saya

日本 雑記

Vol.2-1.17-369     saya
2021.1.17

sayaを検索したら、
◆Sayaは夫婦によるCG制作ユニット“TELYUKA(テルユカ)”による、フルCGの女子高生キャラクター、バーチャルアイドルである。

え~、、、そんなバカな。と改めて検索方法を変えて検索。
・・・う~ん、あった。

sayaさんは1982(昭和57)年7月生まれの33歳。港南区で生まれ育った生粋のハマっ子とある。

衛星放送のskyperfectvで番組のMCやFMヨコハマでDJを務めるなど多方面で活躍する美女。ジャズシンガーとしての一歩を踏み出したのは「22歳くらいの時」、、、
う~ん、JAZZと美人とくれば放っておく訳にはいかない。

バルセロナオリンピックの開会式で女性シンガーのジェシー・ノーマンが歌った『アメイジンググレイス』に感動し、自身も音楽活動をしていこうと決めていた中で、ジャズシンガーとしての道を選んだ。とある。

今も、横浜のジャズバー「BarBarBar」でライブ出演するsayaさんだが、別の顔を持つというのが少々興味をそそる。

この美人JAZZシンガーsaya氏とジャーナリスト・井上和彦氏の対談がある雑誌にあった。

20代のころはやはり本場のJAZZに憧れ、何度もニューヨークにジャズ修行に出かけるという熱病の中にあったようだ。しかし、JAZZを突き詰める中でぶつかったのがアイデンティティという問題であった。

運命というものはそういうものだ、時を同じくして、CS番組でJAZZを歌う仕事に巡り会う。その時に接した保守系日本人との会話から、学生時代に習った日本と違う、驚きの日本を体験すのである。

彼女は、子供の頃教えられた日本と違う姿に出会う幸運?との出会いが新しいsayaへの扉をあける開けることになる。

何もかもがジャズ中心の日々から、ある時「蛍の光」のリクエストがあった。その時改めて示された歌詞は4番まである。2番までしか知らなかった歌詞が4番まであること、そしてその3,4番の歌詞を読み解いた時、彼女は日本人を意識し出すのだ。

彼女は初めて「ジャズをいくら歌っても感じられなかった自分と歌が一体になる感覚」を感じとるのである。

そして、ある講演会の依頼で、日本の歌を歌うというストーリーが展開する。歌い終わった後、「子供の頃を思い出した」と涙ながらに語った人の印象が強く残った。その時の体験が初めて日本を強く意識し出した瞬間である。次の世代につなげていくという使命感がほのかに芽生える。

ジイは以前若い人に学校教育で偏向教育が現実に行われているのか聞いたことがあったが、誰一人そんなことはなかった。と語った。

しかし、sayas氏は強烈な印象を語っている。
「公立校だったのですが、すごく印象に残っているのは、音楽の先生が『君が代を歌うな』と教えていたことです。軍国主義だった日本が永久に続きますようにという歌だから歌ってはいけない。と習いました」と。

ある時は「日本がやっていた植民地支配の定義が書けないと卒業させない」とうことがあったようだ。

彼女がアメリカへ行って、アイデンティティというものに目覚め、日本で保守系知識層とのコミュニケーションがなければ、これほどドラスチックに愛国心に目覚めることは無かったであろう。

彼女は今、日本を真面目に考えだしている。

日本の昔の歌を紐解く中、西洋のメロディとの融合の仕方があまりにも見事、特に明治維新のあとの融合の仕方がまず素晴らしくて、次に戦後の1950年代の融合の仕方がまたすごいです。と感嘆する。

美空ひばりの「お祭りマンボ」はリズムはマンボですが、お囃子みたいなメロディが出てきたり、都都逸も出てきます。ですが、全体的にはフォービートでジャズのスイングなんです。演歌と都都逸とジャズが合わさって、それを歌いこなせるだけの度量のある歌手が1950年代はいっぱいいた。と驚きを隠さない。

日本に目覚めた彼女、ヨコハマでジャズを歌いながらも「先人の融合力です、この力の源泉がどこから来ているのか非常に関心があります」と語った。

saya氏は日本の先人の思いを歌い紡いでいきたいという。
これからどんな日本観を作り上げていくのかとても楽しみである。

なかなか頼もしい若い人材の芽生えに嬉しい限りだ。

かつて、ソプラノ歌手・藍川由美氏がこんな本を出したことがある。
『 “ 演歌 ” のススメ 』(平成14年文春新書)である。

帯にこんな文が記されている。
「常々、私は、世界広しといえども、ここまで卑屈な民族は珍しいと思っていた。ろくに知りもしない自国の文化を蔑む一方で、やみくもに他国の文化を追いかけるということは、やはりとても恥ずかしい。

われわれは、明治以来、ずっと民族独自の音楽文化を卑下しつつ、西洋のごく一部の地域・時代の音楽を模倣し、崇拝してきたわけだが、実のところ、それにどんな意味があったのかを私は量りかねている。そこで、日本人が抱き続けてきた西洋音楽コンプレックスの実態を、そろそろはっきりさせておきたいと思ったのである。」

Saya氏には音楽の先輩である藍川由美氏のこの本を読まれんことをお勧めしたい。

また一人日本を愛することに目覚めた一人の美人が増えた。それもJAZZ歌手である。