人道発信基地ヒロシマ

世界 日本 雑記

Vol.2-9.1-596  人道発信基地ヒロシマ
2021.9.1

8月が終わった。不思議なものだ、9月かという声を聞いただけで、秋の気配を感じる。

そういえば、最近トンボを多く見るようになった。蝉の声も聞こえなくなった。そんな季節の移ろい中、過ぎ去った8月は何と言っても戦争の記憶から逃れられない月でもある。

NHKだけでなく、民放を含め広島、長崎など戦争関連の放送が何かにつけ多く見られるのも特徴的である。

今年の広島、長崎も例年と変わりなく式典には「核なき世界」、平和への願いがいつものように声高く叫ばれた。

そんな8月に1年延期された2020・東京オリンピックが開催された。無観客という寂しい大会ではあったが、世間の反対とコロナ感染が危惧される中、大成功を収めた。

ステイホームを叫ぶ首長の言葉通り、テレビ観戦に夢中になり声援を送った。まさにステイホームを実践した。選手の頑張りもあって過去最高のメダル獲得にもつながった。

そのオリンピックの主催者でもある、IOCバッハ会長の広島訪問の実現も特筆すべきことかもしれない。

広島県の強い働きかけによって実現したのだが、その要求の多さには驚いた。
①スピーチ ②原爆慰霊碑への献花 ③資料館見学 ④被爆者との対談 ⑤8月6日のアスリートの黙とう要請、さらにバッハ会長の警備費負担の要求には驚いた。広島県が訪問要請しておいて、警備費をIOCが払えとは度が過ぎるのではないか。さらに、スピーチに核廃絶に触れなかったとして不満を述べる始末である。

確かにヒロシマの原爆は悲惨であった。しかし執拗に8月6日に固執する広島政治の異様な匂いも気になる。

福井県立大学教授・島田洋一氏は、「要求に要求を重ねて相手を疲れさせるような態度は原爆の悲惨を世界に訴える上で決してプラスにならない」というが、その通りではないか。

ヒロシマの原爆は世界が知る「ジェノサイドの象徴」のような存在である。日本国民すべてが、広島の惨禍を同じ日本人として痛みを共有している。大げさに言えば地球がヒロシマ=原爆は共有の認識なのである。

であるならば、島田氏の指摘のように「8月6日のヒロシマ原爆」だけにた意識を集中させるのではなく、「世界の人道に対する罪」に視野を広げることによって、ヒロシマは世界の人道の聖地としての地位を確立し、一気に強い発信力を持つのではないか。

バッハ氏のヒロシマ訪問は決して悪いことではないが、バッハ氏は核保有国の首脳でもなく、核に関して直接関わりの無い人間である。そのバッハ氏に注文をつけるなら、彼の権限が及ぶ「北京ジェノサイド五輪の開催地変更」であろうと、島田氏は指摘した。

広島県知事や市長は「人道に対する罪」に対して発信するにはバッハ氏がせっかく広島訪問をしてくれたチャンスである。世界中の記者が集まる中で何故、中国の「ジェノサイド批判」を発信しなかったのか不思議である。

一般市民を標的にした原爆投下は明らかな戦争犯罪である。しかし、原爆死没者慰霊碑に記されている「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた言葉は自らの過ちを悔いているとも読める。そこに屈折した政治的意図を感じ不安定なヒロシマの姿と重なる。

原爆の被害を核廃絶のみに、自ら視野を狭めてはならない。ジェノサイドを受けた広島、長崎は「世界の人道の罪」に対して発言する資格が十分ある。

「核」だけに固執せず、世界のジェノサイドに対し厳しい姿勢を発信する「人道基地ヒロシマ」として真に世界の平和をリードしてもらいたい。