愛国心なき文科省

日本 雑記

Vol.2-2.26-409   愛国心なき文科省
2021.2.26

文科省はよほど愛国心なる言葉も心情も受け入れられない体質にあるようだ。

「新しい歴史教科書をつくる会」から、山川出版社の教科書に記された「従軍慰安婦」の削除勧告要請にも応じることはなかった。

2月23日文科省は、今年4月から使われる中学校歴史教科書で「従軍慰安婦」の記述がある山川出版社の教科書は問題なしとした。

「従軍慰安婦」という言葉は歴史上存在した言葉ではない。昭和48年に同名小説を著した作家・千田夏光氏の造語である。同著で日本軍が女性たちを強制連行し、慰安婦施設を運営していたとする根拠のない内容を基に広がったものである。

その言葉をよりによって平成5年に強制性を認め、河野談話で従軍慰安婦に言及したことで一気に教科書で使われるようになった。

ところが、「強制連行説」に疑義が指摘され平成16年度検定からは全社が慰安婦問題を扱わなくなって、この「従軍慰安婦」なる言葉は、中学校の教科書から消えたのである。

それが、突然である。よりによって新規参入した山川出版社が昨年「従軍慰安婦」を復活させたのだ。その悪名高き言葉を、文科省は令和元年の検定で合格させたというのだから理解に苦しむ。

誰も、この「従軍慰安婦」を教科書に復活させよ!と言ったわけではない。少なくともジイは平成16年以降、教科書からこの言葉がなくなって「寂しい」とか「復活させろ」とか「従軍慰安婦の新しい事実が判明した」などいう話は寡聞にして聞かない。

「新しい歴史教科書をつくる会」などは、子供の学ぶ大事な歴史教科書である。日本の歴史に誇りと自信を持って学べるようにと苦心を重ねてきた会である。

日本政府が「従軍慰安婦」なる言葉を使わない。としたにもかかわらず、今回新規参入した山川出版が敢えて復活させる意図は何であったのか問いたい。

使う必要もないし、歴史になかった言葉である。日本の歴史に忠実であれば使えない言葉である。ましてや子供が使う教科書に好ましい言葉でもない。それを敢えて新規参入してまで使うには悪意を感じる。

「新しい歴史教科書をつくる会」は当然のように、「使用は日本政府の立場と異なる」として、2度にわたり、教科書会社に記述削除を勧告するよう文部科学省に要請をした。

その回答を23日「勧告することは考えていない」と、文科省は要請をにべもなく却下したのだ。

その理由である。

①当該箇所の記述内容が強制連行を否定した政府見解に反したものではなく、「検定意見を付す必要はないと教科書検定調査審議会で判断された」とした。

また、つくる会の<従軍慰安婦の言葉が、強制連行のイメージと不可分で使われていると指摘した>ことについては、

②「軍や官憲による強制的な連行があったとは記述されていない。」とし、本文で「労働を強いられた」などの表現を使っていても「必ずしも同様の強制性を示しているとは言えない」と反論した。

文科省はどこまでも「従軍慰安婦」を消したくないという情熱のようなものさえ感じる反論である。

「従軍慰安婦」という言葉は戦時には存在しておらず、書名に用いたのは昭和48年(1973年)千田夏光の『従軍慰安婦』が最初である。

歴史上になかった言葉で日本を貶めるために使われた言葉である。教科書検定で不合格にすることなどたやすいことだ。削除を勧告して文科省が窮地に陥ることもない。山川出版社は歴史になかった言葉に反論の余地さえない。何故と言う疑問が消えない。

今、盛んに野党が追及する7万円の接待疑惑も大事なことであろう。
しかし、日本の将来を担う子供が学ぶ歴史教科書である。

7万円の接待疑惑以上に文科省を追求していい事案である。国家の誇りや品格に位置する極めて重大な問題である。

愛国心に燃え、文科省の「教科書検定調査審議会」の座長を国会に読んでその経緯や意図、歴史になかった言葉をあえて合格にした理由を質そうという国会議員がいないのであろうか。

何が国会だ、国会議員だと思ってしまう。

愛国心の言葉さえ、恐れをなして言えない国会議員。日本の何を誇りとして国会議員をしているのか。呆れてものも言えない。