選択的夫婦別姓の危険

日本,雑記

Vol.1-11.19-310  選択的夫婦別姓の危険
2020.11.19

選択的夫婦別姓導入問題がまた再燃してきた。

法務省によると
現在の民法のもとでは、結婚に際して、男性又は女性のいずれか一方が、必ず氏を改めなければならない。しかし、女性の社会進出等に伴い、改氏による社会的な不便・不利益を指摘されてきたことなどを背景に、選択的夫婦別氏制度の導入を求める意見がある。

法務省においては、選択的夫婦別氏制度の導入が提言され、この答申を受け、平成8年及び平成22年にそれぞれ改正法案を準備ししたが、様々な意見があること等から、いずれも国会に提出するには至らなかった経緯がある。

平成29年に実施した「家族の法制に関する世論調査」の結果である。

(1)婚姻をする以上、夫婦は必ず同じ名字を名乗るべきであり、現在の法律を改める必要はない → 29.3%

(2)夫婦が婚姻前の名字を名乗ることを希望している場合には、夫婦がそれぞれ婚姻前の名字を名乗ることができるように法律を改めてもかまわない → 42.5%

(3)夫婦が婚姻前の名字を名乗ることを希望していても、夫婦は必ず同じ名字を名乗るべきだが、婚姻によって名字を改めた人が婚姻前の名字を通称としてどこでも使えるように法律を改めることについては、かまわない → 24.4%

上記結果を見れば、賛成42.5%。反対53.7%と理解できる。ほぼ拮抗しているが、まだ十分にその功罪が国民的議論にまでなってないので、十分に国民間の議論が熟さないと結論は出せないと思われる。

そもそも何故夫婦別姓が必要かと言う問題である。

<一般個人が理由としてあげたもの>
(1)代々受け継がれてきた姓を大切にしたいという感情を持つ人が増えていることから、一人っ子同士の結婚のような場合に、姓を変えることが事実上結婚の障害となる。

(2)結婚に際して姓を変えることによって、本人の同一性が確認できなくなり、職業生活上不利益を被るといった事態などが生じる。

そこで、夫婦の双方が姓を変えることなく結婚することができるようにする選択的夫婦別氏制度の導入を希望する人がいるという話である。

<識者が言う必要理由とは>
① 間接差別の解消、離再婚やその際の子の氏の問題への対応、多様な価値観の尊重、個人の尊重、人権、アイデンティティ、プライバシー、男女共同参画、社会・経済コスト、少子化解消、家名存続など、様々な観点から選択的夫婦別姓制度を求める動きがある

② 国際連合で1979年に採択され日本も1985年に批准した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」では選択的夫婦別氏制度の導入が要求され、日本は国際連合の女子差別撤廃委員会(CEDAW)より度重なる改善勧告を受けているなど、国際的な要求もある。

このような背景から、選択的夫婦別姓制度の導入の是非に関する議論がなされている

そこには以前にもまして、個人の権利ばかりが重要視されている。家族としての在り方や子供への影響などが一切無視されているところに問題ありとジイは考える。

上記必要理由だが、
(1)は自分に対する影響のみで、結婚の意義などが一切無視されている。一人っ子同士が恋に陥り、さらにどちらも自分の姓の存続に強くこだわるというのは現実的でないような気がするが、どうしてもということであれば通称の範囲を広げる解決策はある。

(2)については、通称を使える範囲を公的場面において大幅に増やすことでほとんど解決できるのではないか。

① については、個人尊重=個人主義への片より、家族制度への軽視である。人権、アイデンティティ、プライバシー、男女共同参画、とくれば、ジェンダーフリー思想が見え隠れする。極めて政治臭のする内容である。

② については、差別と言う言葉に違和感を覚える。日本で女子がどのような差別を受けていると言うのだろう。日本ではほとんどの家庭では「カカア殿下」で頭の上がらない亭主ばかりである。

外国の価値観で日本の伝統的穏やかな家族制度をとやかく言われたくない。変えるのであれば日本人自身が必要と思った時に変えればいいのであって、外国から言われる筋合いはない。お門違いも甚だしい。

ただ心配なのは、ここに来て保守層にも選択的夫婦別姓制度の導入に前向きな意見が出てきたことだ。たとえば、野田聖子、稲田朋美、小泉進次郎氏などである。

伝統的な家族観を維持していくのか。それとも多様性を認めていくのか。という単純なことではない。何でもかんでも外国並みにする必要など何もない。他国に迷惑をかけず、国内で何も問題がないことを敢えて進める必要などない。

皇室の皇位継承問題もある意味、国体破壊への深淵な目論みが臭う。

国体という日本の形を変えるとき日本人は冷静にならなければならない。デジタル化や5G、6Gや富岳世界一のような変革は大いに推進、歓迎すべきだが、ことすべて同じまな板に置くことだけはやめた方がいい。

どうしてもやるというなら、まず、通称名をほとんどの公的証明で使えるように範囲を広げ、その経過を10年、20年見極めた後でも世界の最先端技術から遅れるようなことはない。安心するがいい。

皇室制度、家族制度を破壊しすべて一個人の世界にバラバラにする企みが実際あるのだ。世界で唯一日本がその世界の企みを乗り越え栄えある国家として生き抜かねばならない。

第二次世界大戦で大敗しても昭和天皇に対する国民の信頼が一分たりとも揺るがなかった事実、さらに皇室が1000年以上も男系で繋がれことのみで驚きと畏敬の念で見られている世界の目を忘れてはならない。

日本人自身が息苦しさを感じた時に考えればいいことだ。今尚、欧米崇拝は根強くある。外国から言われると何でも応えなければならないという、特有のおもてなし精神がこんなところにも発揮されてしまう、あるいはそれを利用としようとする輩がいる。

精神文化において、問題もないのにあえて積極的に揺さぶりをかけるような提議は必要ないしすべきではない。

時代遅れなどと言う、扇情的発言に踊らされることのないようナイーブな国民は警戒した方がいい。

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Posted by 秀木石