“ 復帰っ子 ” とは

日本 雑記


Vol.2-6.16-519   “ 復帰っ子 ” とは
2021.6.16

沖縄の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還されたのは、昭和47年(1972)5月15日である。来年で50年の節目を迎える。

沖縄本土復帰にちなみ、昭和47年に生まれた子を「復帰っ子」というそうだ。

終戦後7年間はアメリカの占領下にあった。しかし、沖縄はその後もアメリカの施政権下に置かれ、本土復帰したのは戦後27年が経ってからである。

ジジイも覚えている。佐藤栄作首相が本土復帰の日、万歳三唱をしているニュースをかすかに記憶している。

その5年後に、本土並みの道路交通法が適用され、右側通行から左側通行に変更された。今日を境に右から、左なんて、言われても、、、「大変だろうなあ」と心配したものだ。

戦争末期の激戦地としての沖縄から、終戦後、アメリカの防衛上の都合から沖縄はアメリカの施政権下に置かれ、米軍の極東基地となった。

朝鮮戦争にベトナム戦争。さらには冷戦下にあるロシア、北朝鮮など、極東地域の抑止力にはうってつけの場所であった。

本土に復帰して50年経った今でも基地の70%が沖縄に集中している。

例えば、東日本大震災発生の年に生まれた子を「震災っ子」とは呼ぶという話は聞いたことがない。しかし、沖縄では本土復帰した年に生まれた子を「復帰っ子」と呼ぶ。異質なメモリーの違いを感じる。

復帰後は、節目節目に「本土復帰は良かったか、悪かったか」というアンケートがなされている。

不思議だが沖縄の人の心理には「復帰しなくてもいい」という判断もゼロではなかったということなのだろうか。

本来、沖縄は日本である。本土復帰が「良かったか・悪かったか」と聞くような性質のものとは思えない。よかった、よかったと抱き合って終わるものではないのか。

「アメリカの占領下で大変でしたね、本当にご苦労をおかけしました。」と労をねぎらい、本土復帰を祝うと同時に、本土並みに経済の復興に全力を注ぐだけでいいはずであるがそう簡単には割り切れない何かがあるのだ。

直近では2012年4月で83%が日本への復帰に「よかった」と答えている。ほぼ80%~85%で固定しているようだ。

「復帰っ子」は当然だが政治にかかわる人間もいる。革新系にも保守にもそれぞれが沖縄のために頑張っている。しかし、ジジイの感じるところでは、前知事も現知事も、大手2紙の沖縄タイムスと琉球新報も革新系、辺野古周辺には、活動家が道路に陣取って工事を妨害する。

沖縄のイメージは “ 赤く染まった島 “ でしかない。

かつて本土復帰運動と同時に、琉球独立運動が存在した。現在でも独立運動は存在する。独立して中国と一緒になりたいという声も聞く。そんな話を聞くと革新系の中に張り込む活動家の影を心配する。政府の手厚い助成による余力が、経済復興にいかず、反政府運動にいっているような気がする。

尖閣諸島が、連日中国海警局の領海侵犯があっても、沖縄からの悲鳴は聞こえてこない。相変わらず聞こえるのは、“ 辺野古基地移設反対コール ” である。

沖縄復帰が遅れること27年。その苦労は沖縄人でしかわからない。さらに現在もある基地負担70%は重い現実である。肌で感じる基地負担は本土人にはなかなか理解できない感覚と思える。

「復帰っ子」という言葉が意味をなさなくなったとき、沖縄は名実ともに違和感なく日本になるのだろう。

そのためには米軍が撤退し “ 日本軍 ” がその任務を担わなければならない。しかし、米軍撤退より “ 日本軍アレルギー ” を乗り越える方がさらに長い時間を要するような気がする。