ああ!日本国憲法よ!!

日本,雑記

Vol.5-5.7-1151     ああ!日本国憲法よ!!

2024-05-07

現憲法は昭和22年(1947)、アメリカGHQ(連合国軍総司令部)の占領施政の中、ほぼ一週間で作られたものだ。

前文などは、リンカーンの演説、大西洋憲章、アメリカ独立宣言などを切り貼りしたもので、いわゆる今はやりの「コピペ」である。(西修著:憲法の正論)

アメリカから頂いた憲法を恐れ多く、ただの一字一句も改正せず77年、後生大事に、❝ 平和憲法 ❞ と崇めたて奉り今日に至る。

当時、憲法草案に関わったアメリカ・ケーディスは西修・駒沢大学名誉教授のインタビューに
日本国憲法は

『もうどこかの条項が改正されているばかりと思っていた』
『この憲法は暫定的なものであると思っていた』と答えたのだ。

その憲法を、「憲法9条にノーベル平和賞を」をとのたまうに至ってはまるで新興宗教「憲法9条教」にとりつかれたような怖さを感じる。❝ GHQ洗脳 ❞ ここに至れりの感がする。

そもそも憲法とは(2016.4.18正論sp)
『憲法とは国家の骨格をなすものだ。独立を果たした国家の憲法には自分達の悲願や希望が宿り、華麗な歴史を歩んだ国家の憲法からは品位が漂い、自信がみなぎっている。憲法とはそういうものだ。』とある。

現日本国憲法21条の条文には
◆日本国憲法・第二十一条
○集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

つまり、憲法作成にあたり他国の関与を禁じているのである。

『しかし、日本国憲法は断じてそうではない。GHQ(連合国軍総司令部)から英語の原型が示され、その日本語訳が紆余曲折を経て成典化された。「はじめに英語ありき」の戦争「詫び証文」。それを憲法として戴くことが独立国家としていかにみじめなことなのか。その異常さ、重大さにまず気づきたい。』(2016.4.18正論sp)

5月3日は憲法記念日であった。4月29日の産経新聞に政治学者・岩田温氏のコラムに同じような指摘がある。
(21条の条文が)なぜ、この条文が空疎なのか。日本国憲法が制定された当時、連合国軍総司令部(GHQ)によって、徹底的な検閲が行われていたからだ。憲法の成立にGHQが関与している事実を発表することは許されなかった。検閲を禁止する憲法は、検閲によって我々の言葉が奪われた時代に成立したのだ。

実際に占領期の検閲資料を収集した「ブランゲ文庫」で検閲の実態を確認できる。これは国会図書館にマイクロフィルムが所蔵されており、だれでも閲覧が可能だ。』と岩田氏は指摘した。

憲法改正への長い導火線にマッチをする匂いがする今日、憲法改正を必要とする第一の論点が上記理由だ。

憲法改正、第二、第三の論点だが、憲法記念日に日本大学名誉教授・百地章氏が産経新聞(5/3)『国のかたちを正す改憲を目指せ』への寄稿論説がわかりやすい。

『わが国と同様に連合国の占領下におかれた西ドイツが1949年に基本法(憲法)を制定した後、独立回復のために目指した憲法改正は「国防軍の設置」と「緊急権」の導入であった。つまり国家の根幹にかかわる、独立主権国家を回復するために相応しいテーマであった。

敗戦によって米、英、仏の3国の占領下に置かれた西ドイツでは、緊急事態に対処する権能も3国に留保され、占領終結後も、外国軍隊の安全に関する諸権利は3国に留保されたままであった。

そこで西ドイツでは、この連合国に留保された権利を取り戻すため、56年3月、国防軍設置のための憲法改正を行うとともに、憲法に緊急権を導入するための準備を始めた。そして10年近い議論の末、68年6月、緊急権が導入されたが、それは外国からの武力攻撃や内乱、さらに災害事態にも備えた詳細なものであった。
・・・

緊急事態条項でいえば、解散や任期満了時に選挙ができない時のための「国会議員の任期延長」は必要であろう。しかし、本当の緊急事態は「任期延長」だけでは対応できない事態、つまり首都直下型大地震や南海トラフ巨大地震などの発生により、物理的に国会を召集することさせできないときだ。その時、どうすれば国民の命と財産を守ることができるのか。

答えは、機能しない国会に代わって一時的に内閣が政令を制定し、国民の命と財産を守る「緊急政令」だ。

以上緊急事態対応が第二の論点。そして第三の論点である。

もう一つは「自衛隊の憲法明記」だ。心配される台湾有事、日本有事を前に、改めて自衛隊幹部OBの心からの訴えに真摯に耳を傾ける必要がある。

自衛隊員は皆、入隊にあたり、「命を賭してでも国を守る」ことを国家・国民に誓う。しかし自衛隊員の合憲性について、憲法学者の約6割が違憲と答えている。そのような憲法の下で37年間勤務してきた岩田清文元陸上幕僚長は次のように言う。「(違憲論があり)立場が曖昧な憲法を遵守させつつ、いざというときは命をかけろ、というのが国の自衛隊員に対する要請だ。後輩たちをこのような矛盾と苦悩の中に引き続き置きたくない」

