朝晴れエッセー

日本 雑記

Vol.1-11.1-292    朝晴れエッセー
2020.11.1

毎日、新聞に掲載される読者からのエッセー。
単純に面白いものもあれば、悲しい出来事、感動もの、昔の思い出等々、皆それぞれの思ったことを600字に綴るエッセーだ。

今日のエッセーは「真珠のなみだ」という75歳の女性からの投稿だった。

75歳にして今年の春から職場に復帰したという。
75歳にして働ける場所があっていいなあ、と思いきや、施設の介護ヘルパーだという。なるほど職場復帰とあったから、長年勤めた経験もある、それに当然介護の資格も持っておられると言うことだろう。それで納得した。

ジイは高齢者になって職場探しに8カ月かかった。その大変さがあるので、75歳と聞いて最初はびっくりした。75歳の女性をハイOK~と簡単に雇ってくれる職場はそうそうない。彼女のようにちゃんとした資格があるということが如何に職を探す上で有利であるかと言うことだ。

昔の人はよく言ったものだ「手に職をつけなさい」と。いわゆる仕事に就くための「技能や資格」を身につけなさい。と諭されたものだ。特に昔の女性は家にいることが多かった。自宅にいても食っていけるために、例えば裁縫とかあるいは何々の資格というものをとっておけば身を助ける。生きることへの覚悟を教えたのだ。

今の時代、経済は発展し昔とは比較にならないほど多種多様の職業がある。インターネットなるものだけでメシを食える時代である。しかしそれであってもそれを十分使いこなせるだけの技能が必要である。それはある意味「手に職をつけた」と言えるのではないか。

この75歳の女性、「むずかしい人、力のいる入所者は若く熟練の技術のあるヘルパーがやってくれる」とある。おトシと経験を酌量しもっとも適した患者の何人かが割り振られたのだろうと推測する。

その中にお気に入りのKさんがいる。その入所者は午前10時に「コーヒーサービス」に食堂にやってくるという。
Kさんは白い肌に目鼻だちの整った美人らしい。彼女はこのKさんのことを私の上客と言って気に入っている。彼女のKさんに対する感情はきっと言わず語らずに伝わることだろう。人間として幸せな関係である。

ある日、初めてそのKさんを散歩に連れ出した夏の日のことである。
施設に庭園があり、高台から八甲田山からつらなる森が見える。Kさんはバイパスを走る車を指さししたりはしゃいだりとても楽しそうにした。

Kさんはいつも車いすに乗ったまま外をぼんやり見つめていることが多い女性だ。そのKさんが急に静かになり、彼女を見上げた目には涙が、、、大粒の涙がポロリポロリとこぼれたのだ。

彼女は車いすの横にしゃがんでKさんの手をそっと握った。思いもかけずKさんが握り返してきたのだ。

認知症も進んでいるのであろうか、口数の少ないKさん。外をぼんやり見つめることが多いKさん。走る車の姿に何を感じたのか、何かを思い出したのか何もわからない。しかし、黙して語らない目から大粒の涙があふれたのだ。

この時、彼女は余分な言葉をかけず、Kさんの手を優しく握っただけだ。75歳の女性にしかできない、出しゃばらず、ただ敬意を込めて相手に寄り添う。介護の神髄を見たような気がした。