韓国、対日改善は本気か?
Vol.3-5.2-839 韓国、対日改善は本気か?
2022.05.02
韓国新大統領・尹錫悦氏は来月5月10日の大統領就任式を前に、日韓関係を少しでも改善しておきたいと言う思惑で、4月24日から28日までの5日間、日本に代表団を派遣した。
極東状況、ウクライナ問題、中国覇権主義など山積する問題を前に、日韓が揉めていてはどうしようもない。「何とか改善しろ」とバイデン大統領から言われたのかもしれない。
早速来たのはいい。揉み手とは言わないがいつもと違い確かに低姿勢に見えた。その態度とは裏腹に、訪日と日を合わせるように、不法占拠する竹島の地形や周辺海域に関する精密な測量計画を進めていることが26日、政府関係者への取材で分かった。
産経新聞によれば、
『日本政府は外交ルートで抗議し、韓国の尹錫悦・次期大統領が日本に派遣中の代表団側にも中止を求めた』とあるが、韓国は何を考えているのか?。本当に日韓関係の改善を考えているとは思えない。
『政府関係者によると、調査は韓国の政府機関「国立海洋調査院」が主導。公式サイトで「2022年無人海洋調査」と題し事業費約17億ウォンの計画を公表、入札を実施している。 ドローンで島上空から高解像度の写真を撮影し、立体的な精密測定が可能なレーザー照射を行って海底地形や海流の状況なども含め詳細に調べる。韓国は陸部でも地形測量を進めているとされ、島防衛や管理強化に向け、蓄積したデータの分析・統合も加速するとしている。 政府は竹島について外交ルートで継続的に抗議しており、今回の計画にも「日本の立場と相いれない」と中止を強く求めた。尹次期大統領側が派遣し、事実上の政権移行チームとされる訪日団に随行する外務省関係者にも同様に抗議した』というが当たり前である。
「国連海洋法条約」では他国の領海で調査を行う場合、外交ルートで同意を得ることを定めている。竹島の調査も本来、日本側の同意が必要である。
日本は主権意識が希薄である。言葉だけでは無力、憲法改正が急務である。
今回の代表団は、岸田首相をはじめ、政財界人20人以上と面会、手ごたえを感じて28日帰ったようだが、5月10日の大統領就任式に岸田首相を招待した。明確な回答はまだしていないが難しいところだ。
長引く「徴用工・慰安婦問題、韓国で一方的に進められた裁判で日本企業は敗訴が決定している。資産売却の手続き中である。未解決問題を抱えたまま、ほいほいと行けば韓国の思う壺、という見方もある。
そんな折、韓国生活の長いソウル駐在論説委員の黒田勝弘氏が、韓国の微妙な空気を察してか、産経新聞のコラムにこんな意見を披露していた。
『から(韓)くに便り』
韓国には「始まりが半分」ということわざがある。
「物事は始めがうまくいけば半ば成功したようなもの」という意味で、スタートの重要性を強調した言葉である。
日本では「終わりよければすべてよし」とか「立つ鳥跡を濁さず」などといって締めくくりを重視するようだが、韓国ではとっかかりを重視するということだろうか。
・・・ただ、日韓は歴史がらみの “ 反日対嫌韓 ” という対立ムードにもかかわらず、日本では若い世代を中心にKポップス人気などで “ 韓国ブーム ” があり、韓国では日本旅行再開への期待など人びとの “ 日本好み ” は変わりないという現実もある。それだけに双方で「始まり」を機に外交関係の改善を求める声が強い。
・・・韓国における日本の存在感は、以前と比べると相対的に小さくはなったのだが、それでも「先進国日本」のイメージは強く、日本を体験した韓国人の多くは「日本に学べ」をいう。モノではなく「落ち着いた人々や街の風情」が印象的というのだ。
・・・韓国人の日本への関心は日本人の韓国への関心よりはるかに強い。
・・・長期にわたって日本との関係が悪化していることには普通の人でも落ち着かない感じを持っている。ここにきて「始まり」に期待が出ている背景である。
韓国では5年ごとに大統領が代わる。強力な大統領中心制なので、大統領の交替は政治・外交をはじめ多くの分野で変化のきっかけになる。
・・・そこで、日本は対韓外交においてこれを利用、活用しない手はない。これは5年に1度のチャンスなのだ。
尹新大統領の就任式は5月10日に行われる。その就任式出席に日本の岸田首相は消極的と伝えられるが実にもったいない。日韓の懸案など具体的な話は後でいい。まずは祝賀訪問で新大統領の気持ち、および韓国世論を引き付けることが先だ。「始まりが半分」の韓国である。スタートがよければ展望も開ける』
と熱く、新大統領就任式出席を促す。
う~ん、黒田氏の言うことも一理ある。確かに就任式に懸案事項を話し合うわけではあるまい。一応出席し、新大統領を祝賀し、バイデンの顔も立てる。ただし、懸案事項は別問題である。今問題となっている徴用工・慰安婦問題は1ミリの譲歩もしてはならない。“ 元の木阿弥 ” とならぬよう、肝に銘じて「祝賀」のみならいいのではないか。
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