野党に国政能力なし
Vol.1-6.14-152 野党に国政能力なし
2020.06.14
6月17日今国会の会期末を迎える。
とりあえず第二次補正予算が成立したが、コロナ禍があったにしても国会として白熱した議論がされたと言いう感じは全くない。
ここぞとばかり激しい言葉が飛び交ったのは文春なみのスキャンダル追及だけだった。維新の会を除く党首の頭の中はスキャンダル探しが日常になっているのではないかとさえ思える。
何かないか?スキャンダルを必死に探す姿が目に浮かぶようだ。
党内では、憲法改正の国民投票案、やコロナ後の国家像などよりも、「モリ・カケ問題」から「桜の会」さあ次は、、、そうだ「安倍のマスク」でつなぎ、何とか探し出した検察官の定年を引き上げる「検察庁法改正案」に飛びついた。これがネット作戦で大ヒット。
その後が思わぬタナボタで「黒川弘務検事長・賭けマージャン」という副産物を文春が提供してくれた。野党は国会を最後までスキャンダル追及できる材料に安堵したことだろう。
最後に、待ってましたとばかりに「持続化給付金」事業の事務委託費の問題で電通との交友関係を追及したのはやぶ蛇だった。
安倍総理は「電通ほどの会社になれば、与野党問わず、知り合いがたくさんいるのではないか」と切り返された。これには困った。野党のスキャンダルだよりが国民にバレてしまった。
国民が今、最も望んでいる、『コロナ後の日本のあるべき姿』を ¨ここぞとばかり¨「コロナ後の国家像」を国民の前ででっかくでっかく堂々と発表し、存在感を示せる最高のチャンスだった。
でっち上げたスキャンダルよりも、国民に希望を抱かせるような斬新なコロナ後の世界を声高らかに謳い上げるのは得意のはずだ。
優秀な頭脳のありったけをぶつけるにはコロナという今世紀最大の災難との闘いの中で行う与党との対決は最高の舞台であった。
この舞台をものにすれば、次回の選挙にはそれこそ2度目の「政権交代」のチャンスを掴んだかもしれない。
これをチャンスと認識できないのか、あるいはわかっていてもその構想すら構築する能力がなく、スキャンダルに走るより仕方なかったのか。まったくもって残念だ。
野党の限界か、そもそもそんな前向きな構想など頭の隅にもなかったのかもしれない。でなければ今、最も国民が悩みながらも待ち望むコロナ後の姿、この期待に応える最高の場をみすみす捨てるようなことはしないはずだ。
最後に墓穴を掘ってしまったことは野党第1党が「国会文春党」に成り下がったと言っても過言ではあるまい。
「スキャンダル発掘部署」なるものがあって、文春と情報提供の契約をしているのではないかと勘繰らざるを得ない。文春と野党の資金の流れを調査した方がいいかもしれない。
そんな中にあって、与党から
「憲法改正の是非は最終的に国民投票で決まる。野党が議論にさえ応じないのは横暴だ」とし、
「主要野党の態度が変わらなければ、憲法審査会で、与党単独でも国民投票法改正案の採決を検討せざるを得ない」と、やっとそんな意見が出始めた。
ジイに言わせれば遅すぎである。もう何年経っているのかと言いたい。
日本国憲法の改正原案などを審査・発議する機関として、憲法審査会を両院に設置することが決まったのは、2007年(H19)年8月である。
その後野党の牛歩戦術により遅れに遅れ、設置から4年3ヶ月を経た2011年(H23)11月にようやく両院で第1回憲法審査会が開かれた。
しかし野党の不誠実な審議拒否で8年間で23億6600万円もの経費を無駄遣いしつつ一向に進展していない。
この経費の無駄遣いこそ文春は特集を組み国民の前に「国会大スキャンダル」として告発すべきではないか。
すくなくともこの経費は国民に返金すべきである。
与党よ何を怯んでいる。国会で憲法審査会を両院に設置することが決まったのである。真摯に議論を進めないでどうする。
いい加減、野党への過度の配慮よりも国民に目を向けたらどうなんだと言いたい。
自民党にも堂々と国民に向かって語れる人間がいなくなった。
野党には全く期待できないが、どっちもどっち、悲しい国会が終わろうとしている。