中国警戒・新垂中国大使

日本,雑記

Vol.1-10.16-276    中国警戒・新垂中国大使
2020.10.16

新中国大使が11月より赴任する。

めずらしく「中国当局が警戒する人物」と評される外交官とはいかなる人物か。

14日、NHKが単独インタビューを放映した。

 垂氏は外務省で中国語を研修した、いわゆる「チャイナスクール」出身で、これまで中国課長や中国駐在の公使などを歴任し、中国共産党や政府要人に幅広い人脈を持っている人物としている。

<以下、NHKの単独インタビュー及び記事の一部である。>

「中国関係を長くやってきた人間として、大使になるのは非常に光栄だ。積み重ねてきた知見、経験、人脈。いま発揮しないと、これまで何のためにやってきたのかとなる。私を養ってくれたのは日本国民の税金。国民にお返しするためにも、中国との関係でしっかり仕事をしていく」とまず語った。

垂の経歴は異彩を放っている。
外務省入省後、それまでまったく学習経験のなかった中国語を専門の語学に選んだ。以来、南京大学への留学を経て、赴任地は北京、香港、台湾という中国語圏のみ。台湾は2回、北京での勤務は今回で実に4回目となる。

外務省の中国語研修組、いわゆる「チャイナスクール」の中でも、中国語圏以外に一度も赴任しなかったのは極めて異例だという。

北京赴任時代を垂はこう振り返る。
「能動的に人に会った。ある1年を数えてみたら、年間で300回以上中国人と食事をしていた。昼、夜、必ず誰かと食事し、自宅で食事したのは月に1回くらいだった。飲みにも行ったし、中国政府や中国共産党の中枢の人とゴルフを一緒にやったりもした。とにかくいろいろなことをやってきたのは事実だ。

人脈づくり、情報をとるために垂は、寝る間を惜しんで中国人と付き合ったという。要人とカラオケに行き、飲んだあとはサウナにも一緒に入った。人間どうしの付き合いをとことんまで突き詰めた。

こうした人脈づくりを地道に続けた結果、時として、外国人では知り得ないはずの人事や機密情報を耳にすることもあった。そんな時は、どんなに遅い時間でも大使館に戻り、本省へ公電を打ったという。

「中国共産党の内部情報にどれだけ食い込めるかということをずっとやっていた。いわゆる民主活動家や、反共産党のような人たちとも『付き合わなきゃいけない』と言って、幅広く接触していた。
後にも先にも、こういう人は出ない」と断言するほどの人物だ。

垂のモチベーションは一体、どこから。
「お国のためという気持ちがいまほどあったかというと、30代くらいのときはそうではなかった。むしろ、中国について誰よりも知りたいという個人的な気持ちの方が強かった。中国通になりたい、中国を究めたいという気持ち。それに尽きると思う。叱られるかもしれないが、芸術家や職人がその道を究めたいと思うのと、もしかしたら同じじゃないかな」

誰よりも人に会い、中国を極めようとした情熱家、垂氏の人物像が浮かぶ。

<垂水氏には努力が結実した、忘れられない瞬間があるという>
日中関係が冷え込んでいた、小泉政権下の2006年夏。当時の外務事務次官、谷内正太郎に「もうじき、安倍晋三総理が誕生する。日中間の新しいコンセプトを考えてほしい」
10日間ほどかけて垂が考えついたのが、「戦略的互恵関係」という言葉だった。

さまざまな懸案はあっても、そこで対話をやめてはいけない。お互いの戦略的な利益のために意思疎通を続け、日中関係の発展を目指すべきだという。

この年の9月に総理大臣に就任した安倍は、翌月、初めての外国訪問として中国を訪問。国家主席の胡錦涛に「戦略的互恵関係」を提起した。いまでも日中関係を示す上で欠かせないキーワードになっている。

「安倍総理大臣の訪中は日本で見ていて、NHKや各社の報道で、『戦略的互恵関係』ということばが踊ったときは、胸が熱くなった。外部環境に影響されずに付き合っていくことがお互いの戦略的利益だと確認し、安定的な関係を構築していくこと。これがやはり大事だと思う」

私たちは簡単に聞き流してしまう『戦略的互恵関係』ということば、その言葉には垂水氏が30年以上に亘り中国を徹底して知ろうとした結果の結論として出てきた言葉だ。頭の中だけで考えて出した結論ではないと言うところに、この言葉の意味を改めて考えてみる必要がある。

フットワーク軽く中国共産党の中枢に飛び込み、台湾での人脈も太くした垂は、中国からするとかなり目立つ存在だったのは間違いない。

何者の仕業かは判然としないが、何度も脅しを受けたほか、自宅のファックスが鳴り続け、延々と白紙が排出される嫌がらせも受けたという。

垂は中国当局からの盗聴に備え、携帯電話を何台も所有し、携帯電話に差し込む「SIMカード」と呼ばれるICカードは頻繁に使い捨てた。

2013年、北京の大使館で政治担当の公使を務めていた垂は、外務省本省からの指示で、任期途中で緊急帰国。政府関係者の多くは、中国側が垂の情報収集能力を警戒し、監視を強めたことが関係していたのではないかと推測する。

「中国についておかしいと思うことは、みんなが感じていることだ。そのことをどうやって中国に伝えるかというのが大事で、人脈を作ってちゃんと伝えてあげればいい。お互いに国益がぶつかることもあるが、妥協の余地があるのか、ないのか。協力すべき空間があるのか、ないのか。それを探すのが外交だ」と外交の本文を語った。

東シナ海や南シナ海への海洋進出、「新冷戦」と呼ばれるほど激しくなる米中の対立、統制を強める香港情勢など、中国をめぐる問題は枚挙にいとまがなく、日本国内の中国に対する視線も厳しさを増している。

外務大臣の茂木氏は、日中関係が不透明感を増す今だからこそ、中国に精通した人間が中国大使を務めるべきだと判断し、垂を選んだ。しかし、垂の置かれる環境はかつてなく厳しい。

インタビューで垂は、急激な改善と悪化を繰り返す、それゆえ「一喜一憂すべきではない」と指摘。そして「戦略的互恵関係」に基づき、外部環境に影響されず、50年、100年と、長期的に安定した関係が築けるよう努力していく必要性を強調した。

「ぜひやりたいのは、日本をプロモート(宣伝)することだ。民主主義がしっかりと根付いて、自由が享受できる日本の魅力を中国の1人でも多くの人にプロモートしたい。実は日中の間には、魂と魂がふれあうような人間ドラマがたくさんある。その人間ドラマが織りなすのが日中関係であり、魂と魂がぶつかり合う物語は今後も続く。私も物語の参加者の1人として、中国の社会が、昨日より今日、今日より明日、良くなっていくことを強く希望している」と語った。

このインタビューをジイも見ていたが、「民主主義がしっかりと根付いて、自由が享受できる」この我々が普通のことに感じているこの環境が決して多くないとし、垂水氏自身がそのことの重要性を強く感じていることに少々驚くとともに、そのことを中国人にしっかり宣伝したい。と言う言葉に興味を持った。

「日本の自由で開かれた民主主義」が本当の意味において隣国の中国でさえ知られていないということだろう。

30年以上に及び中国、台湾を舞台に「中国を極める」に命を賭けた男のことばは決して軽くない。

元中国大使の丹羽宇一郎のような中国のメッセンジャーボーイではないことは確かだ。この最も厳しい環境であるからこそ垂氏は人生をかけるに相応しいと認識したのではないか。

楽しみになってきた。垂氏は11月に北京に赴任予定だ。

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Posted by 秀木石