吉永小百合氏を防衛副大臣に
Vol.1-8.8-207 吉永小百合氏を防衛副大臣に
2020.08.8
戦後75年の夏を迎えた。これからしばらくは戦後75年にまつわる話が当分世間の話題の中心になることだろう。
世界で初めて原爆が使われたのが昭和20年8月6日広島である。それから3日後に長崎に2発目の原爆が投下された。
アメリカを中心に原爆は戦争終結を早めるための必要説が根強くある。
日本をはじめその他の見方には初めて使う原爆の威力の効果の実験である。
戦争終結に向けすでに動いていた事実を考えれば、今実行しなければ、チャンスを逃すとの焦りが、2度にわたる原爆実験につながったことは明らかである。
事実、8月15日は終戦宣言が出されているのである。
無辜の市民を無差別に殺戮する爆弾を実験のために2つも落とした罪は、当時の国際戦時法からしても明らかな戦争犯罪である。
アメリカ連合軍の勝利により、これまた、戦勝国によるデタラメな戦時法廷で、すべて敗戦国の責任として処理され、多くの貴重な人材が絞首刑にされこの世を去った。
東京大空襲に代表される無差別なる空爆や不当な原爆によって死亡した人は36万人を超え、被爆者は70万人を超えた。東京の空襲の被災者は310万人を超えているにもかかわらず、アメリカは一切問われることなく裁判は終結した。
これが、いわゆる悪評高き「東京裁判」である。
それはさておき、戦後、7年間もアメリカは占領状態の下で日本の精神を骨抜きにしたにもかかわらず、極東防衛と、日本の再軍備の恐怖からか、沖縄を本拠に更に米軍基地を置き続けるのである。
しかし、その恩恵もあった。防衛費負担の減少のお蔭で、日本経済は今の中国のように昭和30年から昭和48年まで、年率10%以上の経済成長を遂げ、所得倍増宣言が出されるほどの成長をした。
日本は2つの原爆、名だたる都市が空襲で焼け野原になった。その中から立ち上がり懸命に働いた。これは勤勉なる日本人の奇跡である。昭和43年には、自由主義社会の中でアメリカに次ぎ、GNP世界第二位となってしまう。たかが13年である。
世界の驚きはもちろんのこと、アジア特に東南アジアでは羨望の目で見られるまでになった。しかし、防衛はアメリカ任せと言いう、独立国家としてはありえない片手落ち国家が今にある。
防衛の一切をアメリカの傘に浴してきたといっても過言ではない。いつの間にか国民の間には軍隊という意識がなくなった。自衛隊は字の如く守るだけの組織。軍人という言葉は遠い昔の話になった。
そのうち、防衛意識はなくなり、平和はいつの間にか、日本の日常であり、守ることへの意識は希薄の一途をたどった。
竹島も北方4島も返還への情熱は薄らぐばかりだ。
韓国の要人が竹島へ上陸しても、北方4島が徐々に自国領土のように要塞化されようが国民の意識の中に激しい怒りはない。
防衛をアメリカが担っていることすら、日本人の意識になくなっている。
沖縄に90%以上の基地がある。県民の生活負担は想像以上に大きいだろう、反面、基地による経済の恩恵と政府援助は資源に乏しい沖縄にとって有益なことである。
そんな日本の現状の中、今年も8月6日原爆の日を迎えた。
たまたま見た記事の中に、女優・吉永小百合さんの記事があった。
その記事の一部である。
「吉永小百合さんは人生そのものを戦後と重ねてきた。・・・被爆者の要請に応えて原爆詩の朗読を始めて30年以上になる。
核廃絶への思いはもちろんとして、吉永さんは他の反戦・反核論者とはやや異なると思う。苦悩を特定の人たちに抱かせ、孤立させてはならない、痛みの分かち合いが必要だーーという意志の持ち主だからだ。・・・・・
沖縄の痛みを引き受けなければいけない」
「そんなに必要なら海兵隊を東京に持ってきたらどうかと思うくらい、申し訳ない気持ちがあります」と語ったとある。
この言葉を特別記者・石井聡氏は
「米軍の部隊配置の現実性うんぬんの話ではない。国民の命を守るための負担配分をみなで考えることは、イデオロギーを超えた課題のはず。それについてこの国はあまりにも無頓着ではないか、と問いかけているように聞こえる。」
と解説した。
ジイは吉永小百合氏のあまりにもナイーブな考えにサユリスト脱退を心で誓っていたが、ちょっと考え直してみようかというきっかけをくれた石井氏の解説であった
なるほどと思った。
本来、防衛は日本がアメリカの占領から独立した時に考えなければならなかった問題である。しかし、吉永発言が、石井特別記者の斟酌通りだとすれば大きなチャンスである。
吉永小百合という正義・誠実・実直・清楚などあらゆる善き形容詞をも凌駕する人物である。彼女が説く防衛基地負担に耳を貸さない人間はいないだろう。
「本当に基地が必要なら」という言葉に若干の引っ掛かりはあるが、独立国家としての世界常識として防衛の必要性は勉強家である吉永氏なら理解していただけるであろう。
スイスのように永世中立国であっても軍隊をもった武装中立である。平和と両輪の防衛を歴史上米国に依存しているのである。その防衛基地を沖縄だけに依存せず、「全国民が担い沖縄と同等の負担をしなければならない」と、喚起しているというなら、吉永氏のような誠実で有名な人を国家として招へいすべきである。
国防副大臣として基地の負担配分と基地再配置等を主に尽力していただく。日本人の国防意識を画期的に変える絶好の機会になるかもしれない。
ただ、平和という永遠不変のナイーブな論者でなければの話だが。