ボランティア
Vol.3-27-73 ボランティア
2020.03.27
ボランティアというとスーパーボランティア尾畠春夫さんを思い出す。
尾畑さんのような方は別格だが、トシをとるとボランティアにはなかなか踏み出せない。特に被災地になどのボランティアなんていうと大変な重労働だ、それなりの体力と強い気持ちがないとなかなかできない。
ただ若い人の中には体力もある、ある程度の時間も確保できる可能性も高い。何よりも一度は人のためにという気持ちの強い若者も多いだろう。
ジイは2人の学生がボランティア活動から得た体験に、なるほどと教えられた。
一人はこれから就活をしようとする学生。
かなりボランティアの経験があるが、病院は初めてだったという。
慣れない病院のボランティアに自分の働き場所が見つけられずベンチで途方に暮れることが多かったという。そんな時一人の女性患者が近寄ってきた。彼女がボランティアで頑張っている姿をいつも見ていたのだろう。落ち込んでいる彼女に「あなたの笑顔を見ていると孫を思い出すの、早く会えるように頑張ろうって思うの、だからいつも笑顔でいるだけで十分私の支えなのよ」と声をかけたのである。
彼女は、心の中の何かが溶けて嬉しさのあまり涙が出た。という。
今も、辛いときがあった時このことを思い出して笑顔を忘れないようにしていると言う。
ジイも思い出したことがある。
昔、会社のちょっと変わり者の社員が営業で外に出た時、駅の公衆トイレに立ち寄ったら若い女の子が一生懸命トイレ掃除をしていたと言う。そのわき目も振らず掃除をする懸命な姿に感動したという。
この若い女性はボランティアではない、自分の職業として仕事をしていたに過ぎない。しかし、彼はその姿に感動したのだ。
動機はどうであれ、その姿の中に懸命な姿が潜んでいなくてはならないと言う事実だ。
改めて誰かの為にということでなくても、懸命に頑張っていれば誰かのためになっていることを忘れてはいけないとの教えだ。
もう一人は女子高校生2年のボランティアの出来事だ。
東日本大震災で被害を受けた広場の整備に8年間も活動した。その最終日に隊長から「あたりまえの反対は何であるか?」と問われたと言う。
ありがとうは漢字で書くと「有難う」だ。つまり有ることが難しい、まれであること。それはすなわち奇跡だ。つまり、あたりまえの反対は「ありがとう」だと教えられた。蛇口を捻ると綺麗な水が出る。タッチ一つで部屋に電気がつく。日本という恵まれた環境にいるから忘れてしまっている日常の有り難さについて考えるきっかけをもらった。
と綴った。
私達は彼女たちのエッセーをみて感動する。しかし、ジイもこの感動を自分の肉体の中に記憶することは難しい。
しかし彼女たちのように、実際に汗水たらして働いた中で感じ取った貴重な教訓は、血と肉となって体が覚えるのである。この確かさは実体験だからこそ永久に消えない心の筋肉となる。
頑張らなくてもいい。という教えもある。
しかし、一途な心と懸命な努力の先にこそ未知の灯りはあるような気がする。