フィンランド
Vol.3-3.17-793 フィンランド
2022.03.17
北欧の美しい国々、しかし、今回のロシアによるウクライナへの侵攻はいやが上にもヨーロッパ、とくにロシアと隣接する国の厳しく切実な現実を知ることになった。
先日、フィンランド元首相のストゥッブ氏が、「NATO加盟がかつてなく近づいている」と語った。今まで何故NATOに入らなかったか?というよりウクライナと同じく入れなかった厳しい現実があった。
外務省の調査月報にそのフィンランドの歴史的背景を垣間見る。
◆フィンランドは、1917年独立後未だ80余年しか経過していないが、大国ロシアと約1,300キロに亘り直接国境を接していることから、独立当初の内戦、その後の所謂「冬戦争」(1939年)、「継続戦争」(1941-1944年)と三度に亘るソ連との戦争のかかわりを踏まえ、第二次世界大戦後フィンランドの政治指導者がその国家の安全を確保するための外交政策として構築したのが同国の中立政策である。
フィンランドの中立政策は、スイスやオーストリアのそれのように条約や憲法といった法的基盤に基づくものではなく国家の対外政策として行われてきたものである。
同政策は、ソ連の意向に反しないよう対外政策を進めるといういわば衛星国的外交政策の代名詞として、短絡的に同様のビヘイビアをとる国の政策を揶揄する場合に「フィンランド化」という言葉が用いられた時期もあった。
しかしフィンランドの中立政策は、上述のソ連との戦争体験を経て、国家の存続・安全のために、当時与えられた国際的・地域的状況の下でとらざるをえな かった唯一の選択肢であり、フィンランド人の忍耐力と共に活力、反発力に富む 国民性からして基本的状況が変われば新しい状況に合わせて対応を大きく変更させて行く可能性を秘めたものである。
従って、1989年ソ連邦の崩壊の動きが始まり、いわば東方からの呪縛が解け始めたとき、フィンランドがEUへの加盟申請に向けての動き等の対応を開始したのは当然であり、フィンランドの中立政策は、今日以前とは大きく変貌している
現在ではフィンランドの外交政策について中立政策という言葉自体ほとんど使われなくなったが、フィンランド政府は、NATOには当面加盟しないとの方針を堅持しており、この「軍事的非同盟政策」と呼ばれる政策は、フィンランドの伝統的中立政策の変形ないし延長にあるものと見ることが出来る。
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フィンランドの地政学的戦略的状況 フィンランドの中立政策は、フィンランドの置かれた地政学的状況と密接に関連している。 即ち、フィンランドは、欧州の北東端に位置し、ロシア、スウェーデン、ノー ルウェーと国境を接しているが、ロシアとの国境線は、約1,300キロに亘りバレンツ海沿岸地域よりカレリア地方を経てバルト海に縦断している。
フィンランドと接するコラ半島には、ロシアの軍事施設が集中し、ロシア第二の都市であるサンクトペテルブルグは、フィンランドの独立当初フィンランドとの国境線まで僅か38キロという超至近距離にあり、現在なおフィンラ ンド国境から140キロ、ヘルシンキから290キロしか隔てていない。
帝政ロシアの時代にはサンクトペテルブルグの貴婦人達は、フィンランドから不良分子が押し掛けて来はしまいかと夜もなかなか寝られないでいると言われた。
又、1935年6月アスムス駐フィンランドソ連大使は当時のフィンランド首相に対し欧州でドイツが戦争をはじめれば恐らくソ連は自国の防衛上フィンランドの若干の領土を占領せざるを得ず、ソ連軍専門家によればフィンランドを占領し、無害なものとするのに6日しかかからないだろうと述べ驚かせたと言う 。
他方、フィンランドは、ロシアの統治下に入る前はスウェーデンの支配下にありスウェーデンの文化が浸透し、宗教的にもルーテル派教徒が殆どで、完全な西欧に属する一方、フィン・ウゴール言語の流れである独自のフィンランド語を保有していた 。
従って、フィンランドとしては、超大国ロシアから絶えざる脅威を感じる一方、 ロシアとしても、その安全保障上フィンランドに如何なる政権が樹立されるかは、大きな関心事であり、ロシアの利益に反する政権が成立しないよう常に監視する と共に、その政策が出来るだけロシアの利益に沿ったものとなるよう随時影響力を行使するよう努める必要があった。
他方、フィンランドの西方には、かつてはその支配国であったスウェーデンが 位置し、中立主義政策を採りながらも、フィンランドを隔てて直ぐ東方に存する 超大国ロシアの動向やドイツのフィンランドへの働きかけには神経をとがらせていた。更に、その西隣りのノールウェーは、同じ北欧グループの一員ながら、デンマーク、アイスランドと共にNATO加盟国となっている。
フィンランドは、700年に亘るスウェーデンの支配を受けた後約100年のロシアの統治下において大公国としてかなりの自治権が認められていたが、ロシア革命に乗じて1917年12月独立することに成功した
しかし、独立後ソ連とフィンランドの関係は、当初より円滑なものではなく、内戦支援並びに冬戦争及び継続戦争という二度の本格的戦争を始めとして鋭い対立関係が1944年まで続いた。
と外務省の調査月報の一部である。
独立直後、ソ連、ドイツやスウェーデンが入り乱れるという厳しい国内戦を経験している。
その後もソ連との対立は続き、国境線も明確でないという時代が続く。
フィンランドもウクライナと同じくロシアとの国境線を有し常に脅威に晒された中でNATO加盟を避けつつロシアとの関係を平穏無事に過ごしてきたのだ。
今回のウクライナ侵攻で危機意識は高まったことは論をまたない。陸路で続くヨーロッパの国々、当時の強国ソ連からの防衛上、NATOが結成されたのは当然の成り行きである。
ただ、ソ連との国境を接する国々は自国の保全上、常にソ連を意識せざるを得なかったのも理解できる。
プーチンの悪行のせいで、早々にフィンランドとスウェーデンはNATO加盟が検討されるであろう。ドミートリー・メドヴェージェフ元大統領もプーチンと似たところがある。プーチン失脚後メドヴェージェフの復活が無ければいいが、NATOは早期にこの2カ国の加盟承認に動くべきではないか。
サンタクロースの優しいイメージを抱くフィンランドも厳しい現実の世界を懸命に生きているのである。
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