朝乃山の罪と罰

スポーツ,日本,雑記

Vol.2-5.21-493    朝乃山の罪と罰 
2021.5.21

20日の朝刊、下段の週刊誌広告にがっかりした。

大相撲夏場所が終盤に入り、いよいよ優勝は誰か?と佳境に入ったこの時期に、この「バカヤロー」と叫びたくなった。

と同時に、こやつにしてこの成績。やっとその不振の訳を理解した。

このショッキングなニュースは一気に角界を駆け巡ったことであろう。今、最も横綱に近い一人として期待を背負った大関である。

1年にも及ぶ横綱不在の危機、大関に課せられた期待、置かれた立場の重み等々、朝乃山に託した期待の大きさははかり知れない。危機を救えるのは “ お前しかいない ” という雰囲気さえあった。

この男にはその期待こそチャンスとみて、血みどろになって稽古に励み、大関3場所で横綱へ登らなくてはならなかった。

それができる環境であった。それを無駄にしさらに相撲界に泥を塗った罪はとてつもなく大きい。

横綱不在の年、実質的に己が横綱である。この意識を持たずして現大関の努めは果たせない。その認識すら持てなかったとすれば、本人はもとより、直属の親方の指導も大いに責められるべきであろう。

2020年7月に朝乃山は大関に昇進した。
3場所で三役を通過した。年6場所制となった1958年以降では2場所の照ノ富士にぐ2番目のスピード記録である。いよいよ朝乃山時代の幕開けかと思われた。

◆新大関で迎えた7月場所、照ノ富士との優勝争いとなった。惜しくも照ノ富士に負け、優勝は逃したものの、新大関での役目は果たした。

◆11月場所に期待はかかった。しかし初日は快勝したものの、2日目に三役に復帰した元大関の照ノ富士に敗れた際に肩を痛め、翌日の3日目から休場し。

◆令和3年1月場所は自身初の角番。6日目までに3敗しかし、そこから盛り返して11日目に角番を脱出。11勝4敗で場所を終えた。

◆3月場所は12日目まで優勝争いに残るが、13日目に大関・貴景勝に敗れて4敗に後退、優勝争いから脱落。14日目には照ノ富士にも敗れ、5敗目を喫した。

◆この場所こそと迎えた5月場所。序盤で3敗。中日では4敗。霧馬山、や若隆景に敗れた試合などは、どちらが大関か分からないような相撲だった。

大関になってからの5場所。最も横綱に近いと言われながら期待に応えられない。過去の大横綱、双葉山や大鵬と身体で引けを取るものではない。相撲の世界にはうってつけの体力を持ちながら何故だ、の疑問だ。

相撲に取り組む精神の在り方に多分に問題アリということが凡そわかった。

双葉山、栃錦、初代・若乃花に大鵬などには神事であることを心に刻んでいた。ふるまいや風貌にそれが現れていた。

ふるくなって恐縮だが、双葉山には名言が数々ある。今の力士は立派な伝統を引き継ぐために彼らが残した数々の教訓を勉強しているのであろうか。

相撲は神事である。力士が行う一つ一つの動作には意味がある。そのことを考えて土俵の上に立てば、闘志溢れる血相も怠慢な相撲で土俵を汚すまいという強い意志を示すものでなければならない。

今の力士の仕切りを見ていると、実にいい加減なものである。
土俵に入る時のお辞儀、四股の踏み方、塩のまき方、勝負がついた後にお互いが最善を尽くした後のお辞儀一つをとっても土俵が泣いている。

朝乃山が背負った責任は勝つだけではない。力士の見本とならなければならなかったのだ。

今回の不祥事を起こす前から、この人間は近いうちに必ず横綱になると確信してほぼ1年を見てきたが、ジイの目は節穴だった。

恵まれた体格に、四つ相撲を得意とする。横綱を張るには相応しい形を持っている。ところが成績が今一歩のところで強さを持続できない。落ち着きのない目と動作、不満だらけだったが期待した。

今考えれば、場所後のキャバクラが頭にあったのか、大関の風格など期待する方が間違っていた。

相撲道への造詣を深める努力、神事への畏怖と誇り、雑念を綺麗に払しょくすべき徹底した稽古、すべてがなかったのである。

心・技・体揃って横綱である。

今の朝乃山はどれ一つない。やっと理解できた。

新聞に載った週刊誌広告である。

週刊文春のリードには
『朝の山 裏切りの深夜キャバクラ・・・常習犯』
・緊急事態宣言の最中、大関・朝乃山が足しげく通う闇営業のキャバクラ店。
5月場所初日を2日後に控えた5月7日夜10時半、彼が待ち合わせしていたのは番記者だった。
張り込みに気づいた番記者は小誌の車のドアをこじ開け、・・・。

12日目から、謹慎休場である。
性根を鍛え直して再出発するか、引退か、よく考えるがいい。

久しく日本人横綱が出ていない。心なき力士に横綱が務まるわけがない。神はすべてお見通しであった。

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