司法リスク
Vol.3-6.3-871 司法リスク
2022.06.03
「司法リスク」、産経新聞の主張に “ 司法リスク ” という言葉を発見し、司法にもリスクがあるというのはそれなりに感じていたが、改めて紙面でみると新鮮である。
先日、北海道の泊原発の運転差し止めを命じる判決を札幌地裁が出した。
北海道道民ら約120人が北海道電に廃炉や運転差し止めを求めた訴訟の判決で、「津波に対する安全性の基準を満たしていない」などとして、現在定期検査中の3基の運転差し止めを命じたのだ。
これで、平成23年3月の東京電力福島第一原発事故後、運転差し止めを命じる判決は3例目となった。
実に11年もかけた判決である。
産経の「社説(主張)」は
「判決の要は『泊原発には(現時点で)津波防護施設が存在せず、津波に対する安全基準を満たしていない』とするものだが、これはあまりにも理不尽だ。」という。
その理由として
北電は
①津波で被災した東京電力の福島第一原発の事故を踏まえ、26年に防潮堤を設置している
②今年3月からは、さらに強固な岩盤支持構造の防潮堤に造りかえるための準備工事に着手した。
③工事期間中の津波対策も講じている
こうした安全性強化に向けた取り組みを評価しないどころか、逆手に取ったかのような判決に苦言を呈した。さらに提訴から10年以上、北電側の主張の立証が終わる見通しが立たないとして今年1月「審理を継続することは相当でない」と打ち切りを宣言したことにも疑問を呈した。
昨年7月、長い間議論が続いていた原発敷地内の断層の活動性について、『活断層ではない』とする北電の主張が科学的に承認された。ところが、裁判長は今年1月に突然、結審し、今回の判決を下した。産経はその裁判所の「科学的論理を欠いた判決」は納得がいかないと疑問を呈したのだ。
福島の原発事故は確かに大きな被害をもたらした。地元の方は大変な被害に苦労をされたことはジイも重々承知している。
今も、風評被害に苦しみ、産業全般に暗い影を落としいる。まだ、帰還できない地域もある。その痛み、苦しみを知らない部外者が軽々に発言などできる立場ではないが、今回の裁判所の判決、過去2度示された原発判決。そこには、「もう2度と原発は稼働させない」という結論ありきの心理が動いているような気がしてならない。
事案の性質によって裁判は長くかかるものである。しかし、今年1月突然裁判を結審に持ち込む、そこには北電の主張が認められた『活断層ではない』という科学的承認と、「さらに強固な防潮堤に造り替える工事に着手」した北電側に有利な条件が整いつつあるのを見越し、長期化を理由に「見通した立たない」として突然結審に持ち込む。という意図を感じとってしまうのだ。
原発はない方がいい、同じように核兵器もない方がいいと日本人は誰もが思っている。
しかし、原発も原爆も世界には存在し、有用にも悪用にも世界最強の力を発揮していることは事実である。
何か事故や事件が起きれば必ずや人はその元凶を消そうとする。しかし、アメリカの銃乱射事件も、銃規制の声が上がるも廃止につながらない。
すべてが単純ではないのだ。原発に限って言えば、それに代わる代替エネルギーである自然エネルギーが大きく育ちつつある。しかしそれが、ある日を境に一気に代替できるものではない。
既に太陽光発電にも光と影がある。乱開発による災害事故、伊豆の事故は記憶に新しい。使用済みパネル廃棄の処理問題も社会問題化しかねない。風力も地熱もある。しかし長い時間をかけて問題点を解決しながらより安全で、経済効率等々を考え、試行錯誤の上進化していくものである。
したがって、それらが最効率かつ最強の力を発揮するまで、私たちは今まで苦労して作り上げたものを気を付けて使うより仕方ないのである。
特に原発などは、事故さえなければ世界最強のクリーンエネルギーである。今はその事故の危険性を限りなく最小限に止める最新の原子炉も開発されている。しかしその思考さえ停止させる方向に動く一部勢力がある。その一翼を担っているのが “ 司法 ” だとすれば、“ リスク ” になり得るのであろう。
私たちは災害は避けて通れない。しかし、起きた時はなかなか冷静にはなれないが、時間をかけ徐々に落ち着きを取り戻し冷静になる。司法が時間をかける理由はもとより冷静な審理の中に、納得いく結論により近づけるためのものであろう。その司法が一部のイデオロギーに流され時間を放棄することがあってはならない。
ただ、司法と言えど人間である。天を仰ぎ “ わが心に一切の曇りなし ” と言える人間は皆無であろう。
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