おめでとう照ノ富士
Vol.1-8.3-202 祝 優勝 照ノ富士
2020.08.3
大相撲7月場所は大波乱となった。
『幕尻』照ノ富士が2度目の優勝を果たしたのだ。今年の初場所で「徳勝龍」が幕尻優勝をしたが、まさか、ふたたび幕尻優勝である。
ちょっと違うのは、以前には横綱近しとまで言われた大関・照ノ富士、復活優勝は波乱に満ちている。さかのぼること5年前、照ノ富士は、平成27年夏場所での初優勝、初土俵から4年目のスピードで成し遂げている。
身長192cm、体重180kgの巨体の馬力はメガトン級。正攻法の寄りに徹し、右四つに組み止めて左上手を引き付けて胸を合わせて寄り切る堂々とした取り組みから、横綱は時間の問題と思われた。
ところがである。
2015.9月場所、稀勢の里戦で寄り倒され右膝を負傷。その後がケガと病気に悩まされた。
2016.1月初場所の碧山戦で右肩負傷、休場を余儀なくされ、次の3月場所では早くも角番を迎える。
その後はまるで傷だらけの天使である。
ケガの状態は思うように回復せず、10連敗、11連敗を記すなど、ついに13連敗と大関ワースト記録を作るという不名誉な記録まで作ってしまった。
その後も膝の恢復は完全でなく、アップダウンの繰り返しである。
いよいよ膝の手術を決断するに至る。そして2017.11月場所、ついに大関を陥落となるのである。
悪いことは続くものである。その後は糖尿病も発症。2018.1月場所には東前頭10枚目まで番付を落とした。
その後も体調は思うように回復せず、自己ワースト14連敗を記し、元大関の十両陥落は、大関陥落からわずか2場所だった。
さらに、病気に膝の古傷から思うような相撲が取れず、17連敗を記すこともあった。
2018.6月、ついに幕下になった。
大関経験者、幕内優勝経験者が幕下に下がるのは前代未聞、初めてのことであった。
2018.9月場所は東幕下47枚目。休場がたたり、翌11月場所は三段目に下がり、2019.1月場所はついに、西序二段48枚目と言う屈辱的な番付をもらうこととなった。
それでも、伊勢ヶ濱親方は引退の「い」の字も口に出さず「関取に上がるためにやっている。万全の状態にしないといけない」と叱咤激励し続けたのである。
3度目になる膝の手術では洋式トイレに座ることすらできなかったという。本人、照ノ富士からの引退申し出は6回に及んだ。相撲をやめモンゴルに帰郷、本気で転職を考えるまでになっていた。
しかし、師匠をはじめ、多くの人の応援と支えに、続行を決意したという。あの大きな図体である。病気、ケガは命取りだ。その決断は命を賭けたものであったろう推察する。
ここから、スタローンの「ロッキー」張りの挑戦が始まるのである。ウエイトトレーニング、ウォーキングでの体作り、摂生に努め、徐々に回復していったのである。
その後はまるで降りてきたエスカレータを上りに乗り換えたかのように復活の兆しをみせる。どん底であった幕下での優勝。十両優勝、さらに2場所連続で2ケタ勝利をおさめ、コロナで本場所が延期された7月場所に幕尻で入幕を果たす。凄いぞ照ノ富士だ。
そこで迎えた今場所である。
7月場所前の7月9日、日刊スポーツの取材に応じ「こういう時期だからこそ、乗り越えてきた自分だから言えることもある。みんなに我慢ということを相撲でちょっとずつ伝えていきたい」と話した。
最初はそれほど注目もされなかったが中日をすぎ全勝ターンするあたりから注目度はあがった。
そして13日目、復活証明の天王山「朝乃山 対 照ノ富士」戦迎えるのである。
照ノ富士の気迫や、まるで昇り龍のごとき仮相だ、「必ずや支援者のために勝つ」勝利への熱い思いが人相を変えた。
片や朝ノ山、いつもと変わりなきに見えたが、あまりにも照ノ富士との対称の差が、外目には、幕尻と見くびったかに見えた。いわゆる相手の力量プラス、心に期する力を軽視した朝ノ山に隙ができた。とジイは見た。
案の定、照ノ富士は自力以上の力を「気」で賄ったのだ。
勢いもあったが、人と言うのはここぞと言う時の馬鹿力というのは、信じられない程の力を発揮するのである。
金星を上げた力士のインタビューに「無我夢中で何も覚えてない」という力士インタビューは良く聞く。
“勢い”と“気” 侮れない力を発揮するのである。
昔から病は気からともいう。「気」と言うものの力はそこはかとない力になる。気を軽視した「朝ノ山」、まだまだ横綱へは勉強が必要である。
いずれにしても復活に人生をかけた「照ノ富士」
あっ晴れである。 おめでとう!!
絶っている酒、今日ばかりは解禁されるのではないか。