デパートの存在価値
Vol.2-3.3-414 デパートの存在価値
2021.3.3
“ そごう川口 30年の歴史に幕 ” とても寂しいニュースである。
JR川口駅東口にある「そごう川口店」が2月28日をもって閉店。30年の歴史に幕を閉じたのだ。
数年前、合併や閉店が続いた時があった。ああ、時代が変わったなと感じたものだ。我々ジジイの年代はデパートと聞けば高級品、安心、何でも揃うというイメージがある。今でもデパートはやはり小売店の王様のイメージがあるのではないか。
そんな中でもまず頭に浮かぶのが「三越」である。そんな時代を生きてきたのだが、、、。
考えてみればデパートはすでに100年も生きてきた。小売業の頂点に君臨し、日本の消費の牽引車であった。確かにこの辺で変革をしなければいけない時期に来ているのかもしれない。
デパートのはしりとなったのが、明治37年、株式会社三越呉服店が「デパートメントストア宣言」したのがスタートである。その後、明治38年に松坂屋の前身の「いとう呉服店」が名古屋にと続く。
今のような本格的なデパートはやはり三越だ。
大正3年(1914)三越呉服店でルネサンス様式の新館が落成。鉄筋地上5階・地下1階建て日本初のエスカレーターと、エレベーター、スプリンクラー、全館暖房などの最新設備が備えられ本格的デパートの登場とある。
昭和5年(1930)三越が新宿店を開店
昭和8年(1933)伊勢丹が神田より移転オープンした
この頃には、小売業者のうち18店しかない百貨店が織物被服類の売上総額の70%近くに達たというから凄い。
昭和30年代に入るとターミナル駅中心にデパートが進出、長期にわたり小売り業界を牽引した。
当初は高級品イメージであったが、スーパーマーケットや新しい業態の進出もあり、昭和40年代頃から大衆品まで取り扱うなど業態を変えていくことになる。
ただ、我々の高齢者とすれば、デパートへ行けば高級品を始め、あらゆる商品が安心して買えるという感覚があった。
専門店となるとゆっくり見て楽しむというわけにはいかない。購入目的がハッキリしないと入りづらいものだ。その点、デパートはとりあえず入ってみるかという気軽さがある。
今では必ずと言っていいほど、最上階あたりには数階に及んでレストラン等が入っていて食べるには事欠かない。昔と違い専門店フロアーもあって商品アイテムは豊富である。地下に行けば食料品も扱うという具合だ。
ところでその「そごう川口」
地下1階、地上11階。平成8年には359億円の売り上げ、ところが平成30年には159億円に落ち込んだと言う。当時の半分以下である。
落ち込みの原因はいろいろあるだろう。
平成2、3年はバブル崩壊である。しかし、そごう川口はそのバブル崩壊真只中にオープンしたのである。そして、平成8年には最高の売り上げを誇った。
とはいえ、建築計画はバブル前からあってバブル崩壊など想定外の出来事であったはずだ。その逆境を跳ね返し30年間よく頑張ったと言えるかもしれない。
今も川口は人気の街であるが客層は変わった。商品購入のツールもネット、通販、郊外型ショッピングモールなど、多種多様になった。世界はボーダーレス化し、変化のスピードは増し、商品の多様化は日々進化する。デパートに限らず、零細な商店街はついていけず地方は当たり前のようにシャッター通りに、東京近郊でもその例にもれない。
デパート閉店と聞くたびに特に昭和世代は時代の流れを感じ寂しさを抱くのではないか。
確かに流通は激変した、ネットで今日頼んだものが明日には玄関に届けられる時代になった。オーダー服ですらネットで購入できるのだ。ますます、デパート環境は厳しいかもしれない。しかし、品質のへの信頼と便利で安心して選べるデパートの特徴は捨てがたいものだ。
デパートのスタートが呉服店であったことを考えると “ ファッション ” のパイオニアとしての役割をまだ担えるのではないか。
デパートの強みは立地の良い場所にそれなりのスペースを所持していることである。それを生かすのである。専門店にはできない強みである。
例えば、挑戦的にファッションの牽引車となるのである。いろんなコンセプトで先進的な内容の “ ファッションショー ” を定期的に開くなどして、先端ファッションの牽引と創造スペースとしての新しい役割の創造である。
かつて、ココ・シャネルやニナリッチを生んだフランスのように、デザイナーを育てることも大きな仕事になるであろろう。
考えれば、伝統的着物ファッションも成人式だけでは悲しいではないか。着物を着て一日過ごせる場所と楽しみの環境を提供することができれば、創造的変化ができるかもしれない。と思うのは勝手なジイの夢物語りかもしれないが、デパートはもっともっと魅力的に変化できるはずである。
デパートよガンバレ!! 頑張ってほしい。