怪物・江川

スポーツ 日本 雑記

Vol.1-7.24-192  怪物・江川
2020.07.24

つい最近、BS番組で「あの試合をもう一度!スポーツ名勝負」として
昭和48年(1973)夏「銚子商業 対 作新学院」の試合が放送された。
「怪物・江川最後の1球」として今なお語り継ぐれる名勝負である。

江川は、地方大会から怪物の名前通り数々の記録を打ち立てた。
完全試合2回、ノーヒットノーラン9回、60奪三振、36イニング連続無安打無失点、8者連続奪三振、等々超ど級の高校生だった。

当時のストレートは160kmを越えていたとも言われている。
四球が少なくコントロールされた速球はもはやだれも打てない。なにしろ「ボールがバットに当たっただけで歓声がおきる」ほど圧倒的な力があった。

昭和47年秋の県大会と関東大会を無失点で優勝。
秋季大会成績:7勝0敗 /被安打12 / 奪三振94 / 奪三振率15.96 / 失点0 / 自責点0 / 防御率0.00
これだけで十分怪物である。

<ネット記事からいくつかを拾ってみた>

その噂は、瞬く間に全国に広がった。
通常、県予選の初戦は多くの場合、外野応援席はガラガラとなることが多いが、作新学院の初戦となる2回戦(対真岡工戦)では、怪物・江川を一目見ようと球場は2万人の大観衆で超満員となった。以降も作新学院の試合がある日は、江川見たさに来る車が宮城や東京、愛知などの県外を含めて5000台以上にもなり、球場周辺一帯の道路は試合当日朝から大渋滞で完全に交通マヒとなり、40人以上の警察官が動員された。

<高校2年>
昭和47年夏、第54回全国大会栃木県予選の2回戦、3回戦、準々決勝と3試合すべてでノーヒットノーラン試合(うち3回戦の対石橋戦では完全試合)を達成。
27回を投げて被安打0、47奪三振47、奪三振率(一試合9イニング平均奪三振数)15.7という圧倒的な記録で準決勝に進んだ。
この大会で江川が作った公式戦36イニング連続無安打無失点記録は日本高校野球史上だけでなく、日本野球史上でもいまだに破られていない。

当時、江川は甲子園に出場したこともなく全国的には無名の2年生投手だったにも関わらず、この栃木県予選準決勝での敗退は朝日新聞、読売新聞、毎日新聞などの全国紙だけでなく、全国の地方紙(例:長野県の信濃毎日新聞等)でも掲載されている。

また、この実績から「栃木にはとんでもない投手がいる」「相手校はバントもできず三振の山を築いている」「栃木に怪物江川あり」と全国に知れ渡り、江川との練習試合の対戦希望が殺到。全国各地で招待試合が組まれた。

江川自身は「球の速さで言えば、甲子園に何とか出ようと思って一生懸命投げていた、高校1年の秋から2年生の夏ぐらいまでが、生涯で一番速かったんじゃないかと思います」と後に述懐している。

昭和47年秋の第25回秋季関東地区大会栃木県大会優勝。
関東大会に駒を進めて地元強豪の銚子商が出場するということで試合前から満員のスタンドは銚子商応援一色となった。

しかし、試合が始まると江川の桁外れの凄さに球場全体が静まりかえる異様なムードに包まれた。
銚子商の名将・斎藤監督はこの日初めて江川と対戦したが、最初のバッターへの投球内容を見て「これは完全試合をやられるかもしれない」と危機感をいだいた。

終わってみれば、銚子商随一の強打者、4番・飯野から3打席3三振を奪うなど、強打の銚子商打線をまったく寄せ付けず、1安打完封20奪三振、外野に飛んだ飛球は2本だけ、銚子商はノーヒットノーラン試合を逃れるのが精一杯というほどの完敗だった。

続く決勝では強力打線と好投手・永川英植を擁する神奈川県大会優勝校で東の横綱とも称された横浜と対戦した。江川に対して、強打の横浜は三振を取られまいとバットを一握り短く持って初球から積極的にバットにボールをあてにくる戦法をとった。

しかし、それでも秋季大会(栃木県大会と関東大会)の成績は7戦全勝、53回、無失点、被安打12、奪三振94、奪三振率16.0。新チーム結成以来、練習試合を含む23戦全勝負けなし、113イニング連続無失点で、春の選抜大会に乗り込むこととなった。

<高校3年>
昭和48年春の第45回選抜大会は「江川の大会」ともいわれた大会となった。
初戦は秋季大阪大会で優勝し、出場校30校中トップのチーム打率3割3分6厘を誇る優勝候補の一角、強打の北陽高校(大阪)で大会屈指の好カードとなった。

