パーパス経営
Vol.3-5.4-841 パーパス経営
2022.05.04
会社は株主のものであり、株主の利益を第一に配慮して経営を行うべきというアメリカ輸入の概念がある。
日本にはなじまないと思っていたが、市場メカニズムにより経済を効率化させるため、規制緩和やリストラなど企業の利益最大化がずっと推進されてきた。
台頭するその力におされ、企業を社会的存在と捉え、株主の利益のみを優先するのではなく、顧客・取引先・地域社会などの利害関係者全般への貢献を重視する「三方よし」のような日本流の考えの企業は時代遅れのような存在になった。
この、企業は社会の公器。従業員は家族とする考えの中で株主は、経営に口を出さずに株式だけを保有するいわゆる「物言わぬ株主」と位置付けられてきた。
日本では長く、保険会社、信託銀行などの機関投資家が株式を保有したり、企業同士で株式を持ち合ったりしながら、企業経営には口を出さない慣習が続いてきたのはその通りである。
しかしこの場合、確かに緊張感のない経営になる傾向があり問題はある。だからといって株主にしゃぶられ、国家安全保障に悪影響を及ぼす株主資本主義経営が良いことにはならない。
「物言う株主」によって、会社はドラスチックな変革を迫られたり、場合によっては敵対的買収の危機に直面することもあったのだ。
社会はその弊害に気づいたのだろうか。
㈱アシスト社長・平井宏治氏は「『三方よし』に代表される全ての利害関係者の利益に配慮した経営は、日本企業の本来の経営思想。わが国も株主資本主義を見直し、経済安全保障を盛り込んだ新しいステークホルダー資本主義にかじを切るときが来ているのではないだろうか。」と新たな概念での企業経営の必要性を示唆した。
そこで今、自社の存在意義を見つめ直し、社会に対してどんな価値を提供していくかを示す「パーパス」という経営概念が注目されている。
短期的な利益を追求する株主資本主義を脱却して、資本主義の新たな形だと言うが、日本は昔から本来この考え方が主流だったのではないかと思う。
特に日本を代表する経営の神様と称される松下幸之助などはまさにこの考えであった。
ところでこのパーパス、ビジネスの世界では「存在意義」と訳される場合もあるが「志」と表現することもあるようだ。
自社の存在意義を見つめ直し、社会に何らかの価値をもたらしたいという内面からわき立つような欲求を指す。多くの企業が掲げてきた「ミッション」や「ビジョン」とは異なり、従業員や顧客、投資家に共感の輪が広がって行くことを理想形としている。
このパーパス、リーマンショックがきっかけで第一次ブームが起こったというが、経済に疎いジイは知らなかった。新型コロナの流行で自らの生き方を見つめ直した人々が、パーパスに共感を覚えるようになったのが第二次ブームの原因のようだ。
産経新聞・民間企業担当・米沢文氏によると、日本の代表例の一つがソニーグループだという。
ソニーは3年前「クリエイティビリティとテクノロジーで世界を感動で満たす」というパーパスを打ち出した。
ソニーが会社として「新たな方向性」のようなものを発表したのは知っていたが、それがパーパスという概念から出たものとは知らなかった。
SOMPOホールディングスは昨年5月「 “ 安心・安全・健康のテーマパーク ” により、あらゆる人が自分らしい人生を健康で豊かに楽しむことのできる社会を実現する」というパーパスを掲げたそうだ。
日本にはなじみ深い考え方で良いと思うが、営業という部署でその高い理念を、どのように生かしていけるか、難しい問題である。
米沢氏は、日本企業の中には、戦後高度経済成長の終身雇用制度の中で培われた「社員は家族」といった概念や、近江商人の「買い手よし、売り手よし、世間よしの三方よし」の精神が受け継がれていると言う。
そういう意味では確かに日本人にはマッチした概念である。
敗戦後の高度成長期と内容は大きく違うが、着実な安定成長に日本人の精神に根付いた概念そのものが経営に生かせるとなれば、それこそ思う存分、生き生きとして日本独自の経営に没頭できる。
昭和30年~50年代のがむしゃらに働いた高度成長期とは違い、高度に発達したテクノロジーの中で、“ 神武景気/岩戸景気/いざなぎ景気 ” とは違った日本の第三の高度成長期の復活となれば最高である。
風は日本に吹き始めたか。安い給料で苦しいかった長いデフレともおさらばし、日本新時代の幕開けとなればいいが。
まあ、ここは空元気でも “エイエイ、オー!” と声を張り上げなければなるまい。
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