武道に恋した外国人

日本,,雑記,武士道,武道,武道学者

Vol.2-10.2-627  武道に恋した外国人
2021.10.2

アレキサンダー・ベネット氏は、ニュージーランド出身の武道学者。

現在は関西大学教授。専門は、日本思想史、日本文化論、武道学に関する研究。 剣道教士七段、なぎなた五段、居合道五段、銃剣道錬士六段、短剣道錬士六段を取得し、天道流、鹿島神傳直心影流を修行する武道家。、、、う~ん、凄いの一言。

たまたまつけたラジオから流れたきたのはNHK「明日へのことば」という早朝の番組である。
「私の武道研究30年」と題したインタビューである。聞いているうちに引き込まれていった。

この話を多くの日本人に聴いてほしいと思った。日本人が忘れた日本武道の精神である。新渡戸稲造がドイツに渡り、日本は宗教教育がなくてどのように道徳を教えるのか?と問われ、新渡戸はハタと考えた。日本の道徳教育???考え抜いた末たどり着いたのが “ 武士道 ” であった。

「武士道」は新渡戸が外国向けに書いた英語の本である。またたく間にベストセラーになり、日本には数年後に邦訳版が出ると言う逆輸入本となった。

ところでベネット氏と武道のつながりだが、17歳の時に交換留学生として千葉県の市立稲毛高校に留学、剣道に入部したのが武道との出会いである。

入部して先ず驚いたのがニュージーランドと日本の部活の違い。外国では週2、3回がやるのが普通だそうだが、日本の部活は毎日、それも季節に関係なくやるのには驚いたという。

剣道を始めたのはいいが、♯~毎日 毎日 ぼくらは鉄板の~♭のたい焼きくんではないが、毎日毎日何百、何千と素振りの連続、面を1本とっても1本にならない?う~ん、どうも合わないなあ~と思って1週間で飽きてしまったという。

早速退部を申し出る。ところがだ、部活の教師はなかなか厳しかった。やめようとしてもやめさせてくれない。

仕方なく続けて行くうちに次第にその奥深さに気が付く。最初は好きでもなかったがその教えの中に “ 日常の教訓 “ があるとわずかながらに気付いて行く。

人間の弱点、どこを直せばいいのか?という手がかりを剣道を通してつかんでいった。
「なるほど、そういうことか」と気が付くたびに、あっ、わかったが積み重なり、悟りに近い感覚を知って面白さが出てきたという。

武道には “ 心 ” がつく言葉が多い。「平常心・不動心・残心」、身体を使っているのだが、身体と心を同時に鍛えているということを知る。武道の奥深さをがベネット氏の研究好きに火をつけたのである。

新渡戸稲造が出版した「BUSHIDO」は国際語となって世界に広がった。

その出版後4、5年後に日露戦争が始まり日本が勝利する。極東の小国が大国ロシアを破ったことに世界が驚愕する。強さの秘密はどこにある?その原因を「武士道」にありとしたのである。

かの、ルーズベルトが何十冊も購入して配った話は有名である。

ベネット氏は1年の留学生活を終え、初段をとってニュージーランドに帰った。もう、剣道はいいかと思いきや、剣道が身体に染みついていた。傘を持っても竹刀に見立ててしまう。

うん、やろう、18歳、剣道1段がクライストチャーチに剣道場を作って指導を始めてしまったのだ。口コミで広がり道場に人は集まったのはいいが、彼らの質問が凄い。
「武士道とは?」「剣道と武士道との関係は?」「葉隠とは?」「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり?」その一つ一つに自信を持って答えられない。

ついに猛勉強と研究をはじめ、世界でも有数の武道学者と名をはせるのだが。その研究を続けていく中で彼が行きついたのは、“ 剣の道 ” とは “ 生き方 ” であるとの結論である。

ベネット氏の好きな「残心」という言葉がある。

例えば面を打つ、打った後の “ 態度・心構え・身構え ” が大切であると言う。
武道にガッツポーズがないのは「残心」という考えにある。打った面に「打ち方に間違いはなかったか、打つべき面であったか」、打たれた方は「打たれたことによって教えられる己の弱点」を知る。互いに高め合う武道の精神がそこにあるという。

武道においてガッツポーズなどあり得ない。スポーツを超えた精神修養にある。

必死に打った面に対し、打った後も同じ精神の高みの中で検証を試みるのである。

ベネット氏は「残心」を登山に例えて説明した。
登山家が登る時は最新の注意を払う、しかし、下山時に気が緩み事故が起る。残心があれば事故は防げるという。

武道は、お互い最初にお願いしますと “ 礼 ” をし、終わって “ ありがとうございました ” と礼をして終る。

人間として成長ができるのは相手があってのことであり、お互いが学び合っている精神が武道精神であるという。

“ 道 ” がつくものの共通の理念である。相手の存在は憎むものではなく、感謝すべきものであるという考えだ。

「葉隠」の「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」と言う言葉に最初は危険な香りを感じたと言う。しかし読めば読むほど、その言わんとすることが浮かび上がってきた。

それは、“ 必死に生きろ ” というメッセージであると気がつく。

“ 必死 ” とは人間いつかは必ず死ぬ前提にある。

だからこそ、やる時は思い切ってやる、持っているものをすべて出し切る。これが、最後かもしれないという強い思いで懸命に生きる。中途半端はいけない。と言っているのだとわかったという。

21世紀を生きる私たちにも共通のメッセージとして普遍性をもっている。

「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」はすべてにつながっている。武道は普遍的価値を有する世界遺産であるとベネット氏は確信したという。

たまたま日本にあったことを喜ぶべきだが、日本人自身が学び直さなくてはならない。

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