誰かのために
Vol.2-8-25 誰かのために
2020.02.08
このフレーズにナイーブなジイは弱い。
「誰かのために何かを」という新聞のタイトル記事が気になった。
その主人公は女性だった。彼女は今風の職業エステテシャンを捨て介護の道に転身した。
今、彼女は入居者が元気に変わっていく様子に生き生きと仕事をする日々を送っている。
ジイは、この大胆な転職も「誰かのために何かをするのが好きなんです」という己の信念を信じ、それに突き進む覚悟に羨望する。
「エステも悩みを持ってる人のお手伝い」だということは、誰かの為にする手段が代わったにすぎなかった。
う~ん素晴らしいと思った。
゙誰かのために゙という気持ちは直接的でわかりやすい。
長年一筋にそば打ちに命をかける人も「お客さんの喜ぶ顔が見たいから」と言うのが続けられる理由であり。
2019年ノーベル賞を受賞した吉野彰さんのように、結果とし社会の役に立つことが原動力という。
人間と言うものは、何気なくしている仕事もどこかで誰かの喜こぶ顔に、頑張る力をもらっているような気がする。
明確に、社長のため、お客さんの為、あの人のため、とか具体的にある人は、より強い情熱にささえられているように思うが、誰でも瞬間の感謝であったり、「ありがとうございました」と心のこもったお礼には、その日を幸せな気分にしてくれることは間違いない。
ジジイは過去を振り返っても、仕事は生きる人間の義務のように思ってきたが、誰かの感謝や幸せに己も幸せに感じたことは何度もあった。
しかし、介護のように感謝されることが仕事になっているような環境で、安定した心の状態を保つのは並大抵なことではない。介護士による事件を見るにつけ、本来は菩薩のような強靭な優しさを必要とするのだろう。
ところが真逆の人生を送る輩がいる。
当たり前だが、人を不幸にして自分が幸せになることはない。
自明の理だ、が
今はやり?と言っては御幣があるが、人を不幸にして辛うじて生きている腐った人間がいる。
オレオレ詐欺だ。
<ここでオレオレ詐欺師に宣告する>
オレオレ詐欺師よ!年寄りをだまして何が嬉しい。
・人を苦しめ・親を苦しめ・恋人もできず・人から好かれず・常に世間から隠れ・自宅への訪問者を恐れ・四六時中警察と世間の目を恐れ・ドアをたたく音に神経をとがらせ・幸せな結婚もできず・相手をだまして結婚をしても寝言で悪事がばれる心配をし・お金を使うたびに汚れた金に睨まれ・汚れた金からは呪われ・語る相手は犯罪者・堂々と温泉も入れず・飲み屋で楽しい話で騒ぐこともできず・最後は金で苦しみながら死に・死に水さえ取られず・腐敗人間のレッテルを貼られ・地獄へ落ちてさらに苦しむ。
地獄では・閻魔様から舌を抜かれ、話すこともできず、何億年も地獄を彷徨い歩き、わずかな食事にありつくには何百回もお経を唱えればならず、魂の浄化には数光年を要するという世界が待っている。
よくもそんな過酷な人生を選択したあなたは、世界で最も勇気ある人間であると認定します。
ここに、表彰状と地獄の扉の鍵をお渡しします。~オメデトウ~。
余談はさて置き、
昔(昭和45年)こんなタイトルの本があった
「誰のために愛するか」(曽野綾子著)
その一説にこんなことばがあった。
たいていのデキのいい夫婦は、
「お父ちゃんは、のんきで、カバみたいで、だらしがなくて、お母ちゃんはおすもうみたいで、算数なんかてんでわかっちゃいなくて、食いしんぼう」という形になる。・・・・らしい。
これは有名な映画だが、
「誰がために鐘はなる」
かの有名なヘミングウェイの小説の映画化だが、冒頭に出る字幕だ。
我は人類の一人なれば
誰の死も我を傷つける
誰(た)が為に弔鐘(ちょうしょう)は鳴ると問うなかれ
弔鐘は汝が為に鳴る
スケールが大きすぎてジジイにはちょっと難しいが、
後、30年もすればわかるような気がする。