秋の叙勲

日本 雑記

Vol.2-11.3-659  秋の叙勲
2021.11.3

秋の叙勲や褒章の季節がやってきた。

人が喜ぶ行事と言うのは、今風でいえば “ ほっこり ” していいものだ。

先ず、先月文化勲章が発表され、文化功労章、今月2日には秋の褒章受章者が発表された。

今年はオリンピックイヤーでもあり、多くの金メダリストも褒章の対称である。スケボーで優勝した最年少14歳の西矢椛ちゃんも受賞した。その重みを知るのはもう少し先かな~とは思う。

それに作家の小川洋子さん。ジイは最近、芥川賞や直木賞などにはあまり興味を抱かないが、この小川氏だけは何故か興味をもって話題作「密やかな結晶」と「博士の愛した数式」だけは読んだ。
 
確かに今までにない新鮮な感覚を覚えた。

それに、今回の受賞では何といっても文化勲章の長嶋茂雄である。

最近は誰でも “ さん ” とか “ 様 ” をつける傾向にある。例えば、歴史上の人物にさんをつける人がいる。しかし “ 渋沢栄一さん ” ではおかしい。さんをつけるのは己と同じ土壌にいるということだ、すでに人格が確定し一段上に見上げるととすればすでに歴史上の人物である。特別親しい関係を除き、業界で確固たる地位と高い知名度を確立した人名は、現役であっても固有名詞として確立した人間との認識でいいのではないかと思うが。

いわば一種の名誉である。

ジイは、長嶋の信奉者である。しかし長嶋さんを語る時は、“ ミスター ” であり “ ナガシマ ” であり “ 長嶋茂雄 ” である。

長嶋はすでに伝説上の人間である。
球界初の文化勲章ということだが、並み居るノーベル賞受賞者、研究者、芸術家、伝統芸能者、作家などそれぞれの分野のオーソリティであるが、長嶋茂雄は決して野球人だけで語れる人間ではない。

長嶋氏の人気は球界に止まらず、日本国民に幅広く愛された人間としては飛びぬけた存在である。

その芯にあるものは人間性である。長嶋氏の若かりし頃から現在まで人間・長嶋の発する光に陰りを見たことがない。まるで全国民に平等に照らす太陽のようである。

野球界の敵陣からも愛された人間は球界広しと言えど長嶋以外に即答できない。野球人が愛し、憧れたのが人間・長嶋である。
あの人と同じ土壌でプレーをした。あの長嶋を打ち取った。あの、長嶋から声をかけられた。そんなエピソードは数えきれない。

テリー伊藤は「長嶋茂雄を思うと、涙が出てくる」
ビートたけし「長嶋さんだけは特別なんだよな・・・」
阪神投手・江本孟紀は「神さま 仏さま 長嶋さま」と言う本を書いた。

現役時代「神さま、思いっきりバックスクリーンにまで飛ばしてください」と言う思いで投げたと言う。現役引退し国会議員になった時も国会事務所の中にも長嶋茂雄の「空振りシーン」のパネルを置くほどの長嶋狂である。

敵にすら愛された長嶋と言う人間。
いつ、どこでもどんな場面でも裏表がない、人を褒めても悪口を言わない。まるで千歳飴のようにどこを切っても長嶋茂雄しか出てこない。

現役から、引退してからもテレビにはよく出演機会があったが、どの番組に出ても、実に真摯な態度は変わらない。バカ騒ぎやハメを外すことなど一切ない。言葉遣いは誰よりも丁寧、下品とは無縁、決して受けを狙うような言葉を発することはないが、すべてが素の中から出て来るのでたまに頓珍漢な言葉になることがあるが、相手が好意をもって理解してしまうという人間性を持つ。

野球の話になるとつい熱が入る。身振り手振りが自然と出てくる。目が嬉しさで満ち溢れた中で話すので、何を話していても聞いている方が楽しくなってしまう。そんな人間である。作為の無い人間とは誰かを意図的に楽しませるのではなく、いるだけで幸せにしてしまうのである。江本氏が神さまという所以である

今回の文化勲章は球界への貢献もあるが、“ 人間長嶋 ” に与えられたような気がする。

ジイも長嶋に取りつかれた一人であるが、仕事で千葉・佐倉に行くことがあって、そのついでに佐倉一高、長嶋の実家を訪ねたことがある。突然の訪問である。庭でお兄さんの武彦氏が仕事をされていた。「突然ですが」と声をかけファンであることを告げると、快くリビングにいれていただき30分もお話をさせていただいたという宝のような思い出がある

17年間の現役生活で首位打者6回、ホームラン王2回、打点王5回と多くのタイトルを獲得して最優秀選手にも5回。軽やかな三塁守備、三振しても絵になる華やかなプレーで高度経済成長期を象徴するスーパースターとなり、プロ野球を国民的スポーツへと押し上げた。決してその実績だけではない。

日本のひまわり “ 人間長嶋 ” に日本国民が文化勲章と言う形で感謝を示したのだと思う。