シドニー・ポワチエの死
Vol.3.01.10-727 シドニー・ポワチエの死
2022.01.10
シドニー・ポワチエが亡くなった。
ジイほどの年代人であればポワチエは身近な黒人俳優ではなかったかと思う。
今も「夜の大捜査線」「招かれざる客」の顔が鮮明にあり、亡くなって初めて最近の映像にびっくりである。えっ?誰?と己の眼を疑った。
それもそのはずである。ジイが記憶にあるのは50年以上も前の『招かれざる客』、『夜の大捜査線』『いつも心に太陽を』の顔である。
ポワチエはアメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身。黒人俳優としての先駆者的存在のひとりで、男優としては初めてアカデミー主演男優賞を受賞した俳優である。
ジイが子供の頃の1950年代のハリウッドで、黒人が主要なスター俳優を務めたのはポワチエ唯一人だったという。ポワチエが「当時、MGMのスタジオには、黒人は私一人しかいなかった」とのコメントを残している。
ポワチエの『招かれざる客』を見た時は、見るからに聡明そうな顔立ちに人種の枠を越え実に魅力的な男性に見えた。
アメリカの黒人差別の歴史は暗く長い。今、現在もある。黒人だけではない。ジイが20年前アメリカに行ったとき、遠くからジイを見て、「ジャップ」という差別用語を耳にした時。アメリカの人種差別の根深さを実感した。
その、黒人差別が色濃く残るアメリカで、『招かれざる客』は、リベラリストであり普段、人種差別には厳し良い目を向ける新聞社社長の父を持つ娘ファミリーが舞台である。
その愛娘が、フィアンセとして黒人男性を紹介するとことから始まる。両親にとってまさに青天の霹靂『招かれざる客』であった。
そんな衝撃的な場面から始まる『招かれざる客』はアメリカ社会に黒人差別へのアンチテーゼとして挑戦的な映画でもあったのだ。
ポワチエは『野のユリ』で黒人でははじめてアカデミー主演男優賞及びゴールデングローブ賞 主演男優賞受賞という歴史的快挙を成し遂げているが、この授賞式で「私一人で貰ったとは思っていない。これまで努力した何百人もの黒人映画人の努力が実ったものだと思っている」とコメントしている。
「私一人で貰ったとは思っていない」これは良く使われるフレーズであるが、黒人差別の中で黒人が長い間かかってやっと認められたことを考えると、真に心の底から湧き出た言葉であった。
一方、同胞である黒人社会からは、「ショーウィンドウの中の黒人」とも揶揄されている。ポワチエの演じる「黒人」像とは、あくまで白人が望む「素直でおとなしく、礼儀正しい黒人」であることへの、黒人社会からの反発である。
彼らの言い分は、ポワチエは白人のいいなりで、「教養があり、きちんとした英語を話し、マナーを身につけ地味な服装をし、中性的でおとなしい、扱いやすく無害な黒人ばかり」を演じていると言うのだ。
確かに、ポワチエが各作品で演じる黒人男性たちは、進歩的な白人なら「夕食の席に招きたい」と思わせるような、非の打ちどころのない理想的な黒人である。
JAZZの世界でも、ルイ・アームストロングはポワチエに近いバッシングを黒人社会から受けている。白人にすり寄っていると言うのだ。
そういう黒人社会の気持ちもわかる。
ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」は黒人奴隷がリンゴの木に吊り下げられた死体を意味する、悲しくも怒りの叫びだ。
反面、マイルス・デイヴィスは黒人差別をパワーとして反発したプレーヤーだ。
ところで、シドニー・ポワチエ、何といっても『招かれざる客』、『夜の大捜査線』『いつも心に太陽を』の3部作はポワチエの人間性を決定づけるような映画だった。
端正なマスクと優しさと、強さと、知的な雰囲気を兼ね備えた黒人はその後見当たらない。ジイの中では黒人のイメージを変えさせてくれた俳優である。
もし、過去の歴史が黒人と白人が入れ替わっていたとしたら、現在の人種差別は真逆になり、美の基準もきっと別物となっていたのであろうか。
ふと、そんなことをポワチエの死は考えさせる知性溢れる俳優であった。
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