Good-bye to tennis

スポーツ 雑記

Vol.3-07-53  good-bye to tennis
2020.03.07

テニスにさようならをいいます。(I say good-bye to tennis.)
マリア・シャラポワがテニスに別れを告げた。
ジイは特別好きではなかったが、インパクトの強いプレーヤーで、見たいと言う衝動に強く駆られる選手だった。
世界からは引退を惜しむ声が相次いでいると言う。

貧しい家庭で育ち、ロシアからアメリカへ渡った時の所持金はわずか数百ドルだったという。
テニスを始めたのは4歳。6歳の頃にすでにあのマルチナ・ナブラチロワに才能を見出されている。
9歳の時、、フロリダ州のニック・ボロテリー・テニスアカデミーの入学テストを受けるが、類稀な才能を認められ特別奨学生としての入学を許可されたという。

如何にも順調に来たように見えるが、貧しかった幼年時代からの強烈なハングリー精神で勝ち取ってきたもので才能だけできた人生ではない。
そのせいか美人でありながら底抜けの明るさはない。抜けきらない幼少の頃の過酷なまでの生活への渇望が血として流れているのであろう。
・2003年16歳でWTAツアー初優勝を日本で果たすと、
・2004年 にはウィンブルドン優勝
・2005年 世界ランキング1位。
まるで龍が天にも昇る勢いであっという間に頂点に登りつめた。
人気に実力を兼ね備え、名実ともに世界NO1となった。

もちろん収入も桁違いに増えた。しかしシャラポワの偉いところは決してハングリー精神を失うことがなかったことだ。

言っちゃあ悪いが、日本人選手はちょっといい成績を上げると、すぐちやほやするマスコミ、ファン、スポンサーにほだされ、実力が伴わない内にあっという間にスター扱い、その後は世界大会で良いところまで行くが今一歩の坂が登りきれない。まさしく、ハングリー精神の欠如としか思えない。
しかし、不祥事を起こさないかぎり日本人の優しさであろう、スポンサーもファンからも見放されることはない。

シャラポアの強みはやはり貧しかった幼少からの思い、ロシアからアメリカに渡った時の砂を噛むような生活が、強烈なハングリー精神として彼女を支え続けたのであろう。
貧しさから成功者へ、典型的なサクセスストーリーはアメリカがまた映画にすることだろう。

少しさかのぼるが、ジイは個人的には、ユーゴスラビア出身のハンガリー人、モニカ・セレシュが好きだ。

残念ながら1993年4月30日、セレシュはドイツ・ハンブルクの「シチズンカップ」準々決勝の対戦中に、暴漢ギュンター・パルシェに背中を刺された。犯人はシュテフィ・グラフのファン。「セレシュに怪我をさせれば、その間試合に出場できなくなるので、グラフが再び世界1位に返り咲けると思った」と発言した。

ジイは残念で残念で仕方なかった。しばらくの間はグラフとセレシュの壮絶な闘いが見られると思ったが叶わなかった。

見果てぬ夢だが、グラフ、にセレシュ、そこにシャラポワが同じ時代にプレーヤーとしていたら、なんて考えただけでもワクワクする。なかなか世の中うまくいかんのう。

2016年のドーピング検査で薬物が判明、シャラポワの引退を早めることにつながったと思うが、「次の山にも挑戦する」と語ったようだ。内に秘めたるハングリーは消えていないことに安堵した。

史上10人目の生涯グランドスラム達成者である。
強烈な記憶を残して引退した。
ああ、、あの雄叫びが聞けないのが残念で寂しい。

しかし、第2の人生もきっと成功するだろう。
ただ、ジイはシャラポワの笑顔に漂う影が消えることを望むばかりだ。