石平氏の苦悩
Vol.1-6.19-157 石平の苦悩
2020.06.19
石 平(せきへい)氏は、日本の評論家。主に日中問題・中国問題を評論している。中華人民共和国四川省成都市出身。2007年に日本国籍を取得。2008年4月より拓殖大学客員教授。である。
現在は産経新聞に定期的に論評。雑誌WiLLに「石平が観た日本の風景と日本の美」を連載している。日本通である。
日本で活躍する中国人、韓国人は多い。
その中でも親日であったり、反日家はいる。
<先ず親日派>である。
楊海英・静岡大学助教授、呉 善花(オ・ソンファ)・拓殖大学国際学部教授、WWUK(ウォーク )は、日本語を用いて活動している韓国人で作曲家、YouTuberなどがおられる。
ジイが知る以上の方々は祖国でも優秀なエリートであった。
いろんな事情の中で日本に留学などをして、日本に帰化した人物である。
その後も日本のために評論や大学教授などをしながら日本を愛して日本の良さを理解しかつ日本人よりも日本を知る人物として活動されている。
あくまでもジイの偏見だが、中間色が下記二人だ。
※ 李 相哲(り そうてつ)は、中国・朝鮮族出身のメディア史学者[1]。龍谷大学社会学部教授。東アジアの新聞史、朝鮮半島問題に詳しい。
※ 金 慶珠(キム・キョンジュ、)は、大韓民国 ソウル特別市出身の言語学者。学位は博士(学術)。東海大学教養学部国際学科教授。
どちらもTVにはコメンテーターとしてよく出るのでご存知の方も多いと思うが、日本を嫌っているわけではないが、完全な親日ではない。
ちょっと毛色がちがうのが、在日である姜 尚中(カン サンジュン)氏である。
国籍は韓国、日本の政治学者、熊本県熊本市出身で東京大学名誉教授という立派な肩書を持つ。
「朝鮮半島と日本というふたつの「祖国」は南北統一への長い道のりを共に歩んでいく同伴者にならなければならないのである。」とし、自分の国籍を有する韓国をこよなく愛し、金大中元大統領を尊敬し、南北統一を目指すバリバリの左翼人である。
TBSのサンデーモーニングやNHKのコメンテーターとしては出演が多い韓国人でもある。
是非、韓国に戻って南北統一を実現するため、あるいは韓国と日本の友好の懸け橋になるために人生を捧げていただきたいと思う人物である。
最初に紹介した日本に帰化した方と違い日本で生まれた韓国人、在日と言われる韓国人である。反日で、祖国韓国をこよなく愛する韓国人だ。彼こそ逆に韓国祖国に戻って韓国のために命を捧げる行動をとることが何より彼の意思からしても最も相応しい人生に思うが。
ジイはこの人物を見ると感じるのは日本に対する敵意だ。
強い祖国愛を維持しながらも、日本住み続ける理由とは。日本の中に存在する「反日日本人種族」が彼の居心地の良さを醸成しているというのが滞在理由であるような気がする。
TBSしかり東大しかり、岩波書店しかり、芸能人で言えば吉永小百合さんだろう。
ジイ個人的にはこの顔を見るたびに不快感を感じるが、逆にどんなことを語るのか興味をもって見ているのも事実だ。
ところで、石平氏だ。
日本人になって13年になる。
評論、出版、TVのコメンテーター、客員教授と幅広く活動されているが、中国時代は毛沢東を心から信じ信奉してきた人物である。
それがある事件をきっかけに変化していくのである。
中学校時代、顔見知りの老婆がある日突然がいなくなり、「反革命分子」として政府に逮捕されたことを知る。数日後、老婆はトラックに乗せられ町中の市民に見せつけるため一巡させられた後、処刑場で銃殺される。この老婆が「反毛主席」の大罪で処刑された理由が、「ゴミ捨て場から拾った毛沢東の顔写真が印刷された新聞紙で大根を包んでいたから」ということを後で知った石少年は衝撃を受ける。
丁度、文化大革命という権力闘争末期の中で起きた粛清の一事件だ。
マルクス主義に反するものを徹底的に弾圧、反体制分子(自由主義・資本主義)を抹殺し、僧侶、寺院、孔子、孟子を否定し、徹底的に文化財を破壊した。
粛清された人は2000万人を下らないと言う。1965年~約10年も続いたが、石少年の幼少期から中学時代だ。
北京大学哲学部に入学した石氏は、完全に騙され続けたと気づく。
毛沢東の暴政をつぶさに認識するに至り、「人民の偉大なる領袖」として戴いた中華人民共和国とは一体何だったんだろうかと自問するに至り、毛沢東の再来を防ぐ目的で中国民主化運動に情熱を傾け始める。
昭和63年に日本に留学し、留学中に起きた天安門事件で大学時代の友人の数人が、鄧 小平の凶弾に倒れたことを知り、中国共産党への憤怒と絶望感を抱き祖国中国との決別を決断する。
石氏は
「自分の生まれ育った、中華人民共和国に対し愛着を持っていた。私たちは、別に共産党を敵視していたわけではない。中国共産党を潰そうとはつゆほども思っていなかった。私たちはただ、民主主義の理念をこの国で実現させたい、この国を良くしていきたい、と思っていただけである。しかし、それは許されなかった。」
「1989年6月4日(天安門事件の起きた日曜日)という日は、私にとってまさに人生の生まれ変わりの日であった。青春時代の理想と思いは、胸の一番奥に葬られ、情熱が心の中から消え去った。「あの国」に精神的決別を告げることによって、心の平静さを取り戻すことはできたたが、その反面、いわば政治ニヒリストになり、一種のしらけた、冷笑的な精神を持つようになった。」と述懐した。
文化大革命で破壊された、中国の古き時代の隋・唐文化を守り発展させた日本文化に魅力を感じるようになり、孔子や論語の思想が日本の精神に生き続けていると感激し、次第に「愛日主義者」となっていく。
卒業後、民間研究機関に勤務。平成14年初頭に中華人民共和国国内に広がる反日感情をレポートした書物を出し、論壇デビューする。
石氏の胸の内は複雑であろう。すでに祖国の友人たちは中国共産党の信奉者である。彼らは石氏を「売国奴」と見ているかもしれない。しかし、大国中国に一人の力は無に等しい。自然ニヒリスト(一般に無や空を主張する思想態度)、色即是空の心境にならざるを得ないのかもしれない。
ジイが感じるのは日本に帰化した、呉善花氏と石平氏の顔に漂う寂寥感だ。
呉善花氏と石平氏のように帰化することにより己の心情にケジメをつけようと厳しく律する2人。帰化せず活躍する金 慶珠の明るさからさは何だろうと思う。彼女のしたたかな生き方との違いだけであろうか。
帰化したことが、祖国を捨てたとする心情がどこかにつながっているとそすれば、それは祖国に対する愛情の深さからくる空しさであろうとジイは慮る。
今や、呉善花氏と石平氏は日本の良き時代を伝える貴重な日本人になっている。
第二の祖国で思う存分日本に気を使うことなく縦横無尽の論評を行っていただきたい。
時には日本人の耳に痛いことも言う必要がある時も躊躇はいらない。
日本人より日本の古きを愛するお二人のこれからの活躍を願うのみだ。