風力は幸せを運ぶのか

日本 雑記

Vol.1-12.8-329   風力は幸せを運ぶのか
2020.12.8

電源構成目標を定める政府のエネルギー基本計画が、3年に一度の見直しに入り、菅総理は温室効果ガス排出を2050までに実質ゼロにすると宣言した。

火力を縮小、再生可能エヌルギーを拡大すると言うことだ。温暖化もそうだが、頼りの原発の再稼働が住民の反対などでことごとく停止に追いやられている。

先日も関西電力大飯原発3、4号機の耐震性を巡り、安全審査基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は誤りだとして、福井県などの住民らが国に原子炉設置許可の取り消しを求めた訴訟の判決が4日に出た。森鍵一裁判長は「審査すべき点をしておらず違法だ」として、国に設置許可の取り消しを命じた。

2011年の東京電力福島第1原発の事故以降、原発の運転停止につながる司法判断は仮処分を含め6例目となる。

この事実をみても、菅総理が目指す、温室効果ガス排出を2050までに実質ゼロは原発には頼れないと言うことを示している。

日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年(昭和38年)10月26日で、東海村だ。日本の高度経済成長を支えた原発。現在日本には54基の原発があるが、実際に稼働しているのは9基にすぎない。

 57年間原発にお世話になりながら、2011年福島原発の津波災害を原発事故と断定され、昨日までの電力優等生が一夜にして呪われる存在となってしまったのだ。

野党議員はもちろんだが、保守系議員も原発反対、元総理の小泉純一郎氏まで早期廃炉の大合唱である。

確かに、原子力の恐ろしさは広島のでの原爆で十分わかっている。しかし戦後20年近くを経て、平和利用としの運用を国民が認めたのである。事故は確かに悲惨であった。だが、一顧だにせず一億総右向け右とはどういうことであろう。

再生エヌルギーがすべて賄えるのであればこんないいことはない。安全なエネルギーへ徐々に切り替える過程さえ容認できないとすれば、衝動的かつサディスティックな行動に思える。

日本人の特性の一つである大きな声に流されやすい単細胞パターンである。

最近、洋上風力発電を推進する新法「再エネ海域利用法」に基づき初めて公募した着床式の洋上風力発電事業に、世界最大手、デンマークのオーステッドが日本の陸上風力大手の日本風力開発、ユーラスエナジーの2社と共同で応札する方針を固めたそうだ。

当面、秋田県沖と千葉県沖での公募となる。発電規模は原発1基に相当するという。さらに今後は、青森県沖や山形県沖が視野に入っている。

そういえば、1ヶ月ほど前、「風力発電は風土にあうのか」という論述があった。

秋田県、北海道、青森県は “ 風力御三家 ” というそうだが、大型風車311基が沿海部を中心に立ち並び、総出力は64万キロワット余りを発電しているということだ。

そうなんだと初めて知ったが、経済効果は令和7年度までで、988億円を見込み、雇用や税収も増える。再エネの先進技術集積地となれば流失が続く若者の県内定着にもつながる」と県は期待し積極的らしい。

しかし、風力は火力発電量の1/3程度にとどまる。
その上、
「秋田の海辺は風車だらけで心が休まらない」
「風車近くの住民が低周波音で健康を害した」
「鳥海山麓の高原は立ち並ぶ風車で景観がだいなし」
「渡り鳥の飛翔を妨げる」
などの声に加え、
「今度は目の前の海にも巨大風車が立ち並ぶなんて、我慢も限界」という住民の悲痛な声もある。

確かに、何基もの巨大風車が目の前や頭上で回り続けるのを目にするとざわついた心地になるというのは分かる気がする。周辺住民にとっては苦痛でしかない。

再生エヌルギーをエコだともてはやす人種がいる。
この住民たちの悲痛なる声は何故か一向に世間に聞こえてこない。

きっと将来は原発のない安心して暮らせる日本になるのだろう。

大きな風車と太陽光発電のパネルが延々と立ち並ぶ風景の中を縫うように道路が走る。

タクシーに乗れば、「緑の風車」43番を右に折れ、「鬼滅の風車」前で。ということになるのか。

海岸線は色とりどりの風車で埋め尽くされ、なだらかな日あたりの良い丘は、銀色に輝く太陽光パネルが “ 国民の幸せ ” を照らすようにキラキラ輝く。

何という安全でステキな日本の未来であろう。ジイは早く天国へ行きたくなった。