北陽・高橋監督は、「江川江川というが、まだ高校生。ウチの打線は今が絶好調。ぶんぶん振り回して江川に向かって行きますよ」と開会式前のインタビューで語っている。

インターネットなどがなかったこの時代、全国の多くの高校野球ファンは、新聞報道などで江川の存在は知ってはいたものの、実際の江川の投球を映像で見たことがなかった。そのため、実際にどのくらいの速い球を投げるのか、全国レベルの強力打線にどれだけ通用するのか、ベールに包まれた江川の投球に全国の高校野球ファンの注目が集まった。

3月27日、第1日目第1試合。初めて甲子園球場という全国区に姿を現した「怪物江川」を見ようと、全国の多くの高校野球ファンがテレビに釘付けとなった。

また、江川見たさと開幕直後の地元強豪・北陽戦とあって、甲子園球場は超満員5万5千人に膨れ上がった。
マウンドに上がった江川がウォーミングアップで投げた1球目、大観衆はその球速に「ウォー」と大きくどよめいている。江川は強打者揃いの北陽打線を圧倒、1回の北陽の攻撃では選手のバットにボールを一度も触れさせずに3者連続三振を奪った。

続く2回の先頭打者も1球もボールに触れさせることができず三振。
1番・冠野から2番・慶元、3番・広瀬、4番・藤田と続く北陽が誇る強力上位打線が一人もバットにボールをかすらせることすらできず、観衆は驚嘆し、甲子園球場は異様な静けさに包まれた。

次の5番・有田がこの試合23球目に初めてバットにボールを当てると、有田に対して超満員の観客から大きな拍手が巻き起こっている。

初回先頭打者から4回2死までアウト11者連続奪三振、秋季大会で打率4割2分・3本塁打・21打点の成績を残した北陽ナンバーワン強打者、4番・藤田からは4打席4奪三振、最終イニング9回も2番・慶元からの好打順に対して、3者連続奪三振、結局、この試合を19奪三振完封勝ちと、鮮烈な甲子園デビューを飾った。

試合後のインタビューで北陽・高橋監督は「生徒にはまっすぐを狙わせたが、スピードがありすぎてバットに当たろうともしなかった。途中から作戦を変えて、短打打法に切り替えたが、全くだめだった」と語っている。

この試合以降、この選抜大会は江川一色の大フィーバーとなった。江川が登板する日は、江川を一目見ようと甲子園周辺一帯が数千人のファンで埋め尽くされて身動きできない状態となり、警官数十人が警備にあたったが、それでもバスから降りた江川らが甲子園球場になかなか入れないくらいの大混乱状態が続いた。

2回戦で江川と当たる小倉南(福岡)の重田監督とナインは、この1回戦・作新学院対北陽戦を甲子園のスタンドから観戦した。

ここで出場校一とも言われた強打・北陽打線が赤子の手をひねるように江川に圧倒された試合を見て、このままでは勝てないと考え、江川対策を練った。小倉南は選手全員がバットをふた握りも短く持って登場し、初球から徹底した短打とバント戦法で江川に食い下がり、スタンドがどよめいた。

4月3日の準々決勝では、秋季愛媛県大会優勝、四国地区大会でも優勝し、優勝候補の一角と言われた今治西(愛媛)と対戦した。

この今治西に対しても江川は速球、変化球ともに冴え、「怪物」ぶりを発揮。7回2死までヒットはおろか一人のランナーも許さず14奪三振。結局、8者連続を含む毎回の20奪三振で1安打完封。

フェアグランド内にボールを打ち返せたのは2番~5番バッターだけで、1番、6番~9番バッターはフェアグランド内にボールを打ち返すことすらできず、15アウト15三振(1番4三振、6番3三振、7番3三振、8番2三振、9番3三振)、この試合、外野に飛んだ飛球は初回の右飛と2回の左飛の2本だけと圧倒的な力の差を見せつけた。

この試合での8者連続奪三振は、大正15年夏に和歌山中学・小川正太郎が達成した夏の大会記録に並ぶもので、春の大会としては史上最多記録。

試合後のインタビューで今治西・矢野監督は「選手にバットを短く持って当てていくように指示したが、どうしても打てなかった。もう一度対戦しても打てませんね。と語った。

北陽19奪三振、小倉南10奪三振に続いて、強豪・今治西を1安打20奪三振で一蹴し、3試合25回を投げて被安打6、無失点、49奪三振、奪三振率17.6。その圧倒的な力にメディアも「江川をどのチームが破るのか」という興味から、「いったい江川は大会通算いくつの三振を奪って優勝するのか」という興味に変わるほどであった。

4月5日の準決勝は広島県代表の試合巧者・広島商。
広島商・迫田監督は試合前のインタビューに「他のチームのことは一切考えなかった。江川をいかに崩すか。それだけを頭に描いて選手を鍛えてきた」と語っている。

