ける ❞ 高い精神性が保たれるのであろうか。

大東亜戦争で激しい戦闘を繰り広げた日米。神風特攻隊を始め、日本の兵士の愛国心と、気迫に米兵は恐れをなした。かれらは命をものともせず国家のため、家族を守るために命を懸けた。その根底には『靖国神社で会える』という確信の持てる約束があった。たとえ異国の地に死しても『英霊として祀られる(会える)』ことを信じて戦ったのである。その英霊に対する日本の心や ~ 今いずこ ~ だ。

日本は今、世界でも類をみない経済発展を遂げ、その上世界でも最も平和で安全な国の一つになった。

しかし、無くしたものの大きさを今の日本人は気が付いていないような気がする。

戦後79年、未だ憲法が改正されず自衛隊は軍隊として憲法にさえ明記されない。これで本当に国を守れるのだろうか。アメリカが強引に進めた東京裁判(極東国際軍事裁判)は、国際法を無視した ❝ 復習裁判 ❞ として世界から『悪名高い裁判』と批判を浴びた。その復習裁判で仕分けされた『A級 B級 C級』と犯罪の烙印を押された日本軍兵士。A級犯は有無を言わせず絞首刑を受けたのである。

東京裁判で戦勝国11人の判事のうちただ1人、インド代表のラダ・ビノード・パール博士は、この裁判は勝者が敗者を一方的に裁いた国際法にも違反する非法・不法の復習プロパガンダにすぎないとして、被告全員の無罪を判決したのだ。

そのパール判事、
『私が日本に同情ある判決を行ったと考えるならば、それはとんでもない誤解である。私は日本の同情者として判決したのでもなく、西欧を憎んで判決したものでもない。真実を真実と認め、これに対する私の信ずる正しき法を適用したにすぎない。それ以上のものでも、また、それ以下のものでもない』と宣言したのである。(パール判事の日本無罪論/小学館文庫)

悲しいかな、この無法・東京裁判の判決を信じ、未だにA級戦犯とレッテルを張り、靖国神社を貶める国会議員を始め多くの知識人がいることに暗澹たる気持ちになる。東京裁判で判決を受けた軍人は、占領終了後、日本の国会ですべて無罪放免の決議がなされた。従って日本に戦犯はいない。

岸田首相の今回の訪米で『不滅なパートナーシップを築く』に至った日本の姿は一歩前進である。しかし、地球上に多種雑多な人種がひしめく中で『平和を唱える』だけで平和がくるという非現実的な感情から抜け出さなければならない。

日本だけが ❝ 平和の島 ❞ として安住していられるはずがない。沖縄に米軍が駐留し、イギリスやフランス、ドイツなどNATOと共に同じ価値観を共有する同胞の中で連携し、助け合っての平和維持である。

日本に足らないのは 話せばわかる ❞ という一見正当な対応にみえるが、そんな言葉で、プーチンに習近平にハマスの頭領に説得できるとは到底思えない。優しさが世界を変える?式の平和感覚から抜け出せないのが日本だ。

外国人が代々木公園で酔いつぶれて寝てしまった。『朝起きてみたら身に着けていたものがすべてあった』この驚きは日本では普通であっても外国では奇跡である。ましてや片田舎でこんな外国人がいたら、ひょっとしたら『小さな毛布が掛けてある』奇跡すら起こるかもしれないのが日本である。

アメリカは自由民主主義を牽引する国であるが、拳銃と暴力に依然として人種差別も存在する雑多な危険を内包する国である。ただ、国家を愛し、国家に忠誠を尽くし、命をかけて国を守る軍隊に敬意を払うことを最も大切にする国であるということだ。

しかし、『不滅なパートナーシップ』に呼応し、日本が独立国家として相応しい形を整えようとするこの時に至ってなお、相手国の米国製憲法に縛られているとは皮肉である。

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Posted by 秀木石