静かに消えていきたい
Vol.3.01.07-724 静かに消えていきたい
2022.01.07
“ 静かに消えていきたい ” 悲しいタイトルだが、ジジイになると少なからずそんな心境になるものだ。
当時、銀行員でありながらシンガーソングライターとして注目を浴びた、小椋佳氏の雑誌に寄稿したタイトルである。
ジイからみれば順風満帆の人生である。銀行ではありえない副業が歌手。そんな特別待遇と思える人がいかなる心境から “ 静かに消えていきたい ” という気持ちになるのか興味をもって読んでみた。
高二のとき、自分の日記から言葉を拾ってメロディーをつけたのが、歌をつくるようになった始まりだという。
しかし、人には何かのアクションを起す時きっかけがあるものだ。小椋氏の場合は高校の時の国語の先生のようだ。哲学者・阿部次郎の「三太郎日記」の思索を深める難解なテキストに赤線をひかれ、一つ一つ読み解くということをやらされたそうだ。
さすが優秀な生徒だったのがわかる。先生に見初められ難解な言葉へ触れる旅である。言葉で考える世界に没入していく。そのことが後に小椋佳独自の作詞制作につながっていく。
その思索経験の中で哲学的思考が体の中に染み入ったとジイは考える。
大学時代は寺山修司氏のサロンに出入りし、寺山ファンのつくった詩にメロディをつけたりする日々を送る。その頃から歌づくりは日常の作業のような存在になっていく。
ある日突然、寺山氏に呼ばれ、レコーディングに参加、それがきっかけとなりLP発売となっていくのだが、とりたてて歌手になろうとしたわけではない。小椋氏にとっては歌作りは3食の食事のようにすでに日常になっていたのだ。
すでに銀行員であった。銀行で副業など許されるはずなどない。しかし幸運であった。本人はアメリカシカゴ、銀行でも顔を知られていないおっさんのレコードなど売れるはずもないと思ったのであろう。銀行は歌作りを温かく見守ってくれたという。
日常が一変したのは3枚目のLPが大ヒットしたことだ。これには銀行も黙っているわけにはいかない。歌をとるか、銀行を辞めるか、本人は辞職を願い出た。しかし、銀行はあえて顔を一切出さないことを条件に歌を続けさせたのである。
本人が真面目に仕事をしていたこともあったであろうが、東大出の優秀な人材である。銀行での営業にはプラスに働くと読んだのではないか、と想像する。
その後の活躍は我々が知るところである。
銀行退職後は東大に復学したり、頭が良いが故にノイローゼになったりと、若い頃からのしこりのようにときおり強烈な強迫観念に襲われたりしている。
本人は慢性現状不満症だという。若い頃から今に至るまでフルに満足したことがないという。歌にしてもミュージカルにしても、「やっとできあがった!」と達成感を覚えた瞬間に、「こんなもの、完璧じゃないよ」と思ってしまう。
そんな性格を自認しつつ、客観的な自分は幸せだと冷静に分析する。
哲学を学びたいとの思いがあったようで、我々凡人とはちょっと違う感性も感じる。例えばこんな文面だ。
『舞台人や歌手で「私たちは夢を売るのが仕事です」と言う人がいますよね、・・・そもそも「夢を持ちなさい」というのは賢明な発言だろうかと思います。夢って欲望ですよね。欲望を何か一点集中したものが夢だとすると、同じ夢を持つ人はうじゃうじゃいるわけで、自分の夢を果たすとは他者を蹴落とすことです。オリンピックの優勝者が一人いるということは、何百人の夢を果たせなかった人をつくることなんです。だから、夢というヤツはあんまり軽々しく持たない方がいい。まして「夢をもちなさい」なんて、人に強制する話じゃない。
・・・・・酒も小半、欲望も小半にしておきましょう、それが幸福という状態だと思いましょうと。これは慢性現状不満症の僕の戒めを込めた幸福論です。』と書いておられる。
歌創りは創造活動でなきゃいけないという思いがありますから、つくっているうちに「こんな曲、僕、前につくったな」と思ったら破っちゃう。自分のなかで「こんなの創作とは言えない」という拒否反応が起るんです。
77歳になり今は歌創りしかないといい妥協を許さない姿勢を貫く。
ものを深く考える、哲学的性格のなせる業なのか、タイトルの「静かに消えていきたい」にその思いが凝縮されているような気がする。どこまでも真理を追究する姿勢は今も続いている。
不思議な哲学的シンガーソングライターである。
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