生涯一捕手

スポーツ

Vol.2-14-31   生涯一捕手
2020.02.14

野村克也氏が84歳で亡くなった。また大きな星が消えた。
「昭和は遠くなりにけり」もう何回使ったかのう。

生涯一捕手。この響きが何とも言えないね。
生涯を一つに懸けるという職人気質がジイは好きだ。
昨年亡くなった400勝投手、金田正一もそうだ。
野村も金田も野球が好きだっというより、生きていくために(稼ぐために)命をかけたのだ。

その証拠に、金田は高校時代には電気技師を目指していたし、貧しさから脱することが最大の目的だった野村は歌手になろうとコーラス部に入ったり、俳優になろうと映画館通いをしたりしていたという。
この二人のレジェンドは仕事(野球)に対する向き合い方が違う。
情熱などという生ぬるいものではない。負ければ死ぬ(失職)という覚悟だ。

生きることに必死だったのだ。

金田は、六大学から華々しく入団した新人長嶋茂雄に対して、「こんな若造に負けるか」と初打席4三振は奪ったのはあまりにも有名だ。

一方野村は、昭和29年(1954)南海に契約金ゼロのテスト生として入団した。
野村の現役通算成績は安打2901、本塁打657、打点1988で歴代2位というめっちゃすごい成績なのだ。
更に、戦後初の三冠王という偉業も成し遂げた。
その野村が史上2人目となる記念碑、600号を打った時の観客はわずか7,000人。
試合後、語った言葉が渋い「長嶋・王は多くの人前で華々しくやれるひまわり、私は人目につかない所でひっそりと咲く月見草」と語った。
月見草が野村の代名詞となるが、こんな言葉は草を噛むような悔しさを経験しなければ出るような言葉ではない。

野村は現役引退後150冊に及ぶ出版物があるが、おそらくダントツだろう。

その本には多くの野村語録が残されている。

・「恥ずかしい」と感じることから進歩は始まる。
・ちっぽけなプライドこそ、その選手の成長を妨げる。
・「叱る」と「褒める」というのは同意語だ。
・限界が見えてからが勝負だ
・自己を過大評価した瞬間から、思考の硬直が始まる
・どうやったらライバルとの競争に勝てるか考えたとき、1日24時間の使い方の問題だ、と思った
・組織はリーダーの力量以上には伸びない。
・リーダーは「利益と尊敬と、少しの恐怖」で組織を動かしていくべきで、その潤滑油が「笑い(ユーモア)」だ。
・コンピューターがどんなに発達しようとしても、仕事の中心は人間だ。ならばそこには「縁」と「情」が生じる。それに気づき、大事にした者がレースの最終覇者となるのだと思う。

数々の言葉を残して、昭和の一つの灯りが消えた。
懐かしき昭和、稲尾、杉浦、山内、米田、小山、村山、江夏、、、、、ああ、昭和。
昭和という時代、決してノスタルジーだけではない。演出ではない生々しい生き様に共感できた時代だった。

ジイは1987年、江川の引退を最後に野球に興味を無くした。

再度、野球に興味を抱かせてくれたのは、14年後のイチローの大リーグ入団まで待たねばならなかった。