夢を知らない子供

スポーツ,世界,日本,雑記

Vol.2-6.2-505   夢を知らない子供
2021.6.2

朝のラジオから流れる聞き覚えのあるちょっと早口の声。
アルピニスト・野口健氏だった。つい聞き入ってしまった。

◆世界の名立たる山々に挑み、各地で最年少登頂記録を樹立する。大学に8年間在籍して登山を続け、卒業前の1999年(25歳)に世界最高峰エベレストに、3度目の挑戦で登頂に成功し、当時の七大陸最高峰の世界最年少登頂記録を更新した人物である。

野口氏の最近
外国で、世界一汚い富士山と言われ、いつもは訓練で雪のある冬場にしか登らなかった富士山。初めて夏に登って見てゴミの多さを知ったのだそうだ。

遠くから見たら美しい富士山はA面、富士山ろくの樹海の不法投棄の山はB面。2000年から清掃登山をはじめ、やっと5合目から上は終わったという。

樹海もほぼ綺麗になったと思った時、地表に頭を出したゴミが目に入った。掘ってみたら地下に埋まっているではないか。今は地下のゴミ堀りをはじめているとのことだ。

日本人、良いところもいっぱいあるが、公共意識は低い。海外に出て強盗はやらないが、公共性に欠けるところがある。

日本人のゴミ意識は確かに低い。
野口氏の話では、外国の国立公園では、ペットボトルの持ち込み禁止、当然だが日本のように公園に自動販売機が置いてない。日本の富士山頂で自販機がずらっと並んでいるなどはあり得ない光景。外国人はびっくりだし、美的センスにも欠け、発想としてアウト。外国の感覚では自販機はあってはならないもののようだ。

登山者は水筒に入れて自分で背負って持って行く、ゴミは同じく背負って持ち帰るのが登山者の礼儀だという。

2000年からはエベレスト清掃登山もする野口氏、シェルパも一緒にと考えたが、ネパールはカースト制度があってゴミに対する意識が日本と違う。ゴミ拾いは底辺の人間がやること、恥とされる。制度を超えることは簡単ではない。

野口氏は4年やった後に、シェルパの代表が突然石を野口氏に手渡したという。
・・・
シエルパ: 「ケン、その石を俺に渡せ」という。
野口氏: 言う通りにその石をシェルパに返した。
シェルパ: 「ケン、これでバトンタッチができた。エベレストは俺たちの神様だ、これからは俺たちがやる」と言ったという。

その後、国連や企業に働きかけ資金サポートを取り付け、今も清掃を続けているという。その一人が功績を認められネパールでスターになったという楽しいエピソードも披露した。

エベレストほどの山は、シェルパなしでは登頂することはできない。そのシェルパが今ではベースキャンプの回りを清掃しているのである。外国の登山者はその姿をみてゴミなど捨てられるものではない。今では富士山より当然きれいになったという。

野口氏の人生は、好きな登山をする中で出会ったアクシデントや疑問を解決していく中ですべてが今の仕事につながっていると感じる。

あるシェルパ基金設立のエピソードだ。

1996年「日本隊がヒマラヤで遭難、全滅した」というニュースが入った。

日本隊だけが亡くなるわけがない。シェルパがいるはず、と野口健さんは思った。シェルパから連絡有り、あの日本隊には俺の弟がいる。誰も降りてこない。健さんは翌日日本を立ちネパールに飛んだ。

想像通り、日本人と同じ13人のシェルパが死んだ。村ではあちこちで煙が上がっていた。シェルパたちは自分たちで火葬する。彼らが自ら火葬している現場に立ち会い、毎年死んでいる事実を初めて知ったという。

シェルパのサポートがないと登れない山だ。自分が山にのぼることは彼らを危険な環境においやっているという事実を改めて考えた。という。
シェルパも生きるために命をかけシェルパをやらなければ生計がたたない。

しかし、シェルパと登山隊は同じ同志であるはずなのに、シェルパは犬っころのようにこき使われ、命への扱いがぞんざいだったことを知らされるのである。

シェルパ一人がなくなるということは生活の大黒柱がなくなるということだ。生活が成り立たたない。ヒマラヤの環境は厳しい。どんなに注意しても必ず事故は起る。だがシェルパが唯一の生活の糧だ。

野口氏はジレンマに陥った。遭難してしまった時にどう責任をとるかだ。お父さんがいない子供の生活と教育を助けようという結論にたどり着き、シェルパ基金を作ったのである。

その基金で育った子供が何年か後に千葉で再会するというドラマがある。

彼は立派な青年に育っていた。
学校を卒業した後、日本に恩返しするんだと決意、日本人のサポートを受け来日。「ケンに会いたい」だけど日本語をマスターするまでは我慢するんだと自分に課した。

日本語をマスターし、やっとの思いで会いに来た。「びっくり仰天」は健氏だ。あの時の基金で育った一期生が、今は日本の高級ホテルにつとめているというではないか。こんな嬉しいことがあるだろうか。

健氏はマナスルのサマ村でも基金を立ち上げている。このできごとは衝撃的である。
チベットの国境付近の小さな貧しい村で学校もなかった。

健氏はベースキャンプを張った時に村人との交流に集まってきた子供たちに何気なく言葉をかけたという。
『みんなの夢ってなに?』というごく当たり前の質問をした時だった。

子供は「きょとんとした顔で健氏の顔を見つめるだけ」
シェルパが「その質問は意味がないぞ」とアドバイスをくれた。
えっ何故?
子供たちは小さな村以外に何も知らない。
電気もラジオもテレビも学校も何もない世界に生きている。その村で生まれ、働いて一生を終える。情報が入る手立ての無い中で「夢」とは、と聞かれても夢の意味すら、解さないのである。

健氏は「夢」の概念をはじめて考えたという。
自分の子供時代、絵本を見て、テレビをみていろんな世界を知る中で自然に夢を抱くようになった自分を回想した。

彼らが夢を持つために何ができるか。そうだ「学校を作ろう」と村人に話を持ちかけたという。ところが、村人は大反対「子供は労働力」「牛の面倒が大事」という考えしかないのである。

しつこいのが登山家らしい。そこで彼らが喜ぶ「清掃」と「トイレの設置」、ゴミの焼却などを3年ほどやってみた。

人間関係ができたところで、再度学校を提案。そこまで言うならと学校を作った。
それから4、5年経って子供たちに同じ質問をしたのである。
驚くことなかれ、子供たちは
「パイロットになりたい」「医者の勉強して、村に帰ってお医者さんになりたい」「学校の先生になりたい」感動である。

いろんな活動していると、賛成してくれる人もあれば批判もある。心が折れることしばしばだと明かし、そんな時歌は救いになるという。そして、さだまさしの「夢見る人」をリクエストした。

過酷な山と闘う頑丈なイメージのある野口氏が「僕、こころが弱いんで」と素直に打ち明けた時はクスッと笑ってしまったが、この素直さと正直の上に、いつも一直線の強い思いとねばりが素晴らしいと思った。

決して無理強いせず、時間をかけて相手に寄り添う。学校も清掃も粘り強く丁寧にやり遂げて行く。そこは厳しさと我慢強さを併せ持つ登山家の真骨頂であるかもしれない。

話し言葉は若干早口であるが、飾らず、驕らず、偉ぶらず、何かを責めず、あるべき姿を許容しその出来事に自分でできる範囲で頑張る姿が清々しい。

いつまでも応援したいキャラクターである。

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