登野城尖閣波静かなり
Vol.1-6.26-164 登野城尖閣波静かなり
2020.06.26
沖縄県石垣市議会が、行政区域内にある尖閣諸島の住所地名に「尖閣」を加える議案を可決した。
したがって「石垣市の登野城」だった尖閣諸島の字名は、10月1日から「石垣市登野城尖閣」という住所になるということだ。
変更理由は「登野城」の字名は石垣市の中心部にも存在し、混同をさけるためである。としている。
特別驚くようなことではないが、案の定というか、中国外務省はこの変更を「中国主権への重大な挑発」と非難し「さらなる対応を行う権利を留保する」と語ったそうだ。
ほとんどの日本人にこの変更について聞いたところで「あっ、そうですか」という程度の反応しか返ってこないのではないだろうか。
中には、何故そんな質問をされるのかさえ疑問に思うかもしれない。
それもそのはずである。
日本の国のどこかの村の地名が変わった程度で驚くようなことではないのは当たり前の話だ。
ところがどっこい中国にとっては核心的利益の侵害になるというのだ。
いまなお、ほとんどの日本人は尖閣諸島を中国が自分の島であると言い切っていることすら信じていない日本人がいるのではないか。
中国が今年に入り6月24日で72日間連続で尖閣諸島の近辺を中国海警局の船が航行しているのである。つい先日は日本の漁船が追尾されると言う被害にもあっている。
要は、自国の海に日本漁船が入ったので追い返したと言うのだ。よくもしゃあしゃあと言えたもんだ。
尖閣諸島を自分の国の島だという、厚顔無恥というか、盗人猛々しいという表現が適当かわからないが、ある時期から自分の国の島だと言いだし、チャンスあらば乗っ取ろうと言うのだから凄い。
我が国の領土を本気で奪おうとする、こんな危険な動きにまったく関心がないように見える日本というのはどういうことだろう。
報道しないメディア、さらにニュースも新聞も見ない人間にとって興味すらわかないだろう。ましてや国家意識の薄い日本人にとって危機感を持てと言う方が無理かもしれない。
追尾の時はさすがテレビでもニュースになったが特別詳しく報道なり、特集あるいはワイドショーなどで取り上げたケースはなかったと記憶する。
先日、TBSが報道特集で「朝鮮女子挺身隊」問題を総力を挙げて取材し、韓国との微妙な時期にも拘わらず反日的報道をしたが、この尖閣諸島の問題については見向きもしない。
今回の尖閣の字名についても、玉城デニー知事は「市町村の事務」程度の認識しかなく、沖縄慰霊の式典の中でも中国の連続で尖閣付近を航行する異常な行動にさえ言及しない。という無関心ぶりだ。
中国は、「尖閣」は我が国の核心的利益とハッキリ断言していることの危険を、日本国民にどういう意味であるかをもっと危機感をもって伝えるべきである。
中国の敵意はむき出しである。日本が尖閣を命名した後すぐに、尖閣海底地形に勝手に命名しリストを公表すると言う対抗措置を発表したのだ。何という手際の良さは一歩も引かないと言う意思表示に他ならない。
いつも思うが政府は何を恐れているのかわからない。
沖縄県に至っては、県民の命を預かる知事であれば、日々危険な状態にある漁民の為にも、もっと危機的状況を全国民に向かって発信すべきではないのか。
南シナ海の過去を見れば明らかだが、米軍の手薄になった時に島を占領するのは中国の常套手段だ。沖縄に米軍撤退すれば間違いなく、中国軍は尖閣に上陸、韓国に乗っ取られた竹島と同じ運命をたどるに違いない。
そんなことがあろうはずがないと言うのは、立憲民主党を中心とする野党である。
マスコミ大手もほとんどその手先である。
「竹島」も「北方4島」も日本の島であることさえ知らない世代が増えてきた。
ネットでフリー素材を「尖閣諸島」で探したら、中国の国旗が日本国旗と並べられて出てきたのには驚いた。さらには中国国旗と地球儀だけのもある。素材の極端な少なく一桁。中国への過度の配慮はただ中国に利するだけだ。
何という国土意識の低さだろう。
海で囲まれた島国日本が辿った歴史は、幸運すぎたのだ。
欧米列強時代にあっても浸食されることはなかった。先人たちの努力によるところが大きいが、しかし、大東亜戦争敗戦後、日本の近代史は歴史に葬られたかのように何も語らなくなった。
GHQに意図的に歴史を抹殺されたこともあるが、洗脳された自虐史観を今尚引きずっている。
戦争と言えば拒否反応だけ、ただただ「戦争反対」の平和主義を語るのみ。
これで防衛すら語られず、自衛隊すら憲法違反と言われる始末。
今の日本人、例えば米軍がすべて撤退しても本当に中国も、ロシアも、北朝鮮もどこの国も攻めて来るわけがない。と本気で思っているのだろうか。
米兵にも家族がいる。日本という他国のために命がけで戦うことを日本人は想像したことがあるだろうか。
戦争は嫌です、防衛も嫌です、沖縄の基地はなくしてください。
イージス・アショアはわが故郷にいらない。
イージス・アショアがなくなってよかったと知事は語った。
「わが村にはいらねぇ~、よかった、よかった」と喜ぶ。
知事はわが村だけを守ればいいと言う考えである。
いつの間にか、首長ですら日本という国家意識はなくなった。
政府の尖閣問題に及び腰なのは、自民党の中にあまりにもチャイナ信奉者が多すぎるのである。名前を上げればすぐ浮かぶが、反中国というと全く名前が浮かばない。
「国家中枢に危機あり」が明白である。