キャデラック
昭和52年(1977)夏。
大阪から転勤で上京した。
忘れもしないこの夏はことのほか雨が多かった。特に8月はほとんど雨だったような気がする。
営業を担当していたジイは取引から自宅用の自転車を買った。
宮田のまあまあいい自転車だった。取引先でもあり、あまり安いのもどうかと思い、ちょっと奮発した記憶がある。店主が軽自動車を貸してくれて、休みの日に持ち帰った。
¨綾小路 きみまろ¨ ではないが、あれから40年、今も健在である。
盗難2度、修理は数えきれない。タイヤは30回以上は交換したことだろう。
今は、見るからに後期高齢者である。
雨にも負けず、雪にも負けず、暑い日も、寒い日も文句一つ言われたことがない。その分、我が家の赤鬼がことのほかうるさい。
最近は見るたびに感謝、感謝である。
そう、4、5、年前になるか修理でN自転車に持ち込んだところ、そこのジイが、「凄い自転車だねえ~」という。バカにされるのかと思いきや、我が業界ではね、これは「キャデラック」と言われてるんだよ、と冗談とも本気ともつかないような言い方をした。
それ以来、友人から「何乗ってるの?」と聞かれると「キャデラック」と答えている。
ご存知、アメ車の高級車。1902年(明治35年)が第1号車というからかなり古い。
このキャデラックが2度盗難にあった。
1度目はショックだった。
1週間、来る日も来る日も、カミさんの自転車を借りて、3キロ圏内を探しに探した。
もう諦めるか、、、と思った頃だ、畑を囲むあぜ道のような所に「お~い、遅いじゃないか?」てな顔をして平然とたたずんでいるではないか。「コンチクショウ!こんなところに、、、と言いながら」内心やったぜ!!と叫んでいた。
2度目の盗難。
この時は前回の経験があるから、ある意味落ち着いていた。
まあ見ておれ。どんなことをしてでも探してやる。何故か確信のない自信に満ちていた。
ようし、と探し始めたとたんあっけなく見つかったのだ。
ちょっと拍子抜けした。
いつもの通勤コース。2階建ての木造アパートの1階、階段下にいるではないか。この野郎!!と思いながら、どの部屋かがわからない。誰か出てこないかと思いしばらく自転車をガシャガシャしてみてみたが、誰も出てこない。1軒1軒尋ねるのも癪だし、そのまま乗って帰った。
それ以降は静かな日々を送った。
高齢になり、当世の自転車とはかなり形も重さも違う。さすが、手を出すギャングもいなくなった。
こうなったら死ぬまで付き合ってもらうより仕方ないと腹を括った。
良く働いてくれたお礼というわけでもないが、自転車ドックで少し休んでもらおうかと思い相談にいった。
オーバーホール?この自転車じゃ買うより高くつくよ。と言われ、、、う~ん、とうなるしかなかった。
やむなく諦めた。
「お互いジジイだ、いたわり合いながら余生を過ごそう!」とちょっと下向き加減で話した。
キャデラックも納得したように静かだった。