紅白歌合戦・今昔
Vol.1-11.18-309 紅白歌合戦・今昔
2020.11.18
昨日、紅白歌合戦の出場者が発表になった。
悲しいかな、名前を見て知っている歌手は20名にも満たなかった。なおかつその20名についても歌える歌は1曲もなかった。
当然の如く、時代は流れている「歌は世につれ世は歌につれ」なのだと納得するより仕方ない。
紅白歌合戦が始まったのは昭和26年(1951)。まだGHQの占領下である。その12月に第一回のNHK紅白歌合戦はスタートした。
第一回はさすがジイも記憶がない。あの懐かしい「東海林太郎、藤山一郎」の世界である。当時は男14名、女14名であった。
私は今でも東海林太郎のファンである。
「名月赤城山」 ♯~男ご~こ~ろ~におとこ~が ほれて~、、、♭正装し、直立不動の姿勢で歌うあの姿は何とも言えない。後に知ったが、クラッシックをやる望みをいつも持っていたというから、そのために姿勢は崩せなかったのではないかと納得した。
それから10年ほどし、年末恒例の番組として人気も定着し出場者はほぼ今と同じ25名ずつの50名になったようだ。
当時は、まだまだテレビは一般家庭になかった。娯楽の少ない時代、昭和32年(1957)あたりから徐々に普及し始め昭和35年から急激に伸び、昭和38年には一気に90%近くまで普及するに至った。
なんと、昭和38年の紅白歌合戦の視聴率は81.4%である。ほとんどの国民が年末午後8時には白黒テレビの前に集まって紅白歌合戦に拍手をしていたと言うことだ。何とも幸せな時代だった。
因みに昭和38年の出場歌手は
<女性>
弘田三枝子、雪村いづみ、こまどり姉妹、江利チエミ、吉永小百合、島倉千代子、朝丘雪路、島倉千代子、倍賞千恵子、ザ・ピーナッツ、美空ひばり、他14名。
<男性>
北島三郎、守屋浩、アイ・ジョージ、三橋 美智也、村田 英雄、橋 幸夫、フランク永井、ダーク・ダックス、舟木 一夫、坂本 九、春日 八郎、三波 春夫、他9名
であった。昭和初期のお生まれの方には懐かしい面々である。
その後、演歌を含めた歌謡曲、ポップスなどが入り混じった時代が続き、紅白歌合戦もまだまだ人気も高く国民的行事として君臨した。紅白に出ることが歌手の大きなステータスでもあった。
時代の変わり目となったのは昭和47年(1972)、ユーミン(荒井由実)や井上陽水、昭和50年(1975)中島みゆき、昭和53年(1978)サザンオールスターズという、いわゆるシンガーソングライターと言われるビッグ4の出現から世の中の歌は新しい時代へと変化していった。
作曲家も
昭和20年代のレジェンド 古賀政男、服部良一、古関裕而から、昭和30~40年代の遠藤実、市川昭介、吉田正。昭和40年代から60年あたりまでは平尾昌晃、筒美京平、三木たかし、川口真、都倉俊一らが時代を牽引した。作曲家たちも年齢を重ねて行く中、時代はシンガソングライターが歌謡界の主流を占めるようになったようにジイは感じる。
時代の流れだろう、平成10年にモーニング娘が登場した頃から、横文字の歌手が目立つようになった。例えば、DA PUMP、MAX、LUNA SEA、L’Arc~en~Cielなどは全く別の世界の人間に思えたものだ。
ジイが最後に紅白を見たのは平成12年(2000)。その年はシドニー五輪で日本人が活躍した年だった。
特別ゲストに長嶋茂雄・谷亮子・高橋尚子の3人が特別ゲストに、さらに中村勘九郎、コロッケ、いっこく堂、志村けん、ビートたけし、爆笑問題、さらにさらに多くのメダリストたちが特別審査員に招待され歌手よりもゲストが華やかな年だった。
この年を境に紅白から遠ざかっていったような気がする。
令和元年(2019)の視聴率は34.7%。ここ数年は30%台をキープしている。視聴率から言えばダントツである。しかし視聴者は老若男女とは言い難い。若い人に引っ張られているか、とりあえず見てみるか?程度のことであるまいか。
これからどのような推移を辿るか想像もつかないが、紅白に限らず老若男女、誰もが口ずさめるような歌があった昭和をどうしても懐かしんでしまう。良き時代であった。