12月8日大東亜戦争開戦

日本,雑記

Vol.1-12.10-331   12月8日大東亜戦争開戦
2020.12.10

今から79年前。

昭和16年12月8日未明、イギリス領マレー半島及び真珠湾攻撃により大東亜戦争は始まった。

12月8日は大東亜戦争の開戦日なのである。
何か特集が組まれるかと思ったが、特別な番組はなかった。コロナ禍の中でもあり、敢えて特集を組むような題材ではないとの判断であろう。

たまたま、ラジオを聴いていたら、太平洋戦争開戦日ということで、当時戦争を体験したと言う高齢のご婦人が戦争の悲惨さを語っていた。いつもの如く「戦争は悲惨です。二度と起こしてはいけません」と悲惨の数々を語り、平和の尊さを繰り返し熱く語った。

NHKは「戦争の悲惨と平和の尊さ」を繰り返し放送するワンパターンをいつまで続けるつもりなのであろうか。

ジイは、戦争を思う時、あの小野田寛郎さんを思い出す。
情報将校として太平洋戦争に従軍しゲリラ戦を展開、第二次世界大戦終結を知らされず29年。フィリピン・ルバング島で発見され、日本へ帰還したあの小野田寛郎さんである。

ルバング島で発見され終戦を知らされたにもかかわらず、小野田氏は「命令がない限りここを動かない」と拒否。しかし直属の上官の命令解除があれば、任務を離れることを了承する

その時渡した命令書である。
当時のまま文語調で書かれたものでなければ小野田氏は信じなかったのである。

「参謀部別班命令」

一 大命ニ依リ尚武集団ハスヘテノ作戦行動ヲ解除サル。
二 参謀部別班ハ尚武作命甲第2003号ニ依リ全任ヲ解除サル。
三 参謀部別班所属ノ各部隊及ヒ関係者ハ直ニ戦闘及ヒ工作ヲ停止シ夫々最寄ノ上級指揮官ノ指揮下ニ入ルヘシ。已ムヲ得サル場合ハ直接米軍又ハ比軍ト連絡ヲトリ其指示ニ従フヘシ。
              第十四方面軍参謀部別班班長 谷口義美

そして、ようやく小野田氏はフィリピン軍基地に着き降伏意思を示したのである。敗戦を伝え戦後30年経っていると言われても軍人そのものの態度を崩していない。
この時、小野田氏は処刑される覚悟だったと言われる。

軍司令官は小野田氏を「軍隊における忠誠の見本」と評した。小野田氏のマラカニアン宮殿で行われた投降式には、マルコス大統領も出席し、小野田氏は降伏の証として白布を巻いた軍刀をマルコスに差し出したが「もう戦争は終わった」と即座に返還。その際、マルコス大統領は小野田氏を「立派な軍人」と評している。

この日本軍人としての立派な振る舞いに、ジイは涙を禁じ得ない。

帰国後、日本国政府は見舞金として100万円を贈呈するが、小野田氏は拒否する。しかし受け取らざるを得ず、小野田氏は見舞金と方々から寄せられた義援金の全てを靖国神社に寄付している。昭和天皇との謁見も、万が一、天皇陛下が謝罪に近いご発言をされることを恐れ、謁見を断っている。

これが、日本の軍人だったのである。このような日本軍人が日本を守るために戦ったのである。このような立派な軍人は数えきれないほどいた。その誇り高き軍人を誰も語ろうとしない。「日本軍=悪」とのGHQ洗脳は未だ解けずの現実が今にある。

戦後レジームからの脱却という言葉をよく聞く、正にGHQに洗脳された政治体制や憲法、民主主義の在り方からの脱却である。

太平洋戦争は連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)側から見た呼称である。日本側の名称は1941年(昭和16年)に東条内閣が閣議で大東亜戦争と決定し、支那事変も含めるとされた。

「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」という理念と構想を元に始まった大東亜戦争である。

アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、戦後GHQの占領政策で「大東亜戦争」は「太平洋戦争」へ強制的に変更させられたのである。

GHQはプレス・コードなどで「大東亜戦争」の使用を新聞で避けるように指令した。その後の洗脳政策は徹底していた。もちろん学校の教科書には太平洋戦争で統一された。戦後生まれは大東亜戦争という呼称さえ知らずに育っている。

もの心がついた頃に大東亜戦争という言葉を聞いて昔の人は古い言い方をするんだ。と思ったことがある。

何故、占領政策が終わった時、呼称を「大東亜戦争」に戻すことと、憲法改正に手をつけなかったのか悔やまれる。

後に、アメリカの歴史家ジョン・ステファンは呼称として第二次世界大戦は広範囲で、「太平洋戦争」は「あまりに狭すぎる」ので不適切であり「大東亜戦争」という呼称が「日本がインド洋や太平洋、東アジアおよび東南アジアで繰り広げようとした戦争を最も正確に表現している」と指摘している。、、、その通りではないか。

戦争の動機はいろいろの見方がある。
1. ABCD包囲網やハル・ノートなどによって日本が追いつめられた結果の自衛戦争
2. 米国が日本・中国双方を弱体化させる策であったとの見方。
5. ルーズベルト米国大統領による策略。

しかしどんな理由にしろ当事者でない人間が、かつ今の平和を頂く人間が大東亜戦争を断罪することなどできはしない。

小野田氏は帰国後、広島平和公園を訪れている。

原爆死没者慰霊碑には、
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。小野田さんは「これはアメリカが書いたものか?」と真顔で質問している。
案内者は返答に窮したことだろう。

これが、洗脳されていないまともな日本人が発する心情である。

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Posted by 秀木石