札幌時計台ヒストリー
Vol.3.01.05-722 札幌時計台ヒストリー
2022.01.05
♯ 時計台の~下で逢って 私の恋は~ はじまりました・・・ ♭~
石原裕次郎「恋の街札幌」の出だしである。ハマクラさんこと浜口庫之助作詞・作曲の歌である。なんというロマンチックな歌詞であろうか。
たまたまラジオから流れてきたその “ 札幌時計台 ” の話に聞き入った。
札幌在住、一般女性「やまぐち ゆみ」さんの話である。
『新年を時計台の鐘で迎えるというほど、市民から時計台は愛されています。
明治から140年間、一日156回、鐘はカ~ン、カ~ンと澄んだ音色で市民に時を知らせ続けています。市民にとって聞きなれた鐘ではあるんですが、それでも新年は特別に心に響くんです』という。
『観光客の方はパンフレットのアップ写真で広大な自然の中にあると思ってやってこられるんですが、実際街の中にある小さな姿にがっかりされるんです』
そして、その歴史について話は続いた。
『この時計台は明治11年札幌農学校の施設で入学式や卒業式を行う講堂として建てられたんです。時は140年経ち、周辺は都会化しても時計台はそのままの姿でビルの狭間で時を知らせている愛おしい存在になんです。』
『(講堂は)外国から技術を取り入れた建物で札幌市の有形文化財第1号に指定された由緒ある建物なんです。時計塔につける時計をニューヨークから取り寄せたんですが大きすぎて、他の建物へという案もありその案通りになればここに時計はなかったのです。しかし新たに時計塔をつくることで、明治14年に今の形になったんです』
『時計は当時貴重なもので、札幌の標準時刻を知らせる役割を担ってきました。ビルが立ち並ぶ前には、2.5km先まで鐘の音が届いたと言うんです』
まるで、「ミレーの晩鐘」のような光景が思い浮かんできた。
『当時も今も振り子時計のままで、人の手でネジ巻が行われているんです。今は1階が展示室、2階が演奏会や講演会場として使われています』
『ピアノ演奏会の日などは、演奏とピアノの音が重ならないように大変、演奏の合間に鐘が聞こえるのは感動的です』、、、う~ん、わかるような気がする。
山口さんは、時計台があることで立ち並ぶ周辺のビルにも影響を与えていると話す。
例えば、向かいのビルの広いテラスは自由に立ち入ることができ、写真をスポットとして開放されている。また隣のビルの入り口にはベンチが置かれいる。ビルは時計台に風などの影響がないよう調査されたうえで建てられたそうである。
「単に歴史的建物ではく、時計台を中心にした背景には深い意味があって、重なり合いながらいくつものストーリーが生まれて行くのが素敵だなあ」とおっしゃった。
そして「札幌憲章」がまた素晴らしいのだ。
『わたしたちは時計台の鐘がなる札幌市民です』で始まる。
“ もう、がっかりなんて言わせない ” と優しい語り口でおっしゃった。
市民だけでなく、周りのビルにも守られ愛されているのである。
なるほど、100年先とまで遡らずとも、50年ほど前は広大な北海道の大地の見える限りに鐘の音が響いていたのではないか。そう思って改めて見ればまた違った時計台が見えるのではないか。
札幌雪まつりが2年ぶりに規模を縮小され開催されることになった。
これから札幌に行かれる方、そんなエピソードがあることを知って、改めて時計台を見ていただければと思う。
当たり前のことだが人を含め土地、建物すべてに歴史がある。そんな目を持つとすべてが愛おしく見えるから不思議だ。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません