命を賭して国を守る
Vol.3-3.8-784 命を賭して国を守る
2022.03.08
産経新聞に毎月第一月曜日、日本基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏のコラム記事が掲載されている。
毎回、思うことだが、コラムの表題「美しき勁き国へ」という表題のごとく、日本への強い愛情に満ち溢れている。生やさしい国家愛ではない。書かれている内容は実に手厳しく激烈である。
7日掲載の一部である、
『冷戦から約30年、私たちはいま初めて、核の使用をいとわない専制独裁者の出現に直面し、あってはならない現実に驚愕している。同時に私たちはプーチン氏に立ち向かう鮮烈な指導者の出現を得た。ウクライナのゼレンスキー大統領だ。
氏は米国が亡命の手段を申し出たのに対し、「必要なのは武器だ。乗り物ではない」と拒否した。
米国とNATOにウクライナ上空への飛行禁止区域設定を要請し拒否されると、ならばもっと武器や戦闘機を送れと要求した。
闘い抜く姿勢は1ミリも揺らいでいない。命懸けだ。国と運命を共にする覚悟を世界に示した。
人々の心に、あるべきリーダー像を深く刻み込んだ。リーダーとは戦うものだ。国を愛するとは命を懸けて守ることだと示した。
21世紀に引き起こされた異常な戦争にどう立ち向かうかをゼレンスキー氏の決断が示している。プーチン氏の悪魔の核の脅しに立ち向かうには、戦うしかないのだと告げている。
これこそ、日本人が心に刻むべき姿であろう。国を守ることは、こういうことだったと、思いだすべきだろう。
日本は敗戦後、戦うことを忘れた。祖国は自らが守るものだという国家としての原点を捨て去り、米国に守られるのを当然視してきた。そんなだらしない国を、世界は生きのびさせてはくれまい。・・・・・』
この櫻井氏の「国守る意志を持て」というメッセージを我が国民はどうとらえるだろか。
ウクライナ出身の国際政治学者グレンコ・アンドリー氏と橋下徹氏がウクライナ問題で激論をしたという
橋下氏は、命が大事いつか復活すればいいのだから、今は逃げろという。国外退避が現状を改善へ導く方法であるといい。プーチンはいつか死ぬんだからと説く。
これに対し、グレンコ・アンドリー氏は仮に100万人逃げても4000千万人は逃げられない。プーチンに占領されたウクライナはどんな目に合うか。330年間、独立を失った悲惨をウクライナ人は肌で知っている。ここで戦わなければウクライナの未来はない。という。
ここが、平和な日本で生まれ育った橋下氏と長きにわたり常にロシアの脅威に晒されてきた国で生きる国民の国家意識の違いである。
上記に示した、ゼレンスキー大統領の国と運命を共にすると決意を語った覚悟を、橋下氏であれば「命を投げ出してどうするんですか、死んだら何もできないじゃないですか、生き延びれば復活もできるじゃないか」という回答をするだろうと容易に推測できる。
この違いは大きい。
ゼレンスキー大統領の姿勢に世界は真剣に応援の意思を示したのである。ここがわかるかわからないか、悲惨を極めた歴史を持つ国家の生き様である。一度奪われた国家を取り戻すことはウクライナとロシアの国力を考えれば不可能である。日本の北方領土が不法に奪われ70年が経ちながらも返らない事実を知るべしだ。誰かが戦争でしか取り戻せないと言って批判を浴びたが、現実はそうなのである。
ウクライナは今頑張らなければ国を失うことを知っている。
国を愛するとは、国を守るとはという根本的な意識の違いである。
もし、途中で降参し、白旗を上げれば、その後の粛清こそ悲惨を極めるであろう。国家を亡くし、さらに一方的裁判で裁かれ、戦争で死ぬよりも多くなるかもしれない。ロシア領で抑圧され生きるウクライナ人のことを考えれば、即効性はなくても経済制裁に望みをかけ、徹底抗戦しかないのである。
実はこのウクライナの覚悟こそプーチンが最も恐れていることである。
この生き方の違いは、企業にも表れた。
ウクライナの侵攻が続く中、欧米企業が相次いで撤退を決めた。
シェル(英国)、ダイムラートラック(ドイツ)、アップル(米)、ナイキ(米)、アディダス(ドイツ)、マスタカード、VISAカード(米)
それに反し日本はというと、
◆検討・注視、企業が<三井物産、三菱商事、ファーストリフティング、JT、資生堂、トリドール
◆停止しない<楽天グループ>
◆ソニーグループが新作映画の配信を停止したのが唯一1社のみである。
楽天・三木谷社長は個人で10億円をウクライナ政府に寄付をした。支援募金も始めた。それを免罪符にロシア事業は停止しないとしたとしか思えない。まさに金が全てなのである。10億の寄付をするからロシアとの取引はまあ大目に見てくれと言わんばかりの対応はすべて金まみれ。ウクライナを侮辱すること甚だしい。
何ということだ、どの企業も口ではロシアを非難しつつ、儲けがなくなることを恐れる故、曖昧な態度を続ける節操のなさには失望しかない。
防衛を他人任せにし、似非平和を貪ることに慣れきった結末は背骨を失った軟体動物のようにアメリカに寄生している自覚すらなくなった。世も末である。
ゼレンスキー大統領は、明日の命はないかもしれない。と、どこまでもウクライナと共にあることの覚悟を語った。
ウクライナ国民は国家元首のこの一言に命を懸け必死に戦っているのである。
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