踏ん張って生きる

日本,雑記

Vol.1-12.9-330   踏ん張って生きる
2020.12.9

朝のエッセーに「踏ん張れ」と題した投稿があった。

ふんばるを辞書でひくと、
【踏ん張る】開いた足に力を入れ、倒れまいとする。転じて、気力を出してこらえ、負けまいとする。

土俵際の厳しい中、マッチポイントを握られていても食らい下がる不屈の姿が浮かぶ。
よく似た言葉に「頑張れ!」というのがある。
ちょっとニュアンスが違う。

この “頑張れ” という言葉、あるメンタルマネージャー氏の話によると、20年ほど前、「うつ」という心の病が注目されるようになってから「頑張る」という言葉を使いにくくなったという。
よかれと思って「頑張れ」と励ましたつもりが、「これ以上、何を頑張ればよいのですか?」と逆切れされるケースがあったというのだ。

人の見方は様々だ、「怠けているだけでは?」とか「わがままなのでは?」と不可解に思うケースもあるのは確かだ。

楽な仕事ばかりではない、生きていれば様々なことがある。頑張らないで済む仕事なんて基本ない。とメンタルマネージャーは頑張れという言葉を肯定はするが、やはりケースバイケースだという。

そりゃその通りだ。大体が、コミュニケーション不足で悩みを抱えてしまうケースが多いのではないか。
その影響か、一時「自分らしく」とか「頑張らなくてもいい」とかがもてはやされた。

歌では「世界に一つだけの花」とか「オンリーワン」と言うフレーズに多くの人が共感したのであろうヒットした。

この歌、ジイにはちょっと言葉に生気が見い出せず心が落ち着かない。しかしヒットしたということはそれだけ多くの人がこの歌に救われたり、人間として自信をつけるきっかけとなったのかもしれない。

そこで、「踏ん張る」だが、頑張っている中にも、「踏ん張り時」というのが存在するように、踏ん張りとはここぞと言う時の頑張りである。

メンタルマネージャーがいうように、どんな仕事でも楽な仕事などない。楽でお金がもらえているとすれば、その人は楽に稼げるまでに自分の能力を高め、血の出るような努力をして頑張った結果の姿である。そこを見落としてはならない。

仕事が楽しくてしかたないと言う人の話を聞いてみると良い。踏ん張って、踏ん張って、踏ん張っている間に、踏ん張ることが気にならなくなり、仕事が楽しく楽になったはずである。

何もしないで楽しく、楽ということはありえない。
もしそんな御仁がいれば、少々おつむがおかしいか、仕事をしていないかだ。

ただ、人はその人なりに頑張っている方が楽であると思う。ある時は踏ん張り、我慢し、耐え、倒れまいと頑張る。

そうでなければ、人生を生きていると実感しないのではないか。
ただ、ジイのような高齢者になると、「もう頑張らなくていいんじゃないですか」と言われるのは嬉しくもある。そうであっても「とりあえず頑張っている」と自分を叱咤し気力維持につなげるのである。

ただ、自分でもう限界かなと思った時は「あの世」に行ってしまうような気がする。仕事をしているのはそのバロメーターのように感じる。

ジイはやはり今も、頑張っている人に、踏ん張って生きている人に力をもらう。

昨日、有馬朗人元文部大臣が90歳で亡くなったという訃報が入った。
4日前まで元気にテレビに出ていたと言う。

踏ん張って生きていれば、こんな死に方もできるかもしれないとかすかな期待を持ってしまう。

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Posted by 秀木石