原発 VS 再生可能エヌルギー
Vol.2-3.26-437 原発 VS 再生可能エヌルギー
2021.3.26
最近、頻繁にニュースで流される「再生エネルギー賦課金」。
この賦課金というものは各家庭の電気料金に上乗せされているものである。2012年度から実施されており、ちなみに2019年度は標準家庭で685円/月、合計3兆5千8百億円だった。
この莫大な資金は、太陽光発電などの再生エネルギー事業者のみに支払われている。これが、2021年度から1,188円(年間14,256円)に変更されるということである。
え~、ちょっと不公平?と思う御仁もおられるかもしれない。
福島原発事故から、原発=悪、再生エネルギー=善、というようなものが出来上がってしまった。何しろ、再生エネルギーを増やそうという機運に今突き進んでいる。
かの有名な、小泉純一郎先生、菅直人元首相、鳩山由紀夫元首相の3羽ガラスが11日都内で講演、共に「原発ゼロ」の必要性を訴えた。与野党の首相経験者が足並みをそろえて、農地を活用した太陽光発電だけで日本の全電力を賄えるなどと、独自の試算を披露し「原発ゼロ」政党を作ろうと意気盛んである。
ところで賦課金であるが、2012年からは「再生可能エネルギー特別措置法」で定められた「固定価格買取制度(FIT)」がスタートし、再生可能エネルギーの導入量が急速に増加した。
その一方で、固定価格買取制度(FIT)による買取費用の一部は「再生可能エネルギー発電促進賦課金」というかたちで国民が広く負担することが決まったのである。
この賦課金なるものは毎年上がっていて、ついに今回は1000円越えとなった。
この再生エネルギー、例えば太陽光パネルが広大な農地を潰してパネルが並ぶ、景観もさることながら、気象条件に大いに左右される。コストは19.6円/kwh、原発10.1円/kwhに比べ割高である。
再エネはクリーンで優しいイメージが先行するが、大きな欠陥は
1、気象条件に大きく作用されるため、発電しない時は火力発電によるバックアップ電源が必要となる。
2、電力は時々刻々変化する需要に安定して供給する必要があるが、火力や原発のように「給電指令」に応えられない。
(給電指令⇒中央給電指令所より発電所の発電量を調整する指令)
3、電気は足りなくても、多すぎても停電を引き起こす。太陽光などは夏場などお構いなしに過剰発電し停電を引き起こす。
4、景観破壊や音による健康被害。
こんな中、電力の自由化が2016に、2020年には発送電分離が完了した。まさしく電力も安定供給から市場原理にまかせることになったのである。
そこで、日本卸電力取引所(JEPX)が設立され、電力の売買を行える国内唯一の会員制の卸電力取引市場ができたのだ。
電力は貯蔵が出来ないため、常に需要(消費電力量)と供給(発電量)をマッチさせなければならない。電力自由化が始まる前までは、大手電力会社10社が発電、送電、小売の3つの事業を一貫して行なう垂直一貫体制が採られてきた。
電力の卸売市場は、自由化によって発電、送電、小売の3事業が独立した事業となるため、相対契約あるいは自己保有の電源を補完するための手段が必要となった。
すなわち、事業者の供給量と需要量の季節毎・時間毎に起こる電力の過不足分を市場で販売・調達できるシステムがこの取引所である。
最近はコマーシャルで「ガスも電気も当社で」なんてコマーシャルが多いがそういうことだ。
小・菅・鳩3羽ガラスはいかにも信念無き風次第、まさしく風車のごとき言説で世間をミスリードしなければと心配する。
澤田哲生・東京大学助教によれば、再稼働の審査を通過した国内の原子力発電は大きく変貌したという。万が一福島第一原発事故のような事故が発生しても放出されるセシウムの量は1/100に抑えられるということだ。
ゼロリスクではないが、直ちに非難しなくても大丈夫なまでに安全性が確保されたと評価した。
再エネは決して安くないし不安定。30年でCo2ゼロも原子力なくして達成は難しい。
再エネ問題は、如何に発電した電気を蓄電するかにも直結する。
EVや蓄電池では中国が先行している。カーボンニュートラルへのシフトはさらに資金を中国に集中することにもなりかねない。世界秩序の中心を中国にもっていかれるとすれば悪夢である。
「原発ゼロ」のワンフレーズ的美辞麗句で迷妄があるとするなら国民に回復不能なツケがまわってくると、澤田助教は警鐘をならす。
以前、秋田の海岸線が無味乾燥な風車群で埋め尽くされ、景観もさることながら、静かに鳴り響く音に悩む住民の姿が報告されたが、ナイーブな国民を影響力のある人間が思いつきだけで将来を左右する言動は慎まなくてはならない。
原発は福島の事故を考えればできれば避けたいのは国民の心情であろう。しかし災害が引き起こした事故であった。その教訓を生かし安全対策を強化した。
今のコロナもそうである。経済の活性が人間安定の両輪であることを実感させた。原発の発電能力は抜群である。しかしどうしても原発は嫌だというのなら、リスクを回避しつつ国家として安定電源の目途がつくまで利用するのが人間に与えられた知恵ではなかろうか。