戦わざる国に独立なし
Vol.1-10.1-261 戦わざる国に独立なし
2020.10.1
27日、産経新聞に掲載された楊海英・文化人類学者・静岡大教授の寄稿文を、日本人はどのように受けとったのであろうか知りたいものだ。
表題にあるように「戦わざる国独立なし」。戦いを奨励しているわけではないが、戦わずして独立など勝ち得ないということを、モンゴル人として身を持って経験しているが故に説得力がある。
楊海英である。
『戦後75年も過ぎたというのに、敗戦国の日本はいまだに戦争の呪縛から解かれていない。ここでいう呪縛とは2つある。1つは、いかなる戦争も絶対悪だという偏った見方が根強く残っていることで、これがために日本人の思想的源泉は枯渇してしまっている』
『もう1つは現実離れした非武装論がはびこり、そのために日本は国家としての国際的立場を悪くしていることだ。世界史的にみて、この2つの呪縛を解かない限り、先進国から転落するのも時間の問題だろう。』
この指摘は衝撃的だが、果たしてこれを現実として理解する日本人はいるのかとう疑問である。
『20世紀に勃発して2度にわたる大戦を、人類は正義と非正義の価値観で戦後処理した。反戦国は「侵略」戦争を起した非正義とみなされ、もう一方の戦勝国は「平和」の守護者たる正義の側に立った。・・・・・』
『しかし、一方、たとえば、アジアやアフリカ諸国が宗主国のフランスやイギリスに対して行った戦争も「植民地支配からの解放」と謳歌された。正義の戦争観を打ち立てた西洋諸国も苦渋の心情で植民地の独立を受け入れざるをえなかったのではないか』
確かに正義の線引きはどこで引くかは難しい問題だ。
『1979年中国とベトナムの中越戦争なるものがあった。社会主義国同士の戦争だった。この戦争によってイデオロギーによる正義、非正義も無意味だと証明された』
この戦争によって『日本だけが非正義の戦争を起し、「侵略」された側にすべての正義があると言う見方は成立しない』と楊海英氏はいっている。
ジイはほぼその通りに楊海英氏の論に賛成する側だが、はたしてどの程度の日本人がこの論を受け入れるだろうか。洗脳された75年呪縛から解放するのは至難の業だ。
さらに楊氏は
『日本の「戦争絶対悪」論という』呪縛は、即ち正義対非正義の戦争観を敗戦国として受け入れたに過ぎないのだが、それが徹底的非武装論という次なる呪縛の温床となった。』という。
『敵に侵略されても、隣人が強盗化しても、丸腰で対応しようという天真爛漫な空想論。敵が侵入してきて、強盗の隣人が暴力を振るった後に何が生じるかを想定しようとしない、思考停止した人たちの夢物語だ』と、今この危機的状況にすら危機感を抱かない日本に、半ば呆れさえ伺える。
モンゴルが戦わずして中国の統治に置かれ、今まさに、奴隷のように言葉を奪われようとしている現実に楊氏は直面しているのである。
モンゴルの悲惨をみよ!とのメッセージである。
平和ボケと言われて久しいが、今の局面こそ危機であると認識できる日本人がどれほどいるだろうか、甚だ心もとない。
「戦争」と聞けば思考停止になってしまう日本人。憲法改正すらできない日本。尖閣上陸という現実と、どこかの国のミサイルが本土に着弾しないかぎり目が覚めることはないかもしれない。
その時初めて戦後の呪縛から解き放たれるのであろうか。