世論とは雲行き也
Vol.2-4.21-463 世論とは雲行き也
2021.4.21
世論とは ⇒ 「ある社会の問題について世間の人々の持っている意見」とある。
簡単に言えばそういうことである。しかし内容を吟味すれば、実に不安定極まるものとも理解できる。さらに、その時代の影響を多分に受けるなど、結果をどう判断するかは難しい。
最近は一応、世論と言えば、世論調査による結果を言う場合が多い。
果たしてその世論とは正しいのかという時、判断する人間によって千差万別である。
そこで、国民は提起された問題にどういうプロセスによって自己の結論を導き出すのかということが気になる。
多くの国民は、一つの問題提起がされた場合の判断材料に自分の知識の入手ルートに影響されることが多分にある。
例えば、
①支持政党を持つ人はその意見に添う
②新聞やテレビ等、マスメディアからの情報で判断
③友人、知人あるいは会社を通じて入る情報から
④自分でいろんな書物をみて独自に勉強して判断
⑤特定の知識人もしくは信奉者を己の判断基準とする
⑥何も考えず自己判断
いろいろ判断基準はあろうが、一般的世論調査に応じる時、自分に直接影響あるか、特別に興味を抱くような問題でもなければ真剣に考えて回答する人間は少ないのではないか。
国会論議の中で野党はよく
「国民は納得していない」、とか「国民の理解が得られていない」などといって審議の採決を遅らせたり、法案を廃案に持ち込もうとする。
その場合、野党は何を根拠に「国民の納得と理解」を判断しているのであろうか、いつも疑問に思う。
与党も自信がないのか、その判断の正確性を追求することもない。国会議論の落としどころは当然世論を注視せざるを得ないが、何をもって採決の判断を下すのかいささか疑問である。
法案の内容が利権に絡むとか、社会制度が大きく変わる憲法改正となるとお互いに慎重である。国家予算などは、通らなければ国民に直接影響があることを考えると、よほどのことがない限り野党も反対しづらい案件であり通さざるを得ない。
そこで、重要案件は一応世論の後押しが大勢を決めるポイントとなり、自然に世論調査なるものが重要視される。
今回、その世論の後押しによってやっと憲法議論が進むかに思われた。野党の好きな世論調査によって国民がはっきっりGOサインを出したからだ。
憲法改正に52.6%が賛成、反対34.9%を大きく上回った。
国民投票法改正案については53.3%がすべき、すべきでないが34.8%。これも反対を大きく上回った。
ここに憲法改正についての民意が示されたのである。
ところがどっこい、野党は「国民は憲法改正を求めていない」というのだ。“ 馬脚を現す ” とはこのことだ。
都合のいい時は世論を利用するが、「都合の悪い世論」は無視をするどろか、世論を曲解してしまう。国民をないがしろにするのも甚だしい。野党は国民不在を自ら証明したと言えよう。
野党の不誠実な国会対応は、国民に対する不誠実でもある。こんな野党が政権をとれるはずもないし、その内コアな支持者でなかぎり離れて行くであろう。
立憲民主党が支持率を上げられない理由は他にもある。選挙のためなら政治信条をも犠牲して共闘する政党など誰が信用するか。
世論を考える中でもう一つ、「世論の質」も重要である。
例えば「愚かな大衆」という言葉だ。市民が世論について知識と判断力を欠いているという見方を象徴している。
十分な知識や判断能力のない人間の世論が果たして正しいのか、という議論だ。
今後、この問題をよりつきつめていけば、世論の質を高めるにはどうすればいいのか、といいう大きな問題にいきつく。
しかし、イデオロギーを左右する問題を内包しており難しいが、世論の質向上には公共放送であるNHKなどが、中立の立場で、なお特定のイデオロギーに偏らない情報提供する方法が考えられる。しかし、今のNHKはあまりにも偏向である。
いろいろ問題を含む世論だが、一つの判断材料にはなる。さらに、世論には軽視できない不思議な力がある。あやふやではあるが “ 雲行き ” といういかにも不確かなものが一気に確実性を帯びるときがあるのだ。
従って、何かにつけその “ 雲行き ” が意外と大事で、それが世論という不思議な力の本質であるような気がする。