東京大空襲

世界,日本,雑記

Vol.3-12-58  東京大空襲
2020.03.12

75年前の3月の出来事である。

昭和20年3月10日、アメリカはB29による大規模な空爆を開始した。
東京大空襲で死者10万人以上罹災者は100万人を超えた。
民間人を問わず無差別で殺戮を目的としたアメリカは後世に残る国家犯罪を犯したのだ。
更に、このアメリカの国家犯罪を問わないという戦勝国側のみに立った報復目的の極東国際軍事裁判(東京裁判)を行い、罪の上塗りをしたのである。

開戦前、日本との戦争をアメリカ国民の多くは反対した。しかし、開戦の火ぶたを切ったのは日本で、その真珠湾攻撃が騙し討ちだったと喧伝され、アメリカ国民は一気に開戦を支持したのだ。

上智大学名誉教授渡部昇一氏は、「本当のことがわかる昭和史」の中で、真珠湾攻撃を「日本の卑怯な騙し討ち」にしたのは外務省の業務遅滞にあり、許すべからず問題と指摘している。

御前会議で対米決戦が決定した後、天皇陛下は東条英機首相に開戦手続をきちんと行うよう指示、山本五十六連合艦隊司令長官も、対米最期通告が真珠湾攻撃前に届く手筈を何度も確認している。
にも拘らず、日本からの最後通告電文を駐米大使館は現地で送別会などで出払っており、最後通告を渡したのは真珠湾攻撃から分50分も経過した1時間20分遅れの2時20分だという。
この怠慢が、「日本の卑怯な騙し討ち」として後世に最大の汚点を残すことになった。

ミスで済まされない重大問題。
この汚点を晴らすため明治の大使館員なら「騙し討ちではない、我々大使館員の事務的ミスであった」と切腹していたかもしれない。という。
大使館員たちは汚名をはらすため切腹すべきだった。と指摘した。きっと世界の見方は変わっていたであろう。

もう一つ、言っておかねばならないことがある。
国際法によらず行った極東国際軍事裁判(東京裁判)はマッカーサーの思いのままに行った、要は戦勝国のリンチといっても差支えないような裁判。
勝手にA級、B級、C級と罪状を分類し、反論は許さず刑を執行した悪名高い裁判だ。
インドの判事ラダ・ビノード・パールが「裁判の体を成していない」と指摘、「復讐目的の裁判」だと強く批判。そのパール判事の判決文は無視され、裁判記録さえ残されることはなかった。

アメリカの占領が昭和27年(1952)に終わり、昭和28年8月の国会で、強引に戦犯にされたA級、B級、C級すべて赦免が全会一致で採択された。
よって、昭和28年8月以降、日本にはA級もB級もC級も戦犯とされた方は無罪放免され、戦犯はなくなったのである。
にも拘わらず、そのA級だB級を今なお信奉し、靖国にはA級戦犯が祭られていると言うバカがいるが、オマエ日本人か?と問いたい。

靖国神社に参らない総理大臣、国会議員、誰のお蔭で今があると思っているのか?
中国や韓国の顔色を伺うような問題か?情けないの一言だ。
悲しいかな日本国民にその意識が低いのだろう。

その悪名高い東京裁判のすべてを取り仕切ったマッカーサーが、本国に呼び戻され上院軍事・外交合同委員会でバイブルに手をついて宣誓を行ったうえで証言したのが下記内容である。

「日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿が無い、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如している。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から、一千二百万の失業者が発生するであろうことを、彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。」
と証言したのだ。
あのマッカーサーがである。

日本としては飛びつきたいようなこの証言、当時朝日新聞に掲載されたようだ。しかし大事な部分を省いていた。

平成7年(1995)には「東京裁判・日本の弁明」小堀桂一郎東大名誉教授によって出版されたが、大きな話題になった記憶はない。その後、事あるごとに渡部昇一氏は雑誌や講演などで紹介し、日本の名誉挽回に努めたが、マスメディアが大きく取り上げることはなかった。残念である。

ためしに、世界に誇る『ウィキペディア(Wikipedia)』連合国軍占領下の日本を調べてみた。
このマッカーサー証言が英文であった。しかしこの証言部分だけが和訳されてなかった。
不思議なフリー百科事典だ。

東京大空襲は民間人を無差別に殺戮する目的で行われた国際法にも戦争法にも反する重大な犯罪である。
やった本人も、もし敗戦国になっていれば犯罪者として裁かれていたと証言している。
3月10日の東京大空襲、広島、長崎の原爆に比し、扱いは小さい。しかしその日の死者は長崎よりも多い。しかし、今なお被爆による後遺症に苦しむ人がいることを考えると比するまでもないが。

靖国神社の遊就館の傍には戦犯全員を無罪と主張したパール判事の顕彰碑がある。
これを見るたびに無念さが蘇る。

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