これだけでも、自衛隊の憲法明記が急がれる所以は明らかではなかろうか。

百地氏は以上のごとく憲法改正の必要性を述べた。

東日本大地震や能登半島地震などの大災害、戦争という有事はもちろんのこと、あらゆる災害に自衛隊は真っ先に命を賭して立ち向かってきた。日本国民を守るもっとも大切な仕事を担う自衛隊が憲法に明記されていないという事実を何人の国民が心を痛めてきただろうか。彼らの家族の気持ちを思うと居たたまれない。

改正すべき点はまだまだあるがこの3点は特に緊急性を要する。

今は亡き石原慎太郎氏、渡部昇一氏、西部邁氏などは、改正などという軟な話ではなく、現憲法は無効であり破棄して新しく作るべしという意見を持っていた。

ジジイなどはその意見に賛同するものだが、今日の時代環境を鑑みるに国民とのコンセンサスを図るのは並大抵ではない。まずは、日本らしい ❝ 憲法前文 ❞ とともに、誰もが納得できる大事な3点を含めた改正案を国民に示すことだろう。

ところが、今、最も元気な立憲民主党が憲法改正論議になると一気に政治熱がさめるのには困ったものだ。改憲反対派が野党第一党の立憲民主党と共産党、社民党、れいわ新選組である。

立憲民主党は派閥の資金パーティ事件を起こした自民には改憲を論じる資格がないとして(憲法改正の)起草委設置にすら抵抗している。維新の馬場代表が『国家の根幹たる憲法を議論する場に関係ない自民派閥の裏金問題を持ち出し(衆院憲法審査会)開催にブレーキをかけ続けてきたのは不見識の極み』と批判したが、まさにその通り、憲法を議論する「衆院憲法審査会」の設置にすら反対するとは日本国民の代表として国会に議席を置く資格などない。

立憲民主党が静かな時は与党・自民党の不祥事がない平穏な政治が行われているときだけだ。敵失(不祥事)などが起きるとここぞとばかり、声を張り上げて連日テレビで活躍?する。平穏時は何をしているのだろうか不思議である。

何年も前から改憲の前段として行われている憲法審査会にすら明らかな妨害対応をする立憲民主党に野党第一党の資格はない。相手の敵失に乗じるだけの野党に、日本のかじ取りを任せるわけにはいかない。自民党の混乱の中にあっても一向に立憲の支持率の上がらないのは、国民から信頼を得ていない証拠である。自民党のルーズな政治資金問題下における補選でたまたま勝利しただけ、憲法改正阻止を目論む立憲・共産党に国民が賛同をするほど国民の目は節穴ではない。

ここに示したのは最も重要な改正点だ。立憲・共産党が『憲法改正は不要である』と言うなら、日本国民の前で、正々堂々とその理由を説明しなければならない。へたすれば反日野党として国政から排除される羽目になるかもしれない。

いずれにしても、現憲法成立後77年、いつまでもGHQの亡霊を引きづって生きるわけにはいかない。純然たる日本人による日本人のための日本国憲法をつくらねば、戦後からの脱却はできない。

あらためて現在の<日本国憲法・前文>を読む。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する国民の構成と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れかれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

以上だが、読んでいても国柄というものが浮かび上がってこない。そこで産経新聞が一例として草案したのが下記前文だ。

◇ 国民の憲法(前文)(平成25.4.26/産経新聞社草案

日本国は先人から受け継いだ悠久の歴史をもち、天皇を国のもといとする立憲国家である。

日本国民は建国以来、天皇を国民統合のよりどころとし、専断を排して衆議を重んじ、尊厳ある近代国家を形成した。山紫水明の美しい国土と自然に恵まれ、海洋国家として独自の日本文明を築いた。よもの海をはらからと願い、和をもって貴しとする精神と、国難に赴く雄々しさを育んできた。

日本国民は多様な価値観を認め、進取の気性と異文化との協和によって固有の伝統文化を生み出してきた。先の大戦による荒廃から復興し、幾多の自然災害をしなやかな精神でで超克した。国際社会の中に枢要な地位を占め、国際規範を尊重し、協調して重要な役割を果たす覚悟を有する。

日本国は自由主義、民主主義に立脚して、基本的人権を尊重し、議会制民主主義のうえに国民の福祉を増進し、活力ある公正な社会を実現する。国家の目標として独立自存の道義国家を目指す。人種平等を重んじ、民族の共存共栄をはかり、国際社会の安全と繁栄に積極的に貢献する。

われら日本国民は、恒久平和を希求しつつ、国の主権、独立、名誉を守ることを決意する。これら崇高な理想と誇りをもって、ここに憲法を制定する。

本来なら、石原氏や渡部氏がいうようにアメリカ製・憲法を破棄しすべて新しくしたい。その高揚感は想像を絶する。しかし、77年を共にした憲法である。国民の気持ちも様々であろう。まずは前文と喫緊の課題から着手すべきではないだろうか。憲法前文がアメリカのコピペではなく、日本人が日本の国土に合わせて作るのである。

難攻不落であった『日本国憲法』、日本人の手で改正された新・日本国憲法の誕生。考えただけでもワクワクする。国民は初めて憲法に愛着を抱くのではないだろうか。

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Posted by 秀木石