百田尚樹の日本国憲法(1)
Vol.2-1.29 381 百田尚樹の日本国憲法(1)
2021.1.29
「百田尚樹の日本国憲法」昨年12月20日祥伝社新書として発売された。
特別に変わった憲法が書いてあるわけではない。百田尚樹の日本国憲法と名前を冠してあるだけあって、日本国憲法を百田流にわかりやすくかつ、百田エッセンスがちりばめられているということである。
まずもって日本国憲法、昭和22年5月3日に施行され73年が経つ。この間、憲法の一言一句に至るまで改正されてない世界に類をみない憲法であるということを認識しなくてはならない。
憲法は聖書でも仏典でもない。時代が変わればそれに合ったように変わらなければならない。しかし、唯一、憲法のある国で改正がされていないのは日本国憲法だけである。先進国では1度や2度の改正どころか何十回と改正されている事実を見ても特異な憲法である。
憲法学者・西修氏が数年前、日本の憲法作成に関わったアメリカ人を訪ねた時の話であるが、「あの憲法を改正もせず今も使っていることに驚いた」という。たった9日間の間につくるのには「応急処置的憲法」にならざるを得なかった。と証言し、当然のようにすぐに改正されるものと思っていたと言うのだ。
彼らは内心、日本のバカさ加減をあざ笑うとともに、アメリカの洗脳力に満悦したことだろう。
その憲法を後生大事に73年、一度も改正せずに使っていることに、驚いたのは当然であろうが、呆れかえったのだ。
これほどまでに頑なに改正を拒んできたのは日本特有の事情がある。
言い尽くされた感があるが、敗戦後のGHQが行った日本弱体化を図ったWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)である。
占領期間の7年間であらゆる方法を使って、「日本は悪い国」のイメージの植え付け、愛国的な人間を追放、自虐史観を徹底する洗脳教育を徹底した。
保守的人間を追放し、その穴を埋めるように共産党系の多くが公職に復帰した。ただ、東大教授であった、宮澤俊義や横田喜三郎などはGHQに阿り東大の権威者として生き残り、今尚多くの憲法学者の崇拝の的となっている。洗脳が血肉になった恐ろしい結果である。
反日に転じた宮澤理論に洗脳された法曹界、国会で議席を持つ共産党。GHQの残した負の遺産として生きている。
戦後75年、戦後の洗脳が終わらないと言うのは決して昔の話ではない。
安倍総理になって俄然憲法改正が言われるようになったが、何故憲法を改正しなければならないのか。すでにいろんな保守系知識人から言われていることだが、そもそも「現行憲法の自主的改正」は自民党結党以来の党是である。
<改正の理由>
1、憲法の成立過程に国際法違反があるのである。
昭和22年、日本がまだ占領下にある時に、さらにアメリカが作った憲法である。1899年ハーグ陸戦条約には「戦勝国は絶対的な理由がないかぎり、敗戦国の法律を尊重しなければならない」とある。日本にはすでに憲法があった。改正する理由も必然性もなかった。ただ、アメリカの都合で強引に改正させたのだ。明らかな国際法違反である。
2、「緊急事態条項」に関する項目が欠如している。
世界の憲法で緊急事態条項がない憲法は皆無。日本だけである。
あの、東日本大震災の時、津波に流されて所有者不在の車を撤去できず、救助が遅れた。<財産権はこれを侵してはならない>という条項がじゃまをした。緊急事態条項があれば、緊急事態用の対応ができたのである。
3、よく言われる「憲法9条」である。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍との他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
ここで「戦争放棄」を謳っておきながら自衛の為なら許されると解釈している。しかし「自衛のための戦いなら許される」とはどこにも書いていない。「自衛は自然権」だと言っても「国の交戦権はこれを認めない」と書いてあることから矛盾が生じる。
さらに、自衛隊は違憲であるとする勢力に隊員とその家族はいつも肩身の狭い思いをしながらも命をかけて日本を守っている。自衛隊は戦車も戦闘機も機関銃も持っている。戦力ではないと言うには無理がある。自衛隊は日本があらゆる災難に遭遇した時に常に守ってくれる存在である。この地位こそが最高位に明記されなければならない。
上記のことだけでも憲法を改正しなければならないことは明白である。
数年前、アフガンで多大な貢献をされた「中村哲医師」は銃弾に倒れた。中村氏は生前「私は憲法9条に守られているから撃たれない」と語っておられそうだが、ある意味憲法9条の犠牲者とも言えるのではないか。