年賀状の未来
Vol.1-11.8-299 年賀状の未来
2020.11.8
年末だなあと思うのは年末でないと来ない「保険料控除証明書」と「喪中ハガキ」が届くことである。ああ、今年ももうそんな時期になったかと1年の早さを実感する。。
今年もすでに喪中ハガキが何枚かきた。
今までと違うのは喪中の知らせの中に「妻 ・ ・ ・ 」と記されるようになったことだ。そうか、団塊の世代は高齢者になったのだと改めて我が身の置かれた立場をかの昔の年寄りと重ねてみる。
そういえば年賀ハガキもすでに10月29日に発売されている。早い人は年賀ハガキの作成に入る人がいるかもしれない。
10年前から毎年発行枚数は減少しており、今年は19億4000万枚ということだそうだ。郵便局もあの手この手で販売枚数を増やそうと、早速、爆発的人気に沸く「鬼滅の刃」年賀状を発売と気合が入る。
因みに2001年の発売枚数が40億2000万枚だそうだが、20年で約半分、20億枚減ったということだ。
もうずい分前からスマホの影響で、若い人の間ではメール、やラインで「ヤッホー!!明けておめでと~~~」で済ましているのであろうと推測する。その流れはさらに加速され年賀状は更に減るだろう。
年賀状の習慣は日本独自の文化であるが、お隣り中国は春節に、韓国を含めキリスト圏はクリスマスカードが主流、イスラム圏はその習慣なし。
日本のこの年賀状文化、歴史は古く、平安時代までさかのぼる。現存する日本最古の年賀状といわれるのが、平安時代の学者である藤原明衡が作った手紙の文例集『庭訓往来』の中にある正月の文例がある。
「春の始めの御悦び、貴方に向かってまず祝い申し候」(春始御悦向貴方先祝申候訖)とある。
今のような年賀状になったのは明治から、そして、現在と同じように年末のうちに受け付けて元日に配達する年賀郵便の特別取扱いが始まったのが明治32年。
時が進み、お年玉付き年賀はがきが発売されたのが昭和24年ということだ。
年賀はがきの「特賞の商品」も時代を反映してる。
昭和24年の最初の特賞は「ミシン」その後、電気洗濯機、電子レンジ、ビデオテープレコーダー、最近では国内外の旅行や液晶テレビなどだ。
特賞商品はともあれ、年賀状からも手紙文化が消えていくのが少々さみしい。たとえば、中学、高校、大学の友人に何十年も経って突然近況が知りたくても突然手紙を出すのは相当勇気がいる。年賀状はそんな年に1回だけのつながりがあの頃の思い出を今に繋いでくれる。
年賀状は1年に1回の思いでの結び目である。ところが、若い時と違い、歳を重ねるにつけ1年1年結びが弱くなる。そして、ついに「今年をもって、、、ご挨拶を遠慮したい」と断腸の思いの知らせがくる。書くのさえ大変な体になったということの知らせだ。
20年ほど前からだろうか、企業では社員の形式だけの賀状のやりとりを自粛する動きが広がった。年賀状が減るようになった一つのきっかけかもしれない。
確かに、企業間はそれでいいのかもしれない。また、上司と部下、あるいは形式だけのやりとりは無駄であろう。
ただ、年賀状文化には字を書くということに加え、中には年に1回気兼ねなく毛筆を使うチャンスでもある。普段毛筆で手紙でも書こうものなら、ちょっと?おかしくなったか?とあらぬ疑いをかけられかねない。しかし年賀状ならそんなこともない。
手紙と言う観点からも、この時代ほとんどスマホで済ませる世の中、唯一年賀状には手書き文にお目に書かれる少ないチャンスだ。すべて印刷というのはほとんど素通りだが、ほんの少しでも近況や何かの思い出話が書かれた賀状はなかなか捨てられない。
ジイのように年賀状を住所録に使っていると、印刷だけのものは新しい年賀状と即入替え、古いのは捨てられていくが、手書きや家族写真付などはなかなか捨てらない。ある家族は何十枚にもなって、そのご家庭の成長記録なっていることもある。
何でもデジタルで済ませる時代。紙と墨の匂いがいにしえの平安時代につながると思うだけでもほんの少し豊かな気分にもなれるというものだが、文字を書くという習慣が無くなることも決して非現実的なことではない。
来年からデジタル化が一気に進む。「お茶」や「生け花」のように習い事の一つとして「手書き文字」という新しい時代がくるのもそう遠い先の話ではないような気がする。
年賀状はデジタル年賀状に切り替わり、年末年始の忙しさはなくなる。郵便局のサーバーに送ることにより一応年賀状の雰囲気を残ながらもほとんどはスマホで受けとることになろう。