200回目の「祈り会」

日本 雑記

Vol.1-11.21-312  200回目の「祈り会」
2020.11.21

横田めぐみさん。
昭和39年10月5日名古屋市の聖霊病院にて生を受ける。
日本銀行に勤めるお父さんの関係で以後、広島へ転居その後新潟市に転居する。

中学生になっためぐみさん、新潟の中学校ではバドミントン部に所属。明るく朗らかな性格。歌ったり絵を描いたりすることが好きで、習字やクラシックバレエも習っていたという活発な女の子だった。

昭和52年(1977)11.15日、その中学校でバドミントンの練習を終えた帰り道、突然姿を消したのだ。

たった一人の愛娘を失くした家族の苦悩は想像に難くない。
その後、北朝鮮に拉致されたことが発覚したのは20年も経ってからである。この20年と言う期間はとてつもなく長い生き地獄だった。

当初は、父親の滋さんが日本銀行に勤めていたこともあり、金銭目的の誘拐を軸に捜査を進められたという。

もし、拉致の事実がすぐにでもわかっていたとしたらと思うと残念でならない。島国である日本は防衛意識が極端に希薄である。海に囲まれ平穏に生きてきた日本は沿岸警備にも特段の注意を払ってこなかった。拉致などという発想が浮かばなかったのだろうか。

しかし、後に元刑事部長のこんな話がある。
「実は、めぐみさんの事件の前から北朝鮮の影があり、パトロールを強化していた」というのだ。そうであったなら、何故拉致と言う方向からも捜査の手を広げなかったの疑問である。

しかし、捜査は誘拐事件を軸に進められ、一向に進展がなかった。

そんな中、母親の横田早紀江さんは、ある新聞報道にわずかな希望を抱いた。

新聞には『めぐみさん失踪の翌年、新潟県柏崎市、福井県小浜市、鹿児島県日置市の海岸で若い男女の失踪。一連の失踪に「外国の情報機関が関与」の疑い』と書かれていた。

めぐみさん失踪から3年、1980年の産経新聞の報道。知り合いからその報道を知らされた早紀江さんは、記事を手に、すぐに警察に走ったという。

横田早紀江さん
「もうびっくりして。うわ、本当だと思って、その足ですぐ警察に行って聞いてくるって言って。同じ海岸線だし、どう思いますかって聞いたら、ほかの失踪した方は皆さん20歳以上で年が違うからと。めぐみちゃんは13歳でまだ中学1年生。そんなのと全然違うから、これはちょっと違うんじゃないですかって、何人もおっしゃった」

「もうがくんとなって、本当にうぉんうぉん泣いて、歩きながら帰った。玄関でわあーって泣いたのを思い出します」

何故、警察は「拉致」という視点を無視したのか。一人の命を軽視した警察としてあらざるべき対応である。解決しようとする執着のかけらさえ見られない。まさしく他人事の極みである。

その時の対応である。
1、北朝鮮の拉致は深夜、めぐみさんは夕方の事件
2、拉致して、教育係にするのにはめぐみさんの年齢が若すぎる。
3、拉致現場が海岸線から離れている

などと理由をつけ拉致と言う選択肢に全く関心を示さない警察。解決への執着もなければ刑事としての鋭い嗅覚さえない。あれば情報は生かされていた。何というアンポンタンか、業務放棄も甚だしい。北朝鮮と親しいある政党の政治的圧力でもあったのではないかと強く疑う。

心底本当に拉致などあり得ないと考えていたなら、これは正に警察の業務上の重大な過失である。

さらに、新潟では、マンギョンボン(万景峰)号が寄港するなど、北朝鮮との結び付きが強かったという。北朝鮮に関係する組織や団体が数多くあり、複数の元捜査関係者は、「当時は、北朝鮮の批判につながるような言動を表立ってできず、捜査を難しくした面もあった」と話した。

ということは、政治的圧力が当時の社会党あたりからあったとのではないかと推測できる。

「最初から拉致というのがあれば、何かほかの方法もあったと思う」と元刑事は言うが、バカも休み休みに言えと言いたい。自分(警察)の方から、拉致を除外しといてしゃあしゃあと今ごろそんなことをいうなとあきれる。

拉致被害者の苦しみを少しは考えろといいたい。

横田早紀江さんは不明の20年を「狂気の時代」と表現された。
「もうことばには表せない。あの『狂気の時代』というのは、思い出したくもない。本当に死にたいと思うぐらいに毎日、海をさまよっていた。遺体も出てこないし、連絡もない。煙のように消えちゃって、20年っていうのは一体何だろうって。(どこかで誰かの)遺体が海から上がると、そのたびにドキッとして。口では表現できない」。

何という警察の怠慢か。それこそ当時の警察のいい加減というか、杜撰と言うか、自分の娘を誘拐されてみろと言いたい。どんな選択肢も排除することなど考えられない。すべての可能性にかけて徹底的に捜査するはずである。

何という残酷で無能な警察であることか。何度も言う、間違いなく警察の業務上の重大な過失である。腹がたってジイもトサカに血が上りそうだ。

横田滋さんは今年6月88歳の人生を閉じられた。拉致被害者の家族会代表でもあり正に人生の大半をめぐみさん及び拉致被害者の救出に捧げた人生だった。

お母さんの早紀江さんも最近84歳になられた。滋さんという支えを亡くし、気力・体力にも限界がある。頻繁なる遠出は困難になりつつある。

今回、東京都内でキリスト教の支援者らが被害者との再会を願って開く『祈り会』に参加され、「めぐみちゃんの帰国が実現するのであれば、自分が身代わりで北朝鮮に行ってあげたいという思いになっている」と切実な思いを吐露された。

北朝鮮に対する経済制裁、コロナの脅威及び洪水被害で国家は疲弊している。今がチャンスという気持ちがある。

世界の力も借りこのチャンスに何とかしたいと高齢の身にムチ打って拉致解決に力を振り絞っておられる。

「少しずつ坂道を上り、頂上も見えてきた」と希望をもって歩み続けたいとも述べられた。

国民全員が同じ思いを共有し、何とかこのチャンスを生かしたい。
来春の桜の満開の頃、コロナの終息、そして何よりも拉致被害者の帰国を国民全員で迎えられることを祈りたい。