無形文化遺産・日本の誇る工匠の技

日本 雑記

Vol.1-12.20-341   日本の誇る工匠の技
2020.12.20

ユネスコの政府間委員会は17日、無形文化遺産に、日本の宮大工左官職人らが、継承する「伝統建築工匠の技 木造建造物を受け継ぐための伝統技術」として登録することを決定した。

素晴らしいことである。

「伝統建築工匠の技」は言わずもがな、奈良・法隆寺などの日本の伝統的な木造建築を支えてきた匠たちの卓越した技の賜物である。

この一つの伝統的木造建築には17分野のそれぞれのプロフェッショナルの技の結集がされて初めて伝統的美が完成するのである。

そこには17人の匠の存在がある。

その17の分野での匠を超一流に育てるのは並大抵な事ではない、IT技術を駆使してできる仕事ではない。

古くから大工の棟梁らが弟子を鍛えて知識や技術が継承されてきたが、よほど好きであるか、性根が据わってないと伝統的技術を引き継ぐことなどできるものではない。当然のごとく今日において後継者不足が大きな課題である。

そこに日が当てられ脚光を浴びるとなれば、若者の注目度も若干上がるのでは期待がかかる。しかし、それだけでは有望な人材を集めることはできないだろうと思われる。

例えば、ライセンスのようなものである。無形文化財を支える技術者に与えられる公的なライセンスとそのライセンス保持者への国家支援である。

反面、報酬がちらつくそんなヤワな気持ちでは太刀打ちできない世界である。本気、覚悟、を超えた修行僧のような一面をも内包する心と言おうか、現代感覚とは逆行することも乗り越える勇気、あるいは狂気のようなものだ。この矛盾を若者は乗り越えられるか。

ところでユネスコには世界遺産というのがある。
これは遺産であるから完成された建築物なり、物である。それらは匠よってつくられた物であり、匠の技あっての世界遺産であり、その相互の関係がやっと評価されたということになる。

その点においてはめでたし、めでたしである。

世界遺産も指定されたからといってノーベル賞のように多額のお金をいただけるわけではない。
登録されることの誇りや、保護、保存、継承させていくための動機付けにはなるが、経済的な潤いは観光地になることである。しかしあまりの観光地化は環境破壊になり登録抹消もある。

保有国と国際社会にはその世界遺産を保護する義務と責任が生じる。従って地域住民の高い誇りと維持することへの協力心がないと保有するのは無理である。

「世界遺産」は、遺産を損傷、破壊等の脅威から保護するための条約であり、観光のためのに存在するのではないという根本的な原則を市民は理解した上での申請が不可欠である。

ところで、今回の伝統建築の技の17の技術とは
◆建造物修理
◆建造物木工①
◆檜皮葺②・柿葺
◆芽葺③
◆檜皮採取
◆屋根板製作
◆芽採取
◆建造物装飾④
◆建造物彩色⑤
◆建造物漆塗
◆屋根瓦葺(本瓦葺)
◆左官(日本壁)
◆建具製作
◆畳製作⑥
◆装潢修理技術
◆日本産漆生産・精製
◆緑付金箔製造

それぞれに高い技術を持った匠でなければ総合美は成立しない。

厳しさと美しさと感動を呼ぶ輝かしい仕事である。
7人の侍ではないが、「17人の侍」である。
若者よ!この千年以上も残る仕事に携われるのである。
世界が認める技術を自分の仕事としてみないか。そう呼びかけたい気持ちだ。

以前、伝説的な宮大工・西岡常一の唯一の内弟子である小川三夫氏のドキュメンタリーを見たことがある。

小川氏が師匠・西岡常一から学んだのも「技術は教えない」ということだった。師匠の仕事をひたすら見て覚え、体に染み込ませていったという。

刃物の管理方法一つとっても、師匠がイチから方法を説明するのではなく、弟子が師匠と同じ時間を過ごすなかで、研ぎ方や保管の工夫、その理由を自ら考えながら学んでいく。「言葉に頼らず、手に記憶させ、それを実践するのが私たち大工のやり方」という世界だ。

「法隆寺を見れば、凄い大工がいたことが分かる。俺らはその技術から学んでいるだけ」とも言う小川氏。師弟関係のなかでしか学べない技術と、何事にも真摯に取り組むものづくりへの執念を、次代の宮大工へとの思いがある。

小川さんの話の中に「日の当たる場所に使う木は日がよくあたって育った木を使う」という何気ない言葉が今も記憶にある。

大工自らが木の育ちを見守り、切出しまで何年も見続けて、ここにこの木を使うということを決めるのだそうだ。まるで子供を育てるようだ。使われる木は法隆寺のこの部分の柱として育つんだということを理解して育つ。この関係こそ1400年の歴史に向き合う真摯さであろう。

果たして、この謙虚で厳しい姿勢に食らいついていけるだろうか。でなければ世界をうならせれる本物にはなれない。1400年以上経つ世界最古の建物を修復するとすれば当然である。

若者よ退路を断つ気持ちでなければ歯が立たない世界は人間作りでもある。技術もさることながら、1400年の建築物への畏怖は理論で学ぶものではない。

軽く、挑戦せよとは言えない。若者よ!と声をかけ、ジイなどは絶句してしまう。