試合では選手に「江川もこれが甲子園4試合目で疲れている。一人最低5球を投げさせろ」と指示した。具体的には全選手が高めの球には一切手を出さず、バッターボックスのホームベース寄りに立って内角の球を投げ難くさせるとともに、徹底してバットを短く持ち、外角低めの球に的を絞ってファウルを打つことにより、投球数を増やして江川の精神面を崩す作戦に出た。

江川は8回を投げて(完投)、被安打2(ポテンヒットと内野安打)、毎回の11奪三振と、ほぼ完璧な投球だったが、広島商は1対1で迎えた8回裏2死一・二塁から無謀とも思えるダブルスチールを敢行、予期せぬ動きに慌てた小倉捕手の三塁悪送球を誘い、二塁走者の金光興二がホームを踏んで2点目を奪った。この得点が決勝点となって作新学院は1対2で敗れ、ベスト4で姿を消した。

江川はこの大会で通算60奪三振を記録。昭和5年選抜優勝の第一神港商・岸本正治の作った54奪三振の従来記録を43年ぶりに塗り替えた。この選抜大会60奪三振の記録は現在でもなお破られていない。

甲子園通算80奪三振以上の投手の中で奪三振率14.0は、横浜・松坂大輔、駒大苫小牧・田中将大、東北・ダルビッシュ有、大阪桐蔭・藤浪普太郎など並み居る歴代の好投手と比較しても、ずば抜けた断トツ1位の記録である

過去の高校野球球児の記録を全て塗り替えたのはもちろんだが、その風貌、冷静さ、語り口はすでに立派な大人を思わせる堂々たるものがあった。

試合運びは緩急自在、ここぞという時の力はバットに当てることすらままならない程の威力を発揮した。

今回BSで放送された昭和48年夏「銚子商業 対 作新学院」の試合。ジイも生で見た。土屋投手の顔をみて当時の雰囲気が蘇った。
7回銚子商業の攻撃の場面、この試合初めてのピンチを迎えた。

最初のバッター4番・木川、振り遅れで詰まった打球がライト前ヒットとなり先頭打者出塁。
次に5番・青野、江川とは相性がよく自信を持っていた。狙いはアウトコースでライト狙い。青野は一瞬バントの構えで打席に入った。江川もここはバントと思ったのであろう、つい素直な投球となった。江川に自信を持つ青野、バントの構えからヒッティングにでたのだ、これが決まってレフト前ポテンヒットとなった。

そこでノーアウト1塁、2塁。本日バントを決めている6番・岩井が打席に入った。
再三2塁への牽制球を投げる江川、しかし、ここはバントを決められ、1out、2、3塁とし、本日初めてのピンチを迎える。
7番・磯村。1球目を強打。3塁フライに打ち取る。
2out、2、3塁変わらず。8番・土屋が打席に入った。
本気で投げたのはこの回だけではないか。

1球目、ストレートがストライクに入った時だ。
解説者が思わず、
「ここは思いっきり投げてますね、いつ全力投球するか、期待していたのですが」
と江川はめったに全力投球しないことを語った。
「今のカーブも非常にブレーキがありますねえ」と、やっと本来の江川の投球がみられたことに興奮を持って解説した。
結果、3球三振でランナー残塁。この回を無事切り抜けている。
その後も両者ゆずらず、回は運命の12回となった。玉数は150球を超えた。

幕切れはあまりにもあっけなかった。
1out満塁。スリーボールになったところで、野手たちはマウンドに集まった。

最後の1球だ『お前のおかげでここまで来た。お前の好きな球をなげろ!』

雨の降りしきる中、最後の一球は無情にも大きく高め浮いた明らかにボールとわかる球だった。
江川の夏は終わった。押し出しのフォアボールである。この投手にしてはあまりにも不似合いな幕切れであった。
表情一つ変えずにマウンドを降りる江川、やはり怪物であった。

ジイはこの江川を初めて見たのがS48年春の選抜だった。S48年夏の甲子園も見た。実際に見た江川は本当に凄かった。ジイは今なお、後にも先にも怪物と呼ぶにふさわしいのは江川一人であろうと思う。

あの夏の試合、1番打者から、バットを短く持ち、バントを構える姿から江川の怪物ぶりに興奮した。
テレビではあったが、リアルに江川を見られたのはこの時代に生きた幸せを感じるほど感動ものだった。

ジイがプロ野球を見なくなったのは、江川が巨人を退団した時からだ。

それ以来、イチローのメジャーリーグは見るが、日本のプロ野球を見る気がしなくなった。

今なお、江川氏を見ると、どこかすべてを出し切っていない含みに不思議な興味を抱く。
ただ、一度でいい、ジイが生きてる間に、巨人の監督としての江川を見てみたい。