こども家庭庁

日本,雑記

Vol.3-6.24-892   こども家庭庁

2022.06.24

こども家庭庁・関連法案「こども基本法」が15日成立した。

少子化、虐待、貧困、性犯罪、ヤングケアラーに至るまで子供に関する問題は山積している。

昭和の時代には考えられなかったような問題は子供だけの問題ではない。「こども家庭庁」と “ 家庭 ” がつけられた意味は大きい。家族のあり方が大きく変わったのだ。

昭和の時代、普通であった、曾祖父、祖父、両親に子供など大家族が普通であった時代。近所付き合いも家族同士、向かい三軒両隣どころか、村であれば隅から隅まで、どこどこの息子はどこそこの会社へ就職した。あそこの子供はやんちゃ坊主で、などとすべてわかっていた。

村全体で子供を見守っていた。見て見ぬふりどころか、今なら越権行為で訴えられそうな叱りも、親からすれば有りがたいことの方が多かった。

昭和時代も40年代に入ると、村から町へ、町から大都会へ経済の拡大とともに若者は都会に出た。

ある時代から、家族から個人が重視され結婚を機に親とは別に住居を構えるようになり核家族化が進んだ。さらには女性の社会進出が活発になり夫婦共働きが主流に、「鍵っ子」という言葉も生まれた。

その成れの果てが今のこども問題だ。

親が、祖父母が同居していた頃は、おじいちゃんやおばあちゃんが孫の面倒や教育を日常の中で担った。私は「おばあちゃん子」という大人も多くいる。

今では、子どもは放ったらかし、若気の至りどころか若い男女の享楽の末、望まぬ子も仕方なく育て、そのうち子供が邪魔になり八つ当たりに暴力、その果ては死に至ることも稀ではなくなった。

子ども虐待は日常的に起るようになった。

虐待に虐待を受けても親がすべての子供。どんなひどい目にあっても「ママごめん、お父さんいい子になるから」と健気に生きる姿には言葉もない。飛んで行けるならスーパーマンのようにその場に一っ跳びし、すぐにでも助けたい気分に何度なったことか。

虐待ニュースに接するたびに、その親を “ 殺してやりたい ” と思うことすらある。親ではない、人面をつけたケダモノである。

「こども家庭庁」は来年4月に創設される。「こども基本法」はその司令塔であり理念法となる。

昔、大家族や村や町が担ってきた役割を「こども家庭庁」が担うとすれば、その根本には子供に対する深い愛情がなくてはならない。「児童相談所」のように魂の入らない形だけの “ 児相 ” ならないほうがまし、警察の方がよほどいい。

最近、何かといえば、「こどもの権利」という。子どもが正当に権利を主張できるほど成長してないにも拘わらず権利権利という。権利を言う前に子供への愛情である。どう子どもに寄り添えるかだ。「こどもの権利」という表現は害あって益なしである。

今回は、貧困や少子化、ヤングケアラーと幅広い。従って、すべて一律にとはいかないだろう。その対応には部署部署に必要な人材を慎重に見極め、傷つきやすく不安定な環境にある子供に合う人間の適材適所を見極めていただきたい。さらに、優しさは欠かせない基本事項である。

ましてや、純真無垢なこどもをあらぬ方向に指導するなどあってはならない。

柔軟な頭を持った子供は環境に左右されやすい。日本の将来を担う宝である。優しさの中にも逞しく生きることへのサポートも視野に「こども家庭庁」が大切な役割を担ってくれることを期待したい。

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Posted by 秀木石