帰って来た F1ドライバー

スポーツ,世界,日本,雑記

Vol.2-3.17-428    帰ってきた F1ドライバー
2021.3.17

久し振りにF1ドライバー誕生か。

ちょっとウキウキする話題である

ジイの時代、F1と言えばアイルトン・セナ。
久しぶりに思い出させてくれた。甘いマスクに美しい走り。それに何と言っても全盛期にホンダエンジンを搭載し活躍してくれたことだ。

1987年、ホンダがロータスにエンジンを供給し、セナとホンダとの蜜月関係は始まった。これは、1988年にセナがマクラーレンに移籍した後も続き、結局1992年まで6年間ホンダとの関係は続いた。

セナが本田宗一郎と会った際に
「お前のために最高のエンジンを作ってやるよ」と言われ、
「本田さんは日本での父」と感涙したというエピソードが残されている。

<もう一つ感動のエピソードだ>
1988年の鈴鹿でのレース後に、セナはアラン・プロストと共に、本田から食事に招待され、
本田宗一郎から「うちのクルマで勝ってくれてありがとう」と言われる。セナは礼を言われるとは思ってもいなかったので感激し、ほとんど料理を食べることができず、ただ涙を流していたという。

当時のライバルがアラン・プロスト、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、ミハエル・シューマッハ、日本人選手は中島悟氏が活躍していた時代だ。
何といっても本田宗一郎が元気でF1に参戦していたことは大きい。

悲劇は1994年のサンマリノGP5月1日のレースだった。
時速312kmでイン側を走行中に、3つ目の舗装の継ぎ目で突然不安定となりグリップを失ったままアウト側に向かい、そのまま直進してコースアウト、コース右脇のコンクリートウォールに激突。帰らぬ人となった。

セナは1987年はロータス、1988 – 1992年はマクラーレンで通算6年間ホンダエンジン搭載車でドライブ。1988年・1990年・1991年とワールドチャンピオンにも輝いた。

日本とは切っても切れない縁で、F1を身近にしてくれたレーサーである。
ドライバーズタイトル3回 1988、1990、1991年と全てマクラーレン・ホンダ時代に獲得。さらに、優勝通算41回中32回、自身の全優勝の78%がホンダエンジンでの優勝である。

セナが事故死した1994年5月1日にはサンパウロでサッカー・サンパウロFC対パルメイラスの試合が開催されていたが、開催者はこの試合開始直後に試合を止め、セナの死去のアナウンスを優先し、黙祷を行った。ブラジルでも英雄であった。

ところで、話は冒頭に戻る。
昨日の朝、ラジオから自動車ライター・大谷達也氏のF1の話が流れたきた。小林可夢偉が去って7年、久しぶりのF1レーサー誕生という話である。

話題は20歳の若きレーサー角田裕毅だ。
神奈川県相模原出身、160cmの小柄で童顔。とてもタフなF1に似つかないイメージだが。
4歳でレーシングカート、17歳、高校~大学でF4に参戦2年で優勝。
その後日本の自動車メーカーの支援を受けヨーロッパに参戦。F2でシリーズ3位に入るという驚異の才能を見せたというのだ。

小柄で可愛い男性をつい想像してしまうが、自動車ライター・大谷達也氏に言わせると、優れた適応力と柔軟性を備え、日本人初のチャンピオンを狙える選手であると手放しの褒めようだ。

昨年ヨーロッパのF2レースに参戦し、シリーズ3位に入賞、F1参戦の資格を手にした。しかも日本人として20歳は最年少。今シーズン戦う選手の中でも最年少という逸材。

高い評価を受けているのは、昨年F2レース参戦前にプレシーズンテストに参加した時の高いドライバーテクニックだったようだ。その実力を認められ、ヨーロッパ大手スポンサーが運営するドライバー育成プログラムに選ばれたのだ。海外のスポンサーの支援を受けることすら異例である。それも日本人が選ばれたこと自体が凄い。

今のF1、ジイの頃のF1とはけた違いに難しくなっている。
例えば、200kmで走行中にガソリンで走るかモーターで走るかの選択をチームから入る指示無線を聞きながら瞬時に切り替え、さらにはDRS導入によってウイングの角度も変えながら走るというとてつもなく難しいテクニックを駆使しなければならない。

その高い技術をすでに使いこなしていることに、スポンサーは高い将来性を見たのではと大谷氏は見ている。

目の肥えたヨーロッパのファンは、角田氏がDRSをすでに駆使していることに気付いたかもしれないとも語った。注目度は抜群である。

大谷氏のインタビューで「自分はライバルの走りを取り入れて自分の速さに結びつけるのが得意」と語り、さらには、自分の口からチャンピオンになりたい、ハミルトンを抜きたいという夢を語った20歳の若き天才レーサーの誕生である。

2021年3月28日に中東バーレーン・インターナショナル・サーキットで決勝レースが行われる。

何かいい予感がする。
今年、日本は、F1による爆発的興奮がコロナを死滅させるかもしれない。

3月28日、夢のような映像がインド洋を越えて日本に届く気がする